連載終了危機を乗り越えて ~『ドラえもん』の静かな始まり④~

2010年代に入ってウルトラシリーズ、仮面ライダー、ヤマト、ガンダム、あるいは「ベルばら」「ポーの一族」等が次々と40、50周年を迎えている。これらは単に昔のものとしてあるだけでなく現役のコンテンツとして新作が発表され、映像化、舞台化されている。逆算すれば分かるが、大半は1970年代に始まった。1960年に生まれ、アニメ、特撮ものを最初期からTVで見ていた中川右介(作家、編集者)が「リアルタイムの記憶を基にして目撃譚」として描くサブカル勃興史。

記憶を辿りながら書きますが公にするからには、記憶にだけ頼り、間違ったことを書いてはいかないので、改めて調べ事実確認をして書きます。歴史家的視点と当時の少年視聴者・読者としての記憶とを融合させ「読者・視聴者としてサブカル勃興期を体験した者が書く歴史」を提示したいと思います(筆者)。


この時点で『ドラえもん』は「一年生」から「六年生」まで連載されている(他に幼年誌でも)。藤子不二雄は一九七四年三月号での連載終了をいったんは決めて、学年誌各誌に最終回を描いた。つまり六つの最終回がある。

●『ドラえもん』の最初の最終回

そのなかで重要なのは「三年生」の七四年三月号、読んでいたのは、一九六四年度生まれだ(七一年四月入学)。

物語は—ドラえもんが、未来へ帰ることになった。その理由については、はっきり言わないが、どうしようもないらしい。のび太は「なんとかして」と泣きつくが、母から「ドラちゃんにはドラちゃんの都合があるのよ」と言われ、父からも「ひとにばかりたよっていては、いつまでたっても一人前になれんぞ。男らしくあきらめろ」と諭される。

 ひとつの布団にいっしょに寝る、のび太とドラえもん。眠れないので、朝まで語り合うことにして、二人は外へ出る。「ジャイアンやスネ夫に意地悪されても、やり返せるか」と言うドラえもんに、「ばかにするな」と答えるのび太。ドラえもんは涙が出てきたので、それを見せたくなくて、「そのへんを散歩してくる」と言って、どこかへ行く。

 そこへジャイアンがフラフラと寝ぼけながらやってきて、のび太を見つける。二人はけんかになり、当然のようにのび太は叩きのめされるが、「まだ負けてない」と立ち上がる。「ぼくだけの力で勝たないと、ドラえもんが安心して帰れないんだ」と、何度殴られても向かって行くのび太。一方、ドラえもんは、のび太が帰ってこないので心配して空き地に行く。のび太はまだジャイアンとけんかをしていて、さすがのジャイアンも「悪かった、おれの負けだ」と言う。そこへ駆けつけるドラえもん。「勝ったよ、ぼく」とのび太は言う。「勝ったんだよ。ぼくひとりで。もう安心して帰れるだろ、ドラえもん」。

 朝、のび太が起きると、もうドラえもんはいない。

 最後のコマでは、部屋にポツンとひとりで、だけど微笑んでいるのび太。「ドラえもん、きみが帰ったら、部屋ががらんとしちゃったよ。でも、すぐになれると思う。だから……心配するなよ、ドラえもん」—と、感動的に終わるのだった。

 他の学年では、このような「最終回」らしい最終回にはなっていない。そして実際、連載は四月号になっても続いていた。このあたりは推測になる。

 小学館との間で『ドラえもん』連載終了の話が持ち上がり、藤子もいったんは了解し、「四年生」「五年生」のために新連載『みきおとミキオ』を用意した。連載時の「いま」である一九七四年にいる「みきお」と、一〇〇年後の二〇七四年にいる「ミキオ」とが入れ替わり、現在と未来を行き来するという、高度なSFである。七四年五月号から七五年三月号まで連載された。

●『ドラえもん』再開

藤子は、『ドラえもん』の「三年生」七四年三月号だけは感動的な最終回にした。描いたときは本当に終えるつもりだったのだろう。ところが事情が変わった。次号、つまり「四年生」七四年四月号に「帰ってきたドラえもん」を描くのだ。

 ドラえもんがいなくなり、元気のないのび太。そこへスネ夫がやってきて、ツチノコを見つけたから捕まえるのを手伝えと言われ、のび太はそれを信じるが、ウソだった。次にジャイアンがやってきて、ドラえもんを見かけたと言って、のび太を喜ばす。しかし、それもウソだった。その日はエイプリルフールだったのだ。

 騙されたと知って、のび太はしょげる。そして、ドラえもんから「我慢できないことがあったら、これを開け」と言われていた、ドラえもんの形をした人形があったことを思い出す。それを開けると、「ウソ800」という薬で、これを飲んでしゃべると、しゃべったことがウソになるという。それを飲んで、ジャイアンとスネ夫のもとへ行き、「雨が降らない」と言うと大雨となり、スネ夫に「きみは犬に噛まれない」と言うと、犬に噛まれ、ジャイアンには「ママに褒められる」と言うと、彼の母親がやってきて怒る。

 こうして復讐を終えたのび太は、家に帰る。母に「ドラちゃん、いた?」と聞かれ、「ドラえもんがいるわけないでしょう」と言う。そして部屋に戻ると、ドラえもんがいた。「ウソ800」の効果だった。

 こうして五月号以降、他の学年でも『ドラえもん』は続き、「四年生」「五年生」は『みきおとミキオ』との二本立てになる。

●学年誌を超えて、永久コンテンツへ

藤子不二雄は『ドラえもん』連載終了の危機を連載強行で乗り越えると、その夏、てんとう虫コミックス版『ドラえもん』第一巻が発売された。

 連載が始まって四年が過ぎていたが、それまで『ドラえもん』はコミックスになっていなかったのだ。学年誌連載のマンガはコミックスとして出ることがほとんどないので、『ドラえもん』だけが疎んじられていたわけではない。

 もともと小学館は「少年サンデー」がありながらコミックスは出遅れていた。たとえば手塚治虫の「少年サンデー」連載作品の『W3』『バンパイヤ』『どろろ』は秋田書店のサンデーコミックスから出ていた。小学館にはゴールデン・コミックスがあったが、「手塚治虫全集」全四〇巻と白土三平の『カムイ伝』などを出していて、「少年サンデー」とはほとんど連動していなかった。一九七四年になってようやく少年サンデーコミックスというレーベルが立ち上がり、楳図かずお『漂流教室』が最初の一冊となったところだ。

 藤子の『オバケのQ太郎』『パーマン』『21エモン』『ウメ星デンカ』『モジャ公』の単行本は、虫プロ商事の虫コミックスから出ており、『ドラえもん』も同社で出す計画があった。しかし一九七三年八月に虫プロ商事が倒産し、虫コミックスもなくなってしまい、『ドラえもん』の出版計画はなくなった。この禍が、しかし福と転じた。

 小学館社内で少年サンデーコミックス発刊が計画されたのと同時期に、藤子不二雄から原稿料の値上げ要求があった。しかし学年誌としては値上げは難しく、藤子の収入アップのためにコミックスとして『ドラえもん』を出してはどうかとなり、藤子も同意した。こうして『ドラえもん』のためにてんとう虫コミックスの発刊が決まり、全六巻の予定でスタートした。

『ドラえもん』の奥付の発行日は、第一巻が七四年八月一日で、以後毎月一日に発行され、最後となる第六巻は七五年一月一日である。第六巻のカバーでは、ドラえもんが中央に大きく描かれ、その周囲をのび太、ジャイアン、スネ夫、ドラミ、しずか、パパ、ママが取り囲み、みな手を振っている。つまり、さよなら、と読者に挨拶をしているのである。発売時点で、このてんとう虫コミックス版『ドラえもん』が六巻で終わるつもりだったことは、このカバーからも明らかだ。第六巻最後の作品が、前述の「三年生」七四年三月号のものだった。

 ところが、第一巻から予想以上によく売れた。学年誌で『ドラえもん』を読んでいた子はすでに数百万人はいた。しかしみな自分の学年のものしか読んでいない。雑誌を保存しておく子も少ない。『ドラえもん』をもっと読みたい、もう一度読みたい、という潜在需要があったのだ。

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すべては1970年代にはじまった

中川右介 /角川新書

2010年代に入ってから、ウルトラシリーズ、仮面ライダー、ヤマト、ガンダム、あるいは「ベルばら」「ポーの一族」などが次々と40、50周年を迎えている。それらはみな、単に昔のものとしてあるだけでなく、現役のコンテンツとして新作が発表され...もっと読む

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コメント

ken_373 #ドラえもん 9ヶ月前 replyretweetfavorite

NakagawaYusuke 連載「すべては1970年代にはじまった」 ドラえもんの巻は今回で終わりです。 『ドラえもん』の静かな始まり④~| https://t.co/YzpkcnPSnQ 9ヶ月前 replyretweetfavorite

Fujicop このシリーズ面白い。  9ヶ月前 replyretweetfavorite

NakagawaYusuke 70年代についての連載第4回です。 9ヶ月前 replyretweetfavorite