『バチェラー・ジャパン』を観る
20人の女性が1人の男性に選ばれるまでを追う番組『バチェラー・ジャパン』を観ている。デートを繰り返す度に、今回のデートの位置づけを男性が語る。誰それのことを深く知りたくなったとか、これまでとは違った一面を見てみたいとか、この前のデートで弱さを見せてくれたところにグッときたとか、あまりに表層的な言葉の羅列に驚くのだが、表層的な言葉を積もらせることに躊躇いがない主人公でないと、この手のエンターテイメントは成立しないのだから、まったく適当な人材なのだろう。
この男性が役員を務める大手ネット企業に何度かお邪魔したことがある。とにかくたじろいだのが、エレベーターに乗り込んでくる人たちが、その直前まで続けていたテンション高めの会話を維持したまま乗り込んでくること。あの狭い空間に対する躊躇いのなさに驚いたのだが、ものすごく適当なことを言えば、あれこれ躊躇っていてはいけない厳しい世界なのだろう。「来月までに結果出せ」みたいな世界の力学は、「あっ、もう6月か」と6月2日に気付くこちらの力学とは相反する。だからこちらは、あちらを理解しようともせず、「中の人たちの様子を確認せずにエレベーターで会話を続行するなんて傲慢」と結論づけたりする。あちらはこちらをどうやって結論づけるのだろうか。視界に入ってすらいないのかもしれない。