すっぴんが好き、いやいや最小限のメイクはマナーでしょetc、男性の意見は実にさまざまである。今回は、女性とメイクがテーマだ。「ブスがメイクしたって無駄無駄無駄ァ!」などと言わないでください。
素顔とすっぴんのちがい、知っていますか?
むりやりジョジョ的掛け声をぶっこんですいません。漫画家・荒木飛呂彦氏といえば言わずもがな『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズが有名ですが、初期の名作『ゴージャス☆アイリン』をご存知だろうか。ご存じない方のために、サクッとあらすじを紹介してみよう。
主人公のアイリン・ラポーナは16歳にしてプロの殺し屋。彼女はメイクをすることにより、自分に暗示をかけ、顔だけではなく肉体までも変化させ、まったくの別人になってしまうのだ。殺し屋は巨乳で巨尻じゃなきゃいけないのか? と訝るほどのムチムチボディでターゲットを悩殺、もとい、殺し屋としての使命を果たす。この漫画を読んでメイク道具の見直しをおこなったのは、私だけではないだろう(たぶん)。
さて皆様、素顔とすっぴんの定義について、考えたことがあるだろうか。ちなみに、素顔とは、「化粧をしていない、地のままの顔。飾らないありのままの姿。」だ。すっぴんとは、「化粧をしていない状態(ノーメイク)のこと。主に女性に対して使われる言葉である。また、素顔でも美人という意味もある。」(以上、コトバンク、Wikipediaから抜粋)
なんと、似て非なるものだったのだ。注目すべきはすっぴんの「素顔でも美人という意味もある」だ。
でも、美の基準って人それぞれですし、私はむしろ「化粧をしていない状態(ノーメイク)」よりも、「化粧をしている普段の状態」がすっぴんのような気がするのだ。だって、女性のメイクは、こうありたい顔の自己表現なのだから。
メイクは、別の自分を探すツール
また漫画の話で恐縮だが、栗原まもるさんの『素肌の放課後』はメイクをテーマとした名著である。素顔に自信のないメイク大好きの女子と、他人にメイクをするのが大好きな男子の恋愛物語だ。ばっちりメイクできめた主人公が、全校生徒の前でメイクを落とし素顔になるのを余儀なくされるという、残酷なシーンではじまる。しかし、全校生徒に嘲笑されながらも、主人公は片時もうつむかない。そんないたいけな姿に、メイク好きの男子が「魂が超キュート!」と心打たれるのだ。
この主人公の素顔は、少女漫画なのにけっこうブスだった。しかし、メイクを施すごとに可愛く、すっぴんまで美しくなっていく。素顔ではなくすっぴんだ。「素顔でも美人という意味もある」といったうえでの、すっぴんである。
これはフィクションだからではなく、ノンフィクション上でも起こりうる現象だ。そう、メイクとは道具を使った自己表現であり自己暗示。私が『ゴージャス☆アイリン』を読んでメイク道具を一新したように(別に、誰かを殺したかったわけではありませんが)、別の自分を探すツールなのだ。
前述したように、美の基準はひとそれぞれである。実際に私は女友達に「あれ? あんたメイクしないほうが目が大きいんだね」と指摘されたし、最大のコンプレックスだった額と眉毛を出したら「そのほうがいい」と言われる始末。
色白で地味目な顔立ちにはこれが一番だと思い込んでいたけれど…
前回の『もしかしたらモテていたかもしれない私』では恋愛に関する思い込みは呪いだと書いたが、この思い込みの呪いは自身のルックスにも影を落とす。私は10代~40代前半まで「前髪パッツンのロングヘア。色は黒か赤茶。メイクはライト系ファンデーションと黒系アイラインと赤系の口紅」と決めていた。色白で地味目な顔立ちにはこれが一番だと思い込んでいたのである。
ところがある日、姉に、
「おまえさあ、いいかげんその前髪やめなよ」
と吹矢でも吹かれたように、ごくさりげなく痛いところを突かれたのだ。
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