自分の目で見たアフガニスタンの現実
アフガニスタン入国に手間はかかったものの私とカメラマンの岩間さんは無事に車に乗り、宿へ向かった。宿には今回の取材の仲介をしてくれたアフガニスタンとの貿易商・Uさんが待っている。空港の外に出たところで待っていたのはマハマディンという26歳の男だった。口髭をたくわえたこの若者、我々と出会ったところで「Welcome to Afghanistan!」と言い、握手をした。
マハマディンとはこれからの8日間、毎日会い、とりあえずどこかへ取材に行くこととなった。彼の仕事はこうした外国人相手の通訳とコーディネート業務なのだという。アフガニスタンでは当時、英語が喋れる男には「特需」ともいえる状況があった。なにせ外国人のジャーナリストにとって、右も左も分からない状態をなんとかしてくれる彼らには価値があるからだ。
首都・カブールに着いたその日はUさんのアフガニスタンでの定宿へ行き、取材の心得などを聞いた。決してアメリカ側に立っているわけではないことを理解させよ、イスラム教を冒涜してはならない——こういったことだ。
朝ご飯はピラフとナンとカレーのようなスープと羊の肉を焼いたものに野菜。そして、恐ろしいことに、その後食べる食事のほとんどがこれなのであるっ! 味はおいしいのだが、いかんせん毎回同じものなので最後の方は飽きてしまった。パキスタンに戻ったところで、もうピラフとカレーみたいなのはいらん! とばかりに中華料理店へ行ったのだが、バチが当たったのか……、ひどい目に遭ってしまった。その顛末は次回。
アフガニスタンのピラフ
まず、アフガニスタンの全貌を見るべく、カブールの中心街へ車を走らせる。意外にも人出は多く、人々は笑顔でメシを食ったり賭け事をしたりしていた。商店に行くと携帯電話が売っていたり、ラジオが売っていたりして、予想以上に発展していた。しかしながら道は爆撃の跡があり、凸凹だらけである。
そして気付いたのだが、アフガニスタンの男はデブがやたらと多い! 戦後間もない時は食糧もないのでは? と思っていたのだが、食材は実に豊富である。ナマズの唐揚げを売る店では、揚がったナマズが100匹ほどはいそうなほどで、これが次々と売れていくのである。
市場には豊富な野菜もあった
日本でのアフガニスタン関連報道は「苦しい生活ぶり」「多国籍軍に虐げられた民」といったところだが、実際現地に行ってみると彼らは外国人を見ると握手をしてきたりして、それほど欧米人にも東洋人に対しても悪感情を持っているようには感じられなかった。もちろん都会である首都・カブールがアフガニスタンの中では特殊なのかもしれないが、ジャララバードなどでもこの傾向は同じだった。
最近、ネットでは「マスコミは偏向している」「ネットで真実を発見した」などと書き込まれることが増え、マスコミへの懐疑心を多くの人が持っているようだ。私はこの時確かに懐疑心を持った。通訳を引き受けてくれたマハマディンはアフガニスタンではエリートに属することだろう。彼が紹介してくれた人々ももしかしたら裕福なのかもしれない。だが、これも当時のアフガニスタンの一側面である。こうした面も含めて「明るいアフガニスタン」を紹介できればいいね、とカメラマンの岩間さんと私は決めた。
アフガンの人々、アフガンに集う人々
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