2001年愛のうた

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシュアリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。

透明になりたいと願いながら生きる「ぼく」は、小さい頃に聴いていた、ある歌を思い出します。

 さくちゃんと会ってから、ぼくは子どものころのことをいままで以上にしつこく思い返している。当然、大概が93年から96年までの記憶だ。97年になると飛び飛びになって、逃げ水みたいにゆらいで消える。

 だからぼくは、記憶が97年のはじまり、つまりセーラームーンのおわりに行き着くと、カセットテープみたくギュルギュル時間を巻き戻す。これから消えるまでのあいだ、延々あの三年間のなかに閉じこもっているつもりだ。

 さくちゃんとは、あれから毎日ラインをしている。ぼくとおなじように、さくちゃんはあのころの日々を、ちょっとしたことでもよく覚えているという。いやだったこと、かなしかったこと、なんとも思わなかったこと、日の傾いた空き地の景色や匂い。すべてなにもかもをあざやかに。

 あそんだ日の記憶を照らし合わせとき、お互いの記憶がきちんと嚙みあうと、ぼくたちはいちいちはしゃいでしまう。

 だって忘れたくなかったんだよ。忘れたくないから、さくちゃんと会えなくなってからもずっと、何回も何回も思い返していたんだよ。砂金のようにささやかで、たいせつなぼくたちの子ども時代。だけど未完のまま終わってしまった。


 しかしさくちゃんとラインを飛ばしあうなかで、ただひとつ忘れていたことがあった。

「そういえばゆうくんちいくといつも聴かせてくれたレコード、あったよね。なんのうただったんだろうあれ」

 ぼくはまったくピンとこなかった。なにそれ?

「えー、どんなうた?」

「未来のうた。あかるいうただよ」

 そこまで言われて、ぼくはやっと思いだした。あれだ、「2001年愛の詩」だ。


 幼稚園のころ、レイアースの海ちゃんになりきって物置きを冒険していたら、父が青年だったころに集めていたレコードの束を見つけたことがあった。カセットテープかCDしか知らなかったぼくは、そのうすっぺらい巨大なドーナツ型が、いったいなんであるのかもわからなかった。

 父にたずねると、盤面の溝を針がなぞると音がでるという。  それを聞いて、ぼくはただおそろしかった。なにか悪魔的な音声がギイギイ流れるんじゃないかと想像して、自分の指紋すら見るとぞっとした。

 ジャケットには、宇宙をただよう女の子たちのイラストと共に、英語のタイトルが書かれていた。その意味をたずねると、父はすこし照れくさそうに言った。

「愛は地球を救う」


 父のレコードプレーヤーは学生時代に使いこんだせいかこわれていて、ぼくはすぐにそのレコードを聴くことができなかった。機械をいじるのが好きな父は、ホームセンターで工具をたくさん買ってきて、それから二日ほどかけてレコードプレーヤーを直した。ぼくはそんな父を頼もしく思ったけれど、やっぱり自分はそうなれないというかなしみから、逃げることはできなかった。

 そうしてレコードは、誇らしげな父とせつないぼくのあいだで、おどるように優雅にまわりながら、あかるい未来のうたを奏ではじめた。


 2001年、われわれ地球人はなんらかのきっかけでほんとうの愛を知る。すると、われわれの行く末をこっそり案じていた宇宙人たちから、いっせいに祝福をあびる。

「おお諸君、地球の諸君、すみからすみまでおめでとう。いよいよ諸君も宇宙の仲間に認められました」  困惑するわれわれ地球人をよそに、宇宙人たちはつづける。

「諸君の歴史は愛の歴史といえるでしょう。愛をたずねるふしぎな旅を 重ね重ねて何千年 重ね重ねて何千年……」

 あらゆる争いも、めぐりあいも、それまで愛と信じていたものもなにもかもが、ほんとうの愛に行き着くための旅だったというのだ。

 ほんとうの愛を知った証として、われわれは宇宙人たちの目の前で、愛という言葉を手放してみせる。

「ようやく諸君も気がつきましたね 愛することがあたりまえなら、愛という字はいらないことに」

 そうして地球じゅうすべての辞書から、愛という字を消してしまうのだ。

 地球人も宇宙人も、ありとあらゆる生き物すべてが、ほんとうの愛でひとつになる。みんなが笑顔で、幸せいっぱいで、つらいこともかなしいこともなにもなくなる。

 それはどんな世界だろう。だれもひとりにならないお祭りであり、パーティーであり、輪っかなんじゃないだろうか。

 ぼくは2001年の未来に、きっとそんな光景に出会えると信じた。

 だから幼稚園や小学校がつらくたって、セーラームーンが終わったって、さくちゃんに会えなくなったって、それを信じて乗りきった。

 2001年になれば、きっとセーラームーンが帰ってくる。さくちゃんにもまた会える。学校だってたのしくなる。愛することがあたりまえの時代が、きっといまにくる。

 しかし、実際の2001年はどうだったろう。


 あの日の朝、ブラウン管のまえで、ぼくは寝ぼけ眼のまま、猛スピードでビルにぶつかっていく飛行機の映像を観ていた。あんなにちいさなものが、たったふたつぶつかっただけで、それより何百倍もおおきなビルが木っ端微塵になってしまうなんてこと、10歳のぼくにはちっとも想像がつかなかったし、それによってたくさんのひとがしぬということも、正確には捉えきれなかった。

  それどころか、とつぜんニューヨークの空に現れた飛行機を、ぼくは半ば本気で宇宙船かも、なんて思っていた。とうとう宇宙人が、例の件で地球にやってきたのだ。

 いまにくるぞ、いまにくるぞ。まぬけな宇宙人がきっとくる。そして窓の割れた宇宙船からひょっこり顔をだして言うんだ。

「すみません、ちょっとぶつけちゃいました」


   たくさんの人がしんだ。たくさんの人が涙を流した。

 瓦礫から立ちのぼる黒煙はそのまま時代を飲み込み、あれから16年経ったいまも地上を呪いつづけている。そのしたで、われわれの世界は今日も、おもしろいくらいにわるいほうへ向かっている。

 当然、ほんとうの愛に行き着いた痕跡はどこにもない。父のレコードもプレイヤーも、いつのまにかどこかに消えてしまったし、ぼくだってあの家にはもういない。

 いまとなっては、テレビから聞こえる愛は地球を救うというフレーズも、とてもむなしく、軽薄に響いてくる。

 こんなことになるまえに、われわれは愛で地球を救うべきだったんだ。


「思いだした。2001年愛の詩だよ」

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ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

痛みと共に捨て去った、ひかりをぼくは取り戻す―― エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これ...もっと読む

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コメント

filocaloca 「こんなことになるまえに、われわれは愛で地球を救うべきだったんだ。」熱くなった。 1日前 replyretweetfavorite

jyokondo 幼児期のアヤちゃんに会って、あなたはそのままで良いといってあげたくなる。毎回涙でるわ 8日前 replyretweetfavorite

honya_arai 《愛することがあたりまえの時代が、きっといまにくる。 》→ 8日前 replyretweetfavorite

Kawade_shobo 【連載更新】少年アヤさんの連載「ぼくは本当にいるのさ」更新されました。一週間無料で読めます! 8日前 replyretweetfavorite