生田斗真「嵐だったかもしれない」からの20年

役者として映画界の重鎮からも評価される生田斗真さん。CDを出すことで、ジャニーズJr.を卒業し正式デビューとなるジャニーズ事務所にあって、CDデビューせずにジャニーズタレントになった異例の存在です。
どのグループにも属さず、同年代が次々にデビューしていくなか、いかにしていまの地位を築き上げたのか。〝誰でもいい〟から〝誰も代わりがきかない〟存在になっていった、ジャニーズタレントの努力に迫ります。

「10代後半、仕事がなくてまったく先が見えなかったころ、
ここで結果出さないと次がないと必死だったことを思い起こすと、
先がないことで出る底力が懐かしいことも」
(生田斗真,1984-)

嵐の一員だったかもしれない生田斗真

“少年A”の友人という難役を演じた現在公開中の映画『友罪』(瀬々敬久監督)や太宰治の『人間失格』(荒戸源次郎監督)、トランスジェンダーの女性を演じた『彼らが本気で編むときは』(荻上直子監督)など、日本映画界の重鎮にも愛される役者・生田斗真。グループを組んでいるわけではないので、ジャニーズという認識がない方もいるかもしれません。

しかし、生田斗真は2015年にこんなことを語っています。

「あの時、嵐の一員となってもおかしくなかったんです」

あの時、とは1999年の嵐の結成時。冗談でも大げさな言い方でもありません。事務所の同期は嵐の松本潤や、相葉雅紀、二宮和也。実はこの3人と斗真の4人で、嵐のデビュー前までは、ジャニーズJr.内でMAINというユニットを組み活動していたのです。実際、嵐のメンバーが発表されたときはファンの間でも「なぜ斗真がいないの?」ということが物議をかもしたほどでした。

ちなみに、ジュニア時代からの親友・山下智久は斗真のことをこう評します。
「斗真は前例を自分で壊しながら、自分の力で仕事を勝ち得てきた」
この言葉が、斗真の人生を表すのに、最も適しているかもしれません。

前例に倣うのではなく、前例を壊す。そして、自らが前例になる。これは、ジャニーズ事務所という半世紀以上続く伝統を、いい形で変えていき、『ジャニーズタレント』という言葉の定義を変えた男の話です。

幼少期からブレイクするまで

基本的にジャニーズJr.はCDを出すことで晴れてジュニアを卒業し、正式にジャニーズタレントとしてデビューすることになります。ジュニアは既にテレビに出たりして仕事をしていても、ジャニーズ内では研修生扱いで、人生の大きな保証にはなりえません。たとえば、V6の坂本昌行は20歳を越えてもデビューができずジュニアのままだったので、悩んで一度は就職をしたほど。それほど、デビューできるかどうかは人生を左右する大きなものです。しかし、生田斗真はジュニアになってから今に至るまでCDデビューをしないまま。ただ、既にドラマや映画の出演は40本を越えています。嵐としてデビューできなかったいちジュニアが、主演級の俳優になるまで、何があったのでしょうか。

まずはここで、斗真の経歴を振り返ってみます。斗真は、ジャニーズ事務所に入ってすぐに活躍を始め、1996年、小学校6年生のときから『中居正広のボクらはみんな生きている』『天才てれびくん』といったバラエティ番組に出演。1997年にはNHK朝の連続テレビ小説『あぐり』で、主人公あぐりの息子、吉行淳之介をモデルにした人物を演じるという大役を任され、大きく認知度を高めます。

しかし、一般的なブレイクは2007年夏に放送されたドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』と言っていいでしょう。このドラマで、共演した小栗旬や水嶋ヒロらとともに人気が沸騰。これを機に出演数も役の大きさも比べものにならないほどになっていきます。

……と書くと順風満帆のようですが、97年(13歳)の『あぐり』から2007年(24歳)の『イケメン♂パラダイス』まで丸10年です。『あぐり』以降、深夜ドラマや単発の出演などはあったものの、大きなドラマへの主演レベルでの出演はありません。そこで次にこの空白の10年を振り返ってみましょう。

空白の10年間に打ち込んでいたもの

この10年間、斗真は多くの仲間のデビューや退所を見送ります。斗真は90年代後半、今の嵐のメンバーや滝沢秀明、今井翼らとともにジュニアの黄金期を牽引する存在でした。しかし、99年には嵐が、2002年にはタッキー&翼がデビュー、2003年には親友である山下智久がNEWSとしてデビュー(後に山下は脱退)、2005年には斗真と同年代でありながら後から入所したメンバーを中心に構成されるKAT-TUNの人気が沸騰します。

こうして、90年代後半はジュニアの中心的存在だった斗真も、徐々に〝残された〟存在に。ジュニアの番組にすら露出しなくなっていきます。ジャニーズが全員集合するカウントダウンコンサートを除いては、『ジャニーズJr.』全体としてのライブにも、2002年以降は出なくなっていくのです。

普通のジュニア達は、CDデビューを目指し、日々歌やダンスを磨くころです。斗真は何をしていたのでしょうか。
それは、演技です。
しかも大きくはない劇場の舞台で、です。

2002年、劇団☆新感線の舞台『スサノオ』に出演します。劇団☆新感線は、筧利夫や古田新太らを輩出した、日本の商業演劇界の中心にいるといってもいい劇団。そこで芝居の楽しさに目覚め、舞台人とも仲良くなっていきます。そうして舞台にハマっていくのです。

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ha_chu "己の道を突き進んだとき、周囲との差は劣等感ではなく笑い飛ばせるものになっているのです。 おそらく、それは周囲との差が上下のものではなく、ただ左右に道が分かれただけだ、と気づけるから。" https://t.co/v2HojMuCfW 6ヶ月前 replyretweetfavorite

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