村上春樹の読み方・特別編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』後編

本連載の特別編、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)評もいよいよ最終回です。色彩、音楽、悪霊、パラレルワールドと様々なワードから読み解いてきた本書評は、読者を最も困惑させたであろうあの事件の犯人に迫ります。つくるを導く『指』の存在のように、村上春樹が本作を通して、私たちを導く先には何があるのでしょうか。

犯人は誰なのか?

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 この作品で興味深いのは、現実と荒唐無稽なパラレルワールドが二項対立しているだけではなく、描かれた現実が人の見方によってパラレルワールド的になることだ。パラレルワールドにおいてシロを殺害したのはつくるだが、現実でもまた視点の取り方によっては奇妙なパラレルワールドに似た様相になる。

 村上春樹の初期作品では、叙述をそのまま真に受けていくと不思議な物語なのに、冷静にテキスト内の事象を追っていくと別の構図が浮かび上がるトリックがある。『羊をめぐる冒険』では、高級娼婦の女性があたかも超能力を持つかのようなおとぎ話として描かれているが、テキストを冷静に追っていくと超能力など超自然的な事態はなく、主人公を籠絡するためのスパイの所業であることが見えてくる。

 この作品では、表面的にはシロをレイプしたのは誰かわからないかのように描かれているが、普通の推理小説として読むと、シロをレイプしたのはアオである可能性が否定しがたい。性格が純朴だと感じさせるアオだがその行動の証言は不自然だし、アオのつくるに対する行動にアカが疑問を持っていることも犯罪を暗示している。これらをパズル的に総合すると、アオがレイプ犯であるという可能性は消えない。

 アオはレイプ犯なのだろうか。アオはクロに恋情を寄せていたので、アオ自身がシロをレイプする動機はもたない。そのあたりでアオは犯人ではないかのようだ。しかし、レイプは被害者に見えるシロが引き起こしたと見るなら不自然ではなくなる。シロには悪霊が取り憑いているので、シロがアオをレイプに誘惑した可能性がある。その上で、シロがアオをつくると見なして狂乱したことも悪霊の仕業だったとも言える。また、アオの結婚時期はシロの殺害に重なっているし、この殺害もまたシロが誘惑した可能性がある。

 読者は困惑せざるを得ない。ここで「悪霊」なる存在を現実の事態の推理に持ち込んでよいのだろうか? パラレルワールドなら悪霊も不自然ではないが、現実世界に悪霊がいるのだろうか。非常識なようだが、この作品を忠実に読むかぎり、「悪霊」は現実の側にも存在している前提で書かれている。むしろこの作品は、悪霊を描くための物語でもある。こう言うべきかもしれない。悪霊という超自然的な存在を現実に導入するために、この作品はあたかも不自然な謎やパラレルワールドによって構成されているのである。

白、黒、灰のパラレルワールド

 現実世界でアオがレイプ犯である可能性は払拭されない。では、アカがレイプ犯である可能性はないだろうか。あるいは殺人犯である可能性はどうか。アカは同性愛者なので、レイプの動機は薄いとしても。

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