悲しみは喜びよりも不可欠である。憎しみは愛よりも不可欠である。

『デカルトの憂鬱』の著者・津崎良典先生は、「喜怒哀楽のない人生など考えられない。さりとて、感情の奴隷になりっぱなしの人生も困りもの。感情にはどのような『効用』があるのか、その『悪用と過剰』はどうすれば対処できるのか、これをきちんと理解しておくことが大事です」と言います。なぜなら、そうすることのうちに、人生を豊かに送るためのヒントがあるから、と。ここでは、デカルトとともに掘り下げていきましょう。

19 デカルトはしみじみと「感情を味わう」

今や私たちは、情念がその本性上すべて良いものであり、情念の悪用や行き過ぎをただ避ければよいことを知っている。 ―『情念論』第三部第二一一項

死んだはずの人間の復活はときどきある!?

 デカルトには、人の心のあらゆる襞に、あたかも解剖学者のように鋭利なメスを持って、あるいは迷宮に迷い込んだ冒険家のように蝋燭立てを持って、分け入っていくようなところがあります。人間観察の優れた実践者であったと言えるでしょう。

「たとえばある夫が、妻の死を嘆きながらも、(ときどき実際にあることだが)彼女が生き返るのを目撃したら、そのことを残念に思うような時、それでも葬式の道具や、一緒にいるのが当たり前だった人が今はもういないことで彼のうちに引き起こされる悲しみによって、心臓が締めつけられることはありうる。また〔彼女に対して〕まだ残っているいくらかの愛や哀れみが想像のうちに湧き起こって、本当の涙が彼の目に浮かぶこともありうる。にもかかわらず、彼は自分の魂の最も深いところで密かな喜びを感ずるのだ」

 デカルトはなんとも驚くべきことを述べています。そもそも、死んだはずの人間の復活が、たとえ括弧付きとはいえ、「ときどき実際にある」と述べられていることが破格です。なるほど復活は絶対にないとは言い切れない。ですから、彼の発言は一応認めておきましょう。

 しかし、それ以上に私たちの興味を掻き立てるのは、妻に先立たれた夫の複雑な心の動きに関する哲学者デカルトのそれは繊細な描写です。

 妻を喪った夫は、たしかに胸が苦しくなるくらいに悲しい。でも実は、死んでくれてよかったとも思っている。理由はいろいろあるでしょう。これで若い愛人との新しい生活を満喫できると目論んでいるのかもしれません。

 さりとてあの世に旅立った妻に「愛や哀れみ」をまったく感じていないと言えば噓になる。死んでくれてよかったには違いないが、時おり彼女との会話を思い出しては涙がこぼれる。病魔に侵されながら死んだのであれば、苦しかっただろうにと、彼女を悼む気持ちが湧いてきて、やはり目頭が熱くなる。

 人の思いはかくも複雑です。

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デカルトの憂鬱

津崎良典

悩みや心配、悲しみ、怒り、憎しみ……そんな「マイナスの感情を確実に乗り越えられる方法」はあるでしょうか? あの「我思う、ゆえに我在り」であまりにも有名な近代哲学の祖・デカルトが、私たちに降りかかるマイナスの状況にいかに対峙すべきか、「...もっと読む

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