十四時五十五分。ベルの音が響き、ドアに目を向けた。二十代後半の女性が入ってきた。珍しいなと灰江田は思う。レトロゲームだらけの喫茶店など、普通はマニアックな趣味を持つ年配の男しかやって来ない。灰江田は、扉の前に立つ女性を観察する。大きな眼鏡。少し幼く見える丸顔。髪は暗めの茶色でパーマがかかっている。体は華奢で、こざっぱりした服装をしている。そして、大判の図鑑でも入っていそうな鞄を肩から提げていた。彼女は、顔と目を左右に動かしている。なにか探しているのか。そう思ったあと、灰江田は慌ててコーギーの腕を突いた。
「なんですか、灰江田さん」
「おい、もしかして彼女じゃないか」
「なにがですか」
そう答えたあと、コーギーも気づいたのか驚く顔をした。灰江田はコーギーに耳打ちしてメールを書かせる。到着が遅れるから窓際の席で待っていて欲しい。灰江田自身はカメラアプリを起動して、動画モードにして立ち上がった。
女性の鞄からメールの着信音が響く。彼女はスマートフォンを出して確認する。灰江田は背後に回り、女性の手元を撮影する。
「あんたがサイレントベルだな」
そのまま顔をフレームに入れて、画面と顔を記録したと告げる。さらに、ウェブ魚拓に海賊版のページを記録したと伝えた。そこには、いま受け取ったメールのアドレスが掲載されている。女性はしばらく口をぱくぱくさせたあと、鋭い目つきで灰江田をにらんだ。灰江田は、彼女をテーブル席に促して、奥の座席に座らせる。
「おいっ、コーギー。ノートパソコンとスマホを持ってこい」
「はい」
女性が逃げられないように灰江田は隣に座り、その真向かいにコーギーが座る。コーギーは、女性にスマートフォンを見せる。Aホークツインの海賊版が表示されている。
「これを作ったのはあんたか」
灰江田は、顔を寄せて威圧的な態度を取る。さらに、コーギーのノートパソコンも見せて、やり取りしたメールを読み上げさせた。眼鏡の女性は、唇を噛んだあと声を漏らす。
「赤瀬裕吾さんは、どちらですか」
「あの人は、ここには来ねえよ。どこにいるか俺たちも知りたいぐらいだからな」
女性は、口をぽかんと開けたあと、がくりと肩を落とす。どうやら本気で落胆しているようだ。赤瀬に会えると信じて疑っていなかったらしい。さすがに、ここまでがっかりされると悪いことをした気になる。灰江田は咳払いをして、いつもの口調に戻った。
「俺は灰江田直樹だ。レトロゲームファクトリーという会社をやっている。こっちのちっちゃいのは白野高義。うちのプログラマーだ」
灰江田は名刺を出して渡す。それとともに山崎の名刺も見せて、白鳳アミューズメントの依頼で海賊版の件を調べていると説明した。
「あんたの名前を教えてくれ。ちなみに嘘を吐いても無駄だ」
自身のスマートフォンを指す。先ほどの動画が入っている。女性は、眉間にしわを寄せたあと、不承不承といった体で答えた。
「鈴原静枝(すずはらしずえ)よ」
「静かな鈴で、サイレントベルというわけか」
「そうよ。さぞ、気持ちいいでしょうね。私を騙すことができて」
静枝は不快そうに言った。サイレントベルは女性だった。いまどき女性プログラマーはいくらでもいる。しかし、古いゲームの海賊版を作っていることから、ゲーマーの男性だろうと先入観を持っていた。
「それで鈴原さん」
「なんですか」
言葉遣いは丁寧だが、声には憎悪がこもっている。灰江田は、怒りに巻き込まれないようにしながら話を続ける。
「あんたは、なんのために海賊版を作って配布していたんだ。価格は無料。広告もつけていない。変な権限もない。アプリで儲けようって意図ではなさそうだ。それに腕の立つプログラマーらしい。遊び半分に犯罪を試してみたってわけでもないだろう」
灰江田は、極力優しい声を出して、答えを待つ。静枝は、しばし沈黙したあと口を開いた。
「目的は、赤瀬裕吾さんとコンタクトを取るためです」
コーギーの読みどおりか。ということはAホークツインの権利が、赤瀬にあるということを知っている可能性が高い。灰江田は素早く考えを巡らせる。当時の関係者か。しかし目の前の女性は二十代後半だ。その頃は、まだ生まれたかどうかの年齢のはずだ。
「鈴原さん。あんたなぜ、赤瀬さんとコンタクトを取ろうと思ったんだい」
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