ウルトラマンのいなくなった地球 ~ウルトラ・シリーズの再出発②~

2010年代に入ってウルトラシリーズ、仮面ライダー、ヤマト、ガンダム、あるいは「ベルばら」「ポーの一族」等が次々と40、50周年を迎えている。これらは単に昔のものとしてあるだけでなく現役のコンテンツとして新作が発表され、映像化、舞台化されている。逆算すれば分かるが、大半は1970年代に始まった。1960年に生まれ、アニメ、特撮ものを最初期からTVで見ていた中川右介(作家、編集者)が「リアルタイムの記憶を基にして目撃譚」として描くサブカル勃興史。

記憶を辿りながら書きますが公にするからには、記憶にだけ頼り、間違ったことを書いてはいかないので、改めて調べ事実確認をして書きます。歴史家的視点と当時の少年視聴者・読者としての記憶とを融合させ「読者・視聴者としてサブカル勃興期を体験した者が書く歴史」を提示したいと思います(筆者)。

●『マイティジャック』の迷走

一九六八年の円谷プロダクションは『ウルトラセブン』の低視聴率だけでなく、四月から土曜夜八時にフジテレビ系列で放映された一時間ものの『マイティジャック』の失速という大問題も抱えていた。

 マイティジャックは秘密諜報機関の名称で、悪の組織Qと戦っている。このマイティジャックの主力メカがマイティジャック号という、飛行・潜水も可能な巨大戦艦で、この戦艦の動かし方が、特撮としての見どころとなる。「空飛ぶ戦艦」としては『宇宙戦艦ヤマト』をはるかに先駆けていた。

 ドラマ部分は日活のスターだった二谷英明を主人公役に起用した、007あるいは『スパイ大作戦』を意識した本格スパイアクションだ。番組全体としてはスパイアクションこそがメインで、特撮は添え物的だった。怪獣は出てこない。

 円谷プロダクションが社運を賭けた『マイティジャック』だったが、八時台の放映で大人を対象とした本格ドラマだったのに円谷=怪獣というイメージが定着しており、特撮の戦艦が出てくるので、大人は怪獣ものの一種と思って敬遠した。特撮が好きな子供は怪獣が出てくると期待したのに出てこないので見なくなる。このような最悪の事態となり、視聴率において見事に失敗した。

 第一回が一一・三パーセントで、第四回は七パーセントにまで下がってしまい、以後も浮上することはなかった。

 円谷プロダクションが危機にあったと知るのは後のことだが、『マイティジャック』の迷走ぶりは小学生にも分かった。途中から『戦え! マイティジャック』という怪獣ものになってしまったのだ。

 低視聴率のため二六回の予定が一三回で打ち切られてしまうと、円谷プロダクションはフジテレビと交渉し、七月からは三〇分番組『戦え! マイティジャック』として仕切り直した。時間帯を夜七時からに移して、今度は怪獣の出てくる子供向けのものにして、一二月まで放映したのだ。

 というわけで、一九六八年の円谷プロダクションは、前年から『ウルトラセブン』が続いているところに、四月からは『マイティジャック』が加わり二作となり、七月から九月は『ウルトラセブン』と『戦え! マイティジャック』の二作、その後は『怪奇大作戦』と『戦え! マイティジャック』とずっと二作を並行して作っていたのである。

 日曜夜七時のタケダアワーは、『怪奇大作戦』が終わると、次は円谷プロダクションではなく東映京都撮影所が制作する特撮時代劇『妖術武芸帳』が始まった。

 妖怪ブームに便乗したものだが、もうブームは終わっていたのか、子供の求めるものではなかったのか、視聴率がふるわず、三か月一三回で終了した。僕はこの番組は記憶がない。見ていなかったのだろう。僕が見るようでなければ、高視聴率にはならない。

『妖術武芸帳』は一三回で打ち切りとなるが、東映との契約は半年だった。東映は何とか後番組を受注しようとかけあい、急遽、決まったのが、『柔道一直線』だった。梶原一騎原作で「少年キング」に連載されていたマンガの実写ドラマ化である。マンガは当初は永島慎二が描いていたが、途中で斎藤ゆずるに交代した。

『巨人の星』には一年遅れていたが、まだまだ梶原一騎原作のスポ根ブームは続いており、『柔道一直線』は常に二〇パーセントを超える人気番組となった。僕も、もちろん見ていた。

 しかし、それも「ブーム」である以上、二年も続けばいいほうだった。

●ウルトラの空白期

思えば一九六〇年生まれは、幼児期に手塚治虫の『鉄腕アトム』に出会い、幼稚園時代に『ウルトラマン』『サンダーバード』に出会って「特撮もの」を知り、幼稚園から小学校低学年で『オバQ』『パーマン』などの藤子アニメに親しみ、二年生から四年生にかけて、『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』『柔道一直線』『アタックNo.1』『サインはV!』による「スポ根」ブームと、『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪ブームと、『ハレンチ学園』のハレンチブームに次々と遭遇した世代なのだ。

 こういう世代も珍しいのではないだろうか。別に「偉い」わけではないが、サブカル史上に残るブームにリアルタイムで出会い続けたことに、ある種の特権を感じるのだ。この後も、『マジンガーZ』や『宇宙戦艦ヤマト』が待っている。

 通っていた小学校では、一・二年の担任は中年か初老の女性(正確な年齢は知らないが、母より年長だった)で、学校にマンガを持ってくることは禁じられていたが、三年になって若い男性教員が担任になると、マンガは解禁された。

 新しい担任は、大学を出て二年目か三年目だった。つまり学校は、入学したばかりの一・二年生と授業内容も難しくなる五・六年生はベテランに担任させ、どうでもいい三・四年生は若い教員に担任させる方針だったのだ。その担任自身がマンガ好きで、生徒から借りて読んでもいた。

 というわけで、一九六九年から七〇年、僕のクラスはマンガの貸し借りが盛んだった。

「少年マガジン」が『巨人の星』『あしたのジョー』『天才バカボン』『ゲゲゲの鬼太郎』を擁して一〇〇万部を突破し、少年誌として最高であるばかりか、日本でいちばん売れている週刊誌だった時期だ。

 思い出したが、当時のウルトラ・シリーズは、雑誌では講談社系のものに載っていた。「少年マガジン」には、桑田次郎が描く『ウルトラセブン』が放映時には連載されていた。いまでいうメディアミックスが、ウルトラ・シリーズではすでに定着していたのである。

「少年マガジン」では大伴昌司によるグラビアページで、怪獣やメカ、秘密基地が詳細に図説されていた。そこにはテレビを見ているだけでは分からない情報が満載だった。ここにおいて、ただテレビを見ているだけの少年と、雑誌でさらに詳しく知っている少年との間に情報格差が生まれ、後者は「怪獣博士」として尊敬を集める(バカにされてもいたが)。

 同時に少女マンガでも『アタックNo.1』と『サインはV!』というスポーツマンガがテレビ化もされて人気があり、男子もクラスの女子から借りて読んでいた。

 さらに僕にとっては、手塚治虫と石ノ森章太郎、白土三平のコミックスを読みあさっていた時期でもあった。

 マンガは新書判のコミックスが各社から刊行され始めた時期で、週刊誌、月刊誌、コミックスの貸し借りが盛んになされていたのだ。これは小学生だけではなく、もっと上の世代も同じはずだ。学校での貸し借りだけでなく、ラーメン屋や理髪店にも少年誌は置いてあったから、「少年マガジン」が一〇〇万部売れていたとしたら、読者の数は五倍、一〇倍はあったはずで、まさに日本一読まれている雑誌だった。

●苦肉の策「ウルトラファイト」のもたらしたブーム

面白いものがたくさんあったので、小二の秋に『ウルトラセブン』が終わっても、大きな喪失感があったわけでもない。

 このまま完全に終わったら、ウルトラマンもウルトラセブンも、月光仮面のように当時の子供たちの想い出のなかに残るだけであったろう。実際、同時期にテレビやマンガで生まれたヒーローの多くは、その後、復活していない。

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中川右介 /角川新書

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a_tocci 子供は怪獣が出てくると期待したのに出てこないので見なくなるという、最悪の事態となり、視聴率において見事に失敗した。第1回が11.3%で、第4回は7%にまで下がってしまい、浮上することはなかった。 https://t.co/sJUCG0mFGU 8ヶ月前 replyretweetfavorite

a_tocci 円谷プロダクションが社運を賭けた『マイティジャック』だったが、8時台の放映なので大人を対象としたのに円谷=怪獣というイメージが定着し、特撮の戦艦が出てくるので、大人は怪獣ものの一種と思って敬遠し、https://t.co/sJUCG0mFGU 8ヶ月前 replyretweetfavorite