結局ぼくたち消えたくなってる

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシュアリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。

透明になりたいと願いながら生きる「ぼく」には、小さい頃、セーラームーンのおもちゃで一緒に遊んだ幼なじみがいました。

 あれからぼくの透明化はいたって順調にすすんでいる。めぐるの話では、もう片方の脚もうっすらと見えなくなっているらしい。

 もうじき消える。すこしの匂いや気配、かすり傷のような記憶をあたりに薄く残して、ぼくは消える。あーよかった。これでやっと世界と、ぼく自身とおさらばだ。せいせいする。

 鏡を見ると、こころなしか顔がいきいきしている。終わりが近づいてやっと、安心していのちが輝きだしたみたいに。

 ちょっとおそい。


 ここ数日、ぼくはわざわざバイトを休んで、本腰を入れて部屋のおもちゃたちを処分している。ちまちまフリーマーケットで売っていたんじゃ、もう間に合わないかもしれないから。

 昨日はなじみのコレクターショップにわざわざワゴンで出向いてもらって、パワーショベルでえぐりとるみたいにいろいろ持っていってもらった。消えるってことをまえにしたら、ちょっとした胸の痛みなんてもうなんでもない。

「いいです」「持っていってください」「どうぞ」

 ぼくはそればかりをロボットのように繰り返した。いや、近ごろはロボットだってもっと丁寧かもしれない。

 そうだロボットじゃない。ぼくはロボットみたく修繕されることも、更新されることもないままおわるのだ。

 しかしそんなぼくでも、どうしても手放せなかったものがいくつかあった。

 もうすこしあるけれど、ざっとまとめるとこんな感じだ。

・「セーラークリスタル」という食玩の、変身ブローチ型コインケース
・くじびきの景品だったキーホルダー
・「ムーンクリスタルルーレット」というゲームの景品だったジャンボカードダス
・時空の鍵のペンダントと、そのケース
・ガシャポンの景品だったぬいぐるみ
・コロちゃんパックのカセットテープ

 以上、すべてセーラームーンのものだ。

 ずっとわからなかった。どうして価値のないマスコットが、世界じゅうのコレクターが首をかしげるような他愛もない缶バッジが、こうもぼくの胸をひっかき、ゆさぶるのか。だけど、ほかに余計なものがなにもなくなったいま、濁っていた水が澄みきり、はるか水底まで見渡せるようになったみたいに、ぼくは理解することができた。

  たとえば変身ブローチのコインケースは、生まれてはじめて母に買ってもらったおもちゃだった。

 1993年、遅生まれのぼくが2歳になったばかりの春、セーラームーンに出会った。

 母は、それまで大好きだった換気扇のプロペラから、とつぜんセーラームーンに乗り換えたぼくに戸惑っていた。おもちゃ屋さんへ行っても、しっかりとぼくの手を握ったまま、男の子向けのエアガンやプラモデルのコーナーをうろつき、世界にそれだけしかないみたいに振る舞うばかり。

 ぼくは男の子向けのおもちゃコーナーが苦手だった。血のような赤や黒、気の滅入るコンクリートみたいなグレー、おぞましいかいじゅう、表情のないロボットたち。

 とおくにはカラフルな女の子向けコーナーが桃源郷のようにかがやいていて、どうしてママはあそこへ行かないんだろう、あそこはおもしろそうなのに、と不思議だった。でも、なんだか口にはできなかった。

 だけどある日、目ざといぼくはスーパーのお菓子売り場で見つけてしまったのだった。セーラームーンの、組み立て式おもちゃのついたラムネを。

 まるで未知の扉が開いて、望んでいた世界線へアクセスしてしまったみたいな瞬間だった。パッケージのセーラームーンのイラストが、とても凛々しかったことを覚えている。

 あのとき、千葉にあった忠実屋の地下のお菓子売り場で、ぼくは母の人生を変えてしまったと思う。ねじまげてしまったと思う。もちろん父の人生も。自分自身の人生もだ。

 しかしいまになって思うと、やっぱりこれを手にすることができた人生でよかったかもしれない。バッドエンドが待っていたとしてもだ。

 だって、こんなにかわいいんだもの。すてきなんだもの。母や父に対しては、やっぱりごめんなさいと思うけど。

  ほかのものも同様に、1993年から1996年のあいだに家族から買い与えてもらったものたちだ。

 ジャンボカードダスは、同居している父方の祖父が、めずらしくおつかいに連れていってくれた先で一回だけやらせてくれたゲームの景品だった。1994年の、半袖を着ていたからたぶん夏のできごとだ。

 祖父はとても無口で、子どものころからなにを考えているかよくわからない人だった。誕生日やクリスマスにはぼくの好きなものを買ってくれたけれど、そのことをどう思っているかはわからなかった。

 そんな祖父が、はずかしそうに笑いながら、あの日ゲームをやらせてくれた。ウキウキしちゃうようなリズムに乗って、変身ブローチ型のハンドルをふたりでぐるぐる回して。

 しかしそのときはゲームに負けて、ぼくは景品をゲットすることができなかった。だからこのカードダスは、最近になって骨董市で手に入れたものだ。なぜなら、祖父と出かけたあの日のことを、ぜったいに忘れたくなかったから。すごくすごくうれしかったから。


 それからくじびきの景品は、幼稚園で男の子たちにいじめられてばかりいた1995年の夏、ほしくてたまらないのに、ほしいって言うのがわるいことみたいに思えてしまって、おまつりの縁日の出店から盗もうとしたものだ。すぐに父に見つかって、ぼくは人の行き交う出店のまえでめちゃくちゃ怒られた。

 父は怒っていた。人が煙たがるのも構わず真剣に怒っていた。それは盗みを働こうとしたことに対してで、セーラームーンのくじびきをほしがったからでは決してなかった。ぼくはそのことを痛いほどわかっていたのに、わからないふりをしていた。いまもしている。だって、こんなに自分は変なのだから、愛されていないというほうが、つじつまが合ってしまうんだもの。


 おもちゃたちが物語るおさない日々のことを、3歳や4歳のころの記憶を、ぼくはまるで昨日のことのように細かく思い出すことができる。これは比喩じゃない。ほんとに昨日のことみたく近くに感じられるのだ。

 もしかしたら、ぼくにとっておもちゃは、3歳や4歳の出来事を永遠に、まるで昨日のことのようにしておくための碇だったのかもしれない。だとすると、山のように集めたおもちゃたちは、それらをより強化するための鎖にすぎなかったのだ。

 消えてしまうまえに、そのことの気がつけてよかった。ぼくってすごくラッキーかも。

 しかし、いったいなんのために、そんな碇を投げたのだろう。どうして、しがみついていなくてはいけなかったのだろう。


 片付けなくてはいけないのはおもちゃばかりではない。雑貨や調味料、服や本なんかもどうにかしなくてはいけない。

 キッチンまわりを一気に片付けたら、こんどは服をまるごと捨てて、最後に本に取り掛かった。とっくに透き通っているはずの身体で汗をかいて、筋肉をきしませながら、いくつもの本や雑誌をすずらんテープで縛っていく。

 すると、まとめて保管してあったセーラームーン関連の雑誌のあいだに、異質な本がまぎれこんでいた。1995年発行の、ふるいゲーム雑誌だ。

 ぼくはゲームなんて趣味じゃない。ポケモンだって20年経ってやっとクリアしたほどだ。

 けれど、ぱらぱらめくっていたら、じんわり染み出すように記憶が蘇ってきた。


 子ども時代を語るうえで、かかせない存在がひとりいる。

 さくちゃんだ。さくちゃんは、ぼくよりひとつ年下の幼なじみだった。

 彼はぼくとおなじ、セーラームーンや、きらめくものを愛する男の子だった。ただしぼくとちがって、きらめくものばかりに固執していたわけじゃない。男の子向けのゲームや、鬼ごっこもぜんぶすきで、そのなかにセーラームーンも含まれているって感じだった。

 そしてもうひとつぼくとちがっていたのは、彼はセーラームーンを愛することを、家族から固く禁じられていたってことだ。

 ぼくたちは近所の子どもで溢れかえった空き地や公園なんかではぜったいにあそばなかった。学区外の、知っているひとのだれもいないおばけ団地の茂みにひみつきちをつくって、いつもそこで、めいっぱい息継ぎをするみたいにセーラームーンごっこをしたり、飽きるまでセーラームーンの話をした。

「ゆうくん、スターシードってガラスなのかな。どうしておでこから出てくるのかな」

 さくちゃんはいつも、切羽詰まった顔で、おっかなびっくり言う。

 ちなみにスターシードっていうのは、セーラームーンの世界における、人間のたましいの結晶みたいなものだ。

 ぼくはお小遣いで集めたセーラームーンの資料集やコミックスをしらみつぶしに調べて、さくちゃんの疑問に答える努力をした。スターシードが何製か、どうしておでこから出てくるかはわからなかったけど、そういうときは話し合って、ぼくらなりの結論をだした。

「きっと宝石だよ。だけど、ふつうにはない宝石なんだよ。買えたらこまるもの」


 ある日、さくちゃんはひみつきちに、興奮した目で一冊の雑誌を持ってきた。それがこのゲーム雑誌だ。「ゆうくん、ここにセーラームーンがのってるよ。お母さんにも、お兄ちゃんにもないしょだよ。ほら」

 見せてもらうと、モノクロページの半分のスペースを使って、セーラームーンのゲームが紹介されていた。サイズでいうと、2センチ四方の、ごくちいさな写真つきで。

「ゆうくんも見たかったら貸してあげてもいいよ」

 ぼくは、こんなちいさな写真をひとりでこそこそ愛でているさくちゃんが哀しかった。そんなに大切なものを、わざわざぼくに貸してくれるやさしさが痛かった。

 ゲーム雑誌のお返しに、ぼくはさくちゃんに、ポケットに入るようなちいさな絵本を貸した。セーラームーンのひみつがいろいろと載っている、ちょっとした辞典みたいな絵本だ。

 まさかそのせいで、親どうしのひどいケンカが起こり、二度と遊べなくなることもしらないで。


 フェイスブックで検索してみると、さくちゃんはあっさり見つかった。うっすらヒゲが生えて、すっかり青年になってしまっているけれど、キツネみたいな細い目とか、チワワみたいにちいさな鼻とか、さくちゃんはさくちゃんのままだった。笑っちゃうくらい。

 ぼくはすこし迷って、メッセージを送ってみることにした。

「さくちゃん、お久しぶりです。裕一郎です。いつか借りた雑誌が本棚から出てきたので、よかったら返したいです。ついでにお茶でもどうですか」

 おそるおそる送信して、返事がきたのはほんの30分後だった。びっくりしたけど、でもなんかそんな気もしていた。

「うそ、まじでゆうくんなの。こっちが借りた絵本は捨てられちゃって、もうどこにもないけど、それでもよければ会おう」

 それからぼくはいっさい片付けが手につかなくなり、買ってきた梅酒を飲みながらセーラームーンのコミックスや、当時のアニメ雑誌を読みつづけた。目を閉じると、さくちゃんと遊んだ日々が、スナップ写真みたいにふわふわ浮かんでくる。つい笑顔になってしまう。

 さくちゃんはあれから、どういう時間を生きてきたんだろう。


「最悪だよ」

 その2日後、20年ぶりに再会した新宿の居酒屋のカウンターで、さくちゃんは顔を合わせるなり言った。

「あれから最悪なことしかなかった。いまも最悪だし、家族も仕事も友達もぜんぶ最悪。もうしにたいし、消えたい」

 ぼくは消えたいという言葉にどきっとしながら答えた。

「それってすごいね」なにがだろ。

 さくちゃんはいま、江古田で一人暮らしをしていて、仕事は建築関係のデザインをやっているらしい。仕事の内容自体はそこそこ気に入っているというけれど、職場の人間関係も、長すぎる拘束時間も、すべてがいやでたまらないらしい。疲れているせいか、顔はどこか青白く、生気がなかった。ぼくも人のこと言えないだろうけど。

「ついでに言うと、ぼくは思想的にも右寄りだからね」

 とつぜんそう言われて、ぼくはびっくりして「なんで?」なんて聞いてしまった。

「簡単だよ。自分をとっちめるのにちょうどいいからさ」

 そう言ってさくちゃんは、届いたからあげに、憎々しげな顔でレモンをしぼった。うらぶれた雰囲気だけど、手元にはクリームソーダが置かれていて、ブクブクとひょうきんな音を立てている。

「ゆうくんのほうはあれからどうだったの」

 ぼくはつい唖然としそうになる頭を軽く振ってから答えた。

「おなじく最悪だったよ。具体的に言うとセーラームーンが終わってからずっと最悪だった。それでぼくも、とうとう消えたいとか思ってるし、もうじきほんとに消えるつもり。だから最後に、さくちゃんに会っておきたかったんだ」

 冗談だと思ったのか、さくちゃんは軽く鼻で笑っただけで、ぼくの言葉を受け流した。なんだよ、冗談だとしたら、すごくいけてないじゃないか。

「あのさあ、ゆうくん」

「なに?」

「まだセーラームーン……好き?」

 さくちゃんはあのころみたく、おっかなびっくり伺うように言った。

「当たり前だよ。きらいになんてなりっこないじゃん!」

 ぼくがそう言うと、さくちゃんはようやくうっすらと笑顔を見せてくれた。

「ああよかった。こっちもずっとセーラームーン好きだよ。たぶん一生好きだと思う」

 ぼくたち思わず女の子どうしみたいなハグをして、やりそびれていた乾杯をした。

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ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

痛みと共に捨て去った、ひかりをぼくは取り戻す―― エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これ...もっと読む

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CandleFlick また読んでしまった。途中までしか無料で読めないけど、初めて読んだときはボロボロに泣いた。定期的に読んでる💞https://t.co/wk0rrvAptw 1年以上前 replyretweetfavorite

amefuris こういうのを見るたびに、見るたびに あーあ、と思う https://t.co/lfmaGJQB4p 約2年前 replyretweetfavorite

YuhkaUno 「男の子だって、お姫さまになれる」の件では、セーラームーンになりたかった少年アヤちゃんを思い出した。 2年以上前 replyretweetfavorite

fu_sen_uo https://t.co/O5ThmK1f8Z 2年以上前 replyretweetfavorite