ドラマでよくみるワンシーン「きちゃった」。
いま、ユウカの目の前で起きてる状態はまさに、それだった。
これまでユウカもこういうことをしたことがないわけじゃなかった。ユウカが付き合ってきた男たちはこういうことを素直に喜んでくれる性分だったから、約束がなくても合鍵で部屋に入り手料理を作って待つことはしばしあった。男の望みがわかるつもりでいたからユウカはあえて演出的にそうしてきたけど、いざ自分がそんな演出をされたら相当に困る。
なんでも準備ってものがある。会うことが決まってたらそれなりの下着をつけたり、外出用のメイクをしたり、ランチに食べるものを調整したり、他にだっていろいろある。だからいきなり家を訪ねてくるなんて……。
今まさに、そんな状況下に置かれたユウカは焦っていた。なんでこんな早朝にしかも教えたはずもない磯子の家に高畑がやってくる? 池崎とのいざこざのことは一瞬、頭を離れ、現実的に目の前の事態に対処をしないと……。
居留守を使おうと思っても、すでに返事をしたあとでユウカがいることはもうバレている。 こんな短い時間で準備をするなんて無理だと悟ったユウカは、とりあえず玄関のドア越しに高畑と会話しようと決めた。
「……た、高畑さん、突然どうしたの?」 「ユウカさんに会いたくて、いてもたってもいられなくなってきちゃった」
きちゃったって。でもこの時のユウカは困ってはいたものの、不思議とうれしいという気持ちが湧き上がってきていた。
「そう」平静を装った返事をする。 一呼吸おいて、ユウカは続けた。 「せっかく来てくれたのに申し訳ないけど、今起きたばかりで……駅前に喫茶店があるから、そこで待っててもらっていい? 40分でいくから」
「わかった。急にごめん」 高畑も一呼吸おいて、答えた。 「……でも、ありがとう。ゆっくり支度して。今日は1日フリーだから。じゃああとで」
高畑の足音が遠ざかったことを確認すると、ユウカは大慌てでシャワー室へと向かった。考えなくちゃいけないことは山ほどあったけど、とりあえず今は綺麗にすることが先決。
シャワーを浴びながらも何を着て行こうか、あのワンピースは気合を入れたと思われるだろうか、ラフなんだけど可愛げのある格好は……クローゼット内を思い浮かべながら身体を念入りに洗う。
普段は髪を巻くことが多いユウカだが、さすがに待たせているのに髪を巻くわけにはいかない。
直毛な髪の毛を綺麗にブローして、結局、スキニーパンツに鎖骨が綺麗に見える白いニットにした。女性は自分の美しい部位を知っている。うなじが綺麗な人は髪をアップにするし、豊満な胸の人は綺麗な谷間を強調した服を選ぶ。
ユウカはうなじも胸も自信がないけど、鎖骨には自信があった。 この横浜で何があるはずもないのに、黒の下着を身につける。(この前高畑に見せたのは純白の白だからあえて黒にした)
メイクが2時間だとか身支度に時間をかける女子は多いけど、ユウカはメイクを10分程度ですませる。理由は巻き髪の時と同じ。それにもともと目鼻だちが整っているから、それほど時間をかけなくても外出用に仕上がる。
ちょうど30分で準備が済み、ユウカは家を出た。
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