愛とは支配すること

うちの妻はできた女だ。結婚10年目なのに、美味い手料理を毎日三食つくる、家事も完璧、文句も言わず、セックスを拒むこともない。だから俺は、妻への愛を疑ったことなんてなかったんだ……あの時までは。

情けなくも愛すべきちょいダメ男たちを描いた山内マリコさんの小説集『選んだ孤独はよい孤独』の発売を記念して、cakes特別連載がスタート! 同時公開の海猫沢めろんさんとの対談もあわせてお楽しみください。

 同僚の吉田とは仕事以外に話すこともなくて、間が持たなくなるとつい「奥さん元気?」と訊いてしまう。吉田の結婚披露宴に呼ばれたのが五年ほど前のことだ。

「元気っていうか、ピリピリしてますね」

「ハハ、ピリピリしてるんだ」

「はい、子供が手ぇかかる時期なんで」

「あ、子供いくつ?」

「二歳っすね。魔の二歳児ってやつで」

「へー」

「育休中なんで、ずっと家にいるからストレス溜まるみたいで」

「育休かぁ。うらやましいな。それ、給料はもらえて、家にいるんだろ?」

「そうっすね。うちのは公務員なんで、三年くらい取れるみたいっす」

「はっ⁉ 三年も休めるんだ。すごいな、それ」

「だからのんびり子育てしててほしいんですけどね、なーんかピリピリしてて、俺が家に帰ったら、あれしろこれしろってうるさいんですよ」

「あれしろこれしろって何?」

「家のこと手伝えってことですよ。皿洗ったりとか洗濯物たたんだりとか」

「え、お前そんなことやらされてんの?」

「やってますよ……やらないと鬼の形相で怒鳴り散らしてくるんですもん」

「へぇーあんなきれいな奥さんがねぇ」

 披露宴のときは、唇をきゅっと結んで、一言も口を利かずにうつむいていた、あの奥さんがねぇ。

「もう別人ですわ。化粧もしないし。髪も短く切っちゃって、色気もないし。いつも眉間のとこにこう、シワが寄ってて。なんか顔が怖いんですよ」

「変わるもんだねぇ」

「子供はね、可愛いんですよ。でも俺が子供を可愛がって遊ぼうとすると、お前は世話してないくせにって空気を出してくるんですわ」

「えー、酷いねぇ」

「そうなんすよ。それで嫌味ばっかり言ってくるんで、どうすりゃいいのって感じで。帰りが遅いとかなんとか、いっつも怒られてます」

「たまんないね、疲れて帰ってそんなこと言われちゃ」

「ほんとですよ。だから俺、たまに仕事が早く終わったら、本屋とか寄ってぶらぶら時間潰して、それから帰りますもん」

「ハハ、それは奥さんが可哀想だよ」

「どうせ家にごはんの用意もないから、いいんですよ」

「え、ごはんないの? そりゃあ奥さん、妻の義務を果たしてないよ」

「だから居心地が悪くて悪くて……」

「気の毒だな、自分ちの居心地が悪いなんて」

「上岡さんちは居心地いいんですか? そんな家庭存在するんですか?」

「まぁそうだなぁ、うちは別に、居心地悪いって思ったことはないな」

「うらやましいですね。秘訣ってあるんですか? なにかケアしてるとか」

「ケアってなんだよ」

「奥さんのケアですよ。メンテナンス。定期的にプレゼントあげてるとか?」

「そんなことしないよ」

「じゃあやっぱ家のことやってるとか? ゴミ出しとか」

「するわけないだろ」

「なんにもしなくて奥さん怒りません?」

「いや全然。結婚してからケンカしたことないし」

「は? マジですか? そんな家庭あるんですか?」

「あるよ、あるある。うちはほら、押しかけ女房みたいなもんだから」

「なんすかその、押しかけって」

「俺が一人暮らししてたときに、うちのがよく飯作りに来てたんだよ」

「へぇー、いいっすね」 「料理が得意で、人に食べさせるのが好きだからって、食材こんな買い込んで」

「いい子ですね」

「まあな。正直、美人じゃないし、俺はそんなに好きじゃなかったんだけど、でも飯はうまいから、まあいいかなーって」

「ああ、胃袋をつかまれたってやつですね」

「そういうことかな。だから食事の用意がないなんてこと、あり得ないなぁ」

「それ本気でうらやましいですよ。うちのは料理が面倒だ面倒だって、しょっちゅうブーブー言ってるから」

「そんなんで作ってもらっても、美味くないよな」

「そうなんすよぉ〜。だったら外の定食屋で食べる方が、よっぽど美味いんですよ」

「俺、定食屋とか、結婚してから一度も行ってないかも」

「え、昼もですか? あ、そっか上岡さん、いつも弁当ですもんね」

「そうそう。朝飯だろ、昼は弁当だろ、夜ごはんだろ」

「三食とも手料理かぁ、いいっすね」

「手料理に慣れたら、こういう居酒屋の食べ物も、どっかつまんなくてな。この店のメニュー見てても、食いたいものそんなにないんだよ」

「へぇー。俺なんか、ここで栄養とらないと死ぬって感じですけどね」

「ハハ、奥さんにごますって、味噌汁とか煮物とか、ちゃんと食わしてもらえよ」

「ほんとっすね。食いたいですわ、そういう温かいもの。でもなぁ、作ったら作ったで、美味しいって言わないと機嫌損ねたりして、それはそれでまた面倒なんですよ」

「感想まで求めてくんのかよ」

「上岡さんとこ、そういうのないんですか?」

「ないない。俺なんか、食べっぱなしだから」

「ごちそうさまとか言います? 美味しかったとか」

「ごちそうさまくらいは言うよ。でも美味しかったなんていちいち言わないな」

「へぇー。そんなことしたら、うちの奥さん怒髪天ですけどね」

「ちょっと怖いよ、お前んとこの奥さん」

「ははは、ほんとですよ。うらやましいなぁ、上岡さんとこ」

「まあ、そのかわりうちのは、別に美人じゃないけどな」

「顔なんてどうでもいいんですよ、うまい飯さえ文句言わずに作ってくれたら」

 吉田は腕時計を見ながら、「まだみんな来ないっすね。馴れ初めも聞いちゃおっかなぁ」と言った。

「まあ、一方的に惚れられたのが、つき合った理由だな。俺はほかに好きな子がいたんだけど、いまの奥さんがガンガンアプローチしてきて、まあ、据え膳食わぬは男の恥ってやつで。すぐに妊娠して」

「え、そうなんですか⁉」

「でも結局それは間違いだったんだけど、妊娠してなかったってわかったときには、もう両親にも紹介してたし、俺も三十過ぎてたから、まあ、あとは流れで」

「なるほど……。奥さん、よっぽど上岡さんのこと好きだったんですね」

「ってことかなぁ? じゃなかったら十年も俺の世話なんてやってらんないだろう」

「あ、奥さん専業主婦ですか?」

「ああ。会社の受付やってたんだけど、すぱっと辞めてもらって。うちの両親も、その方が安心だからって」

「まあたしかに、奥さんは家庭に入ってもらった方が、なにかと安心ですよね。俺もそういうとこまで考えて選べばよかったなー」

「専業だから当たり前なんだよ、三食作るくらい」

「そうっすね。うちなんてつき合ってたころは可愛くていい子だったけど、結婚したら化けの皮がはがれて、態度が全然違いますもん。前はくしゃみするとき、はっ……くちゅんって、可愛かったんですけど、いまじゃあブワックショーイ! って、オッサンみたいなくしゃみかましてきますからね」

「それはないな……」

「えっ⁉ 本当ですか? これ、既婚の男に言ったら、みんなあるあるって盛り上がるんですけど」

「そうなの? うちのは、そんなはしたないくしゃみとか、ないな」

「オナラは?」

「そんなもん人前でする女いんのかよ」

「いますよ! うちのは人前でブーブー。まあ、なんか笑っちゃうんですけどね」

「は? 笑えないよそんなの。そんなことされて幻滅しない?」

「してますよぉー幻滅しきってますよー」

 そう言う吉田の笑い顔は、なんだか幸せそうだ。

 ようやく到着したクライアントと女子社員が合流して、四人揃って乾杯をした。女子社員が「二人でなに話してたんですか」と訊くので、吉田が要約すると、クライアントも「うちのもヒステリックでねぇ、こないだ深夜に帰ったら、トマト投げつけられましたよ。イタリアのお祭りかってね、ハハハ」と苦笑いで同調して、なんだかいい感じに話を弾ませている。独身の女子社員も、「でもそうやって本性を見せられるのって、結婚してる人の特権って感じですね」と微笑ましげだ。

「いやぁー、文句も言わずに三食、料理に腕を振るってくれるとは、上岡さんの奥さまがうらやましいですな」

 クライアントは言うが、それはいかにもお世辞という感じがした。

「そうですよ、奥さんの愚痴が出てこない人、めずらしいですよ」と女子社員。

 実はいま話したことは、氷山の一角に過ぎなかった。

 美味い手料理を文句も言わずに用意してくれるうえ、連絡せずどんなに遅く帰っても、妻は黙って待っていてくれた。風呂に入ると一言言えば、ピカピカに磨いて適温のお湯をはってくれるし、パンツは毎日きれいに洗濯されて引き出しに戻っている。休日にどこかに連れて行けなんてことも言わない。そしてセックスを拒むこともない。うちの妻は結婚前と、なにひとつ変わっていない。

 そんなことをつらつら話すと女子社員は、

「その奥さん、変ですよ」ピシャリと言い放った。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

選んだ孤独はよい孤独

山内 マリコ
河出書房新社
2018-05-22

この連載について

初回を読む
選んだ孤独はよい孤独

山内マリコ

山内マリコさんの最新作『選んだ孤独はよい孤独』は、情けなくも愛すべき「ちょいダメ」男たちの物語です。刊行を記念して、cakesでも特別掲載! サッカー部のキャプテンなのに人生の虚しさを知ってしまった男の子、サラリーマンになりきれない2...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

ganbaruninzin 女性が書いてるから耳心地がいいけど。こんな世話焼かせてくれる、自分が好きになれる男いないでしょ。 10ヶ月前 replyretweetfavorite

Shimanatee おほほほイラっとするわー山内さんが書いてると思わなかったら正気で読めないわー笑 10ヶ月前 replyretweetfavorite

Kawade_bungei 【山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』刊行記念その2】本書収録の作品が、いまなら無料で試し読みいただけます!!! 10ヶ月前 replyretweetfavorite