我が国には、「おじさん文学」というものがございます
まずお酒。それから女の人への理想と文句。そして仕事論。最終的に「人生」を語る、それがおじさん文学です。この国には脈々と受け継がれるおじさん文学の系譜があるのです。
……というと、いきなりなんのこっちゃ、というお話なのですが。
でも、本当なんです。日本には「おじさん文学」としか形容のしようがない文学群があるんです!
「いや、日本以外にもおじさんが書いた文章なんていくらでもあるじゃない」と言われそうなのですが。意外と、外国文学を見てみても、発見するのが難しいんです。外国の作家たちは、あんまり「おじさんである」ことを押し出さないんですよね。
たとえばヘミングウェイやドストエフスキーやトルストイを見てみても、どちらかというと「まだまだ若いぜ俺は!」という風格を醸し出してます(あえて言うならハードボイルド小説みたいなジャンルがおじさん文学なのかな)。
しかし日本を見てみると……たとえば『徒然草』というエッセイを書いた吉田兼好。実際に『徒然草』を書き始めたとき、彼はまだ20代だったようなのですが、文章上では「おじさんのふりをして書く」という芸風(!)を持っていました。しかもお坊さんなので、割と「えらいおじさん」のふりをして、『徒然草』を綴っていたんですね。積極的おじさん歓迎風味。
『徒然草』の「風が吹くまでもなくうつろってくのが人の心~」なんてしみじみとした言葉は、若造が書くより年取ったおじさんが書くほうが風流っぽい、という吉田兼好の案外あざとい戦略が炸裂した結果ですね……。
今でいえば、リアルで新入社員をしてる男の人が、ネット上では管理職のおじさんのふりをしてブログを書くようなものです。そういえば、最近流行りのバーチャル美少女Youtuberよろしく「女の人が使う文字で日記書いてみたよ~」とのたまったおじさんもいましたね……(※『土佐日記』の紀貫之)。日本文学のおじさん、どーなっとんねん。
あるいは古典から離れ、現代を見渡してみても「おじさん文学」の系譜はしっかりと受け継がれております。たとえば内田樹先生の『おじさん的思考』(角川文庫)は、続編のパート2が出るくらい売れている、らしい。この本を読んでいるのがおじさんなのかおじさんでない人たちなのかは謎ですが、日本に「おじさん」として文章を書くことが受け入れられている証拠でしょう! 読むとインテリなおじさん教授のおもしろい講義を受けている気分になるのでおすすめです。
そんなわけで、日本には「おじさん」が書いた文学、というのが脈々と受け継がれているんですよね。ダンディで、知識と経験があって、実はけっこうピュアで、もう若くないんだけどねってちょっと傷つきつつ、美味しいお酒とごはんに舌鼓を打っている。お、お金と時間があるっていいな~! と若者からしたら羨ましいかぎりですがっ。
最近終わったばかりのドラマ「おっさんずラブ」(テレビ朝日)を見ると、日本の「おじさん」への信頼はまだまだ受け継がれているんだな、と感じます。
おじさん、って言うとちょっとネガティブな言葉に聞こえるけれど、おじさんが頑張ってる姿ってええやん! ていうかあんな素敵なおじさん上司がほしいっ! という、積極的おじさん肯定。もちろん田中圭さんとか吉田鋼太郎さんの演技が素晴らしかったからという点もあるかとは思うのですが(なんであんなに田中圭さんは憎めないダメ男がうまいんだ)。