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「自分の体は男で、恋愛対象は女だ。自分は女言葉を使うわけでもないし、女の体になりたいわけでも、女の服を着るわけでもない。けれど、自分はレズビアンじゃないかと思う。恋人といるときに、自分たちを女同士だと想像すると、すごくやさしい気分になって、胸がときめく。相手にうまく言えないし、自分でもなぜなのか理由がわからない。けれど、自分を異性愛者だと思うより、レズビアンの男だと思う方がしっくりくるんだ」
2013年、『百合のリアル』というジェンダー&セクシュアリティ入門書にわたしが書いた文だ。これは、文筆家として性についての取材を重ねる過程で、実在の男性に打ち明けられた話を紹介させていただいたものである。2017年には小学館から『百合のリアル 増補版』を刊行、この文章を世に出してからもう5年ほど経ったことになる。その間、「ぼくはレズビアンなのかも」という男性たちが、胸の内を聞かせてくれたことが国内外で複数回あった。
彼らは、いわゆるMtFレズビアンではない。MtFレズビアンというのは、「男とされて生まれ、女として生き、女を愛する人」を意味する言葉だ。けれども「ぼくはレズビアンだ」という彼らは、自分を女だとは思っていないという。あくまで男とされて生まれ、男として生き、女を愛するのだ。表向きには異性愛男性、また男女カップルとして。胸のうちでは、「ぼくと彼女はレズビアン同士だ」と想像しながら。
イギリスで1994年から続くレズビアン&バイセクシュアル女性向け雑誌「DIVA magazine」によると、英語では彼らをこう呼んだりするらしい。
Malesbian……メイレズビアン。
男性を意味するmaleと、レズビアンとをくっつけた言葉だ。DIVAでの説明文はちょっと悲しいことになっている。「自分で自分をレズビアンだと思っている、無害だけどちょっぴりブキミなストレート男性」。これは、掲載先がレズビアン&バイセクシュアル女性向けの雑誌であり、「男子禁制よ☆」みたいなノリで書かれているからこういう表現なんだろうけど……それにしたって、ブキミ、って言い方は失礼なんじゃないかなあ。
まあ、わからなくもない。レズビアンを騙ってレズビアンイベントに入り込み盗撮するヤカラや、レズビアン向けアプリにレズビアンを自称して登録して女の子の個人情報を聞き出した後「裸の写メを送れ。さもないとお前がレズビアンだとバラすぞ」と脅すヤカラなどにつけ狙われてきた人のトラウマを思えば、ブキミ、と書いてしまった気持ちも想像できることはできる。けれど。そういう男どもの存在がゆえに、さらに「ぼくはレズビアンだ」と言い出しづらくなっている……むしろそういう男どもと自分とが同性であるということを受け止めたくなくて「ぼくはレズビアンだ」と言いたくなっているのかもしれない、レズビアンを自称する男の人たちの話を、今回はしたい。ちゃんと、したい。
ググっても出てこない、彼女にも言えない、ただ胸のうちでそっと「ぼくたちはレズビアンだ」と想像して恋をする彼ら。彼らを「メイレズビアン」という名前でレズビアンとは別にくくることを、わたし個人は、あえてしないでおこうと思う。むしろ、「レズビアン」という言葉が誰のものなのか、あらためて過去を振り返り、考えたいのだ。「男がレズビアンになれるわけないでしょ!」なんて、顔をしかめる前に。
▼1883年、レズビアンは遠回しな言葉だった
レズビアンという言葉がギリシャのレスボス島に由来することは、ご存知の方も多いと思う。紀元前7〜6世紀の女性詩人サッフォーが、レスボス島に女学校を作り、女性への痛切な恋愛感情をうたう詩をたくさん書いたのだ。「不死なるアフロディテよ、ここに私は祈る。愛しの彼女が、私の心を奪っていくことのないように……あとに痛みと悲しみだけを残して」とかなんとか言って。このサッフォー、および舞台のレスボス島から、女性同性愛行為を「サフィズム」とか「レズビアニズム」とか言うようになった。
古代ギリシャだけではない。日本でも、愛し合う女たちは、「レズビアン」という言葉が日本語に入るずっと前から存在してきた。鎌倉時代の小説「我が身にたどる姫君」には、女性同士のベッドシーン(いや、おふとんシーン?)が出てくる。紫式部は女ばっかり数十人の職場で働きながら、日記に「同僚女子の寝顔かわいすぎ」とか「可愛い女子と髪の毛とかしあいっこして遅刻した」とか「藤原道長が誘ってきてマジうぜえから追い返した」とか書いている。江戸時代には女どうしのセックスを「といちはいち」と呼んだし、明治〜大正〜昭和初期には女学生同士の心中事件を機に教育界で女性同性愛が盛んに論じられた。
そういう中で、「レズビアン」という言葉が出版物にはっきり使われたのは、1883年、アメリカの医学論文「性的倒錯の実例(※1)」においてのことだった。性的倒錯患者とされたのは、ルーシー・アン・ロブデル。貧しい家の娘として生まれ、少女時代から狩りをして家計を支え、やがて結婚するも夫から暴力を振るわれ、出産直後に捨てられた。救貧院に身を寄せると、そこで女性と恋に落ちた。ルーシーは男の名前を名乗り、男として生きることを決意して、彼女と結婚。しかしながら結婚18年目で、「女のくせに男装している」と精神病院に連行される。そこで担当医師が、ルーシーと妻との関係を書くときに使ったのがこの表現だった。
the Lesbian love – レスボス島的な愛。
Lesbianが地名を表す大文字で、形容詞的に使われていることにご注目いただきたい。この時点では、レズビアンという言葉は、女性同士で暮らす二人を引き裂いた医師が、「女性同士の恋愛だなんて書くのははしたない。レスボス島的な愛、とでも表現しないと品性が損なわれる」という意識から使った隠語だったのだ。
これは日本でも同じことだったようで、たとえば1960年の日本語書籍(※2)にも「レスボスの愛」という表現が出てくる。いわばレズビアンという言葉は、「とても口に出せないいやらしい精神錯乱行為を行う人たちを指す隠語」であり、他称だったのだ。これを、女を愛する女たちは、自ら「レズビアンですが何か」と名乗ることで取り戻してきた。
▼1970年、レズビアンは独立するための言葉だった
歴史的宣言となったのが、1970年、アメリカの社会活動家デル・マーティンが発表したエッセイ「さよなら、仲違いした兄弟たちよ(※3)」だった。当時のアメリカでは、男性同性愛者だけでなく、今で言うレズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー……つまり異性愛者でない人たちや、シスジェンダー(生まれたときに診断された性別をそのまま生きるあり方)ではない人たちがみな「ゲイ」という名前を名乗りはじめていた。言い換えれば、LGBTその他みんなゲイを名乗ったということだ。
「ゲイ」という言葉は、「明るく楽しい」を意味する形容詞だ。それまで「変態、異常者、性的倒錯者、犯罪者」などと指さされてきた人々が、「イエーイ!明るく楽しいゲイでーす!」と名乗り直すことが、アメリカのゲイ解放運動(Gay liberation)初期のことだった。ところがゲイ解放運動が男性中心的になりすぎ、また「女性同性愛者がゲイ解放運動を女性解放運動のために利用している」と批判する者も出始めたため、女性同性愛者のコミュニティ「ビリティスの娘たち」を主宰していたデル・マーティンが、レズビアンの分離独立宣言をしたのだ。
「さようなら、仲違いした兄弟たちよ。私たちはゲイではなく、レズビアンです」
女性同性愛者はゲイではなくレズビアン、という宣言がなされてから、「レズビアン&ゲイ」というチーム名で社会運動を共にできるようになるまでに、ざっと15年がかかったと、当時を知るニューヨークのLGBT資料館職員の方から伺っている。そうした社会運動が従来の精神医学の政治的ゆがみを問い直し、1973年、ついにアメリカ精神医学会が「同性愛は病気ではない」と声明。このことがやがて、「レズビアン」という名称の解放にもつながった。
▼1990年、レズビアンは名乗らされる言葉ではなくなった
1990年5月17日。現在では国際反ホモフォビア・トランスフォビアの日として記念されるこの日に、世界保健機関(WHO)が同性愛は病気ではないと認めた。
これにより、「個人が同性愛者であるかどうか」は、医師が判断することではなくなった。「個人がレズビアンであるかどうか」を判断するための、国際的・客観的な明文化された基準は破棄された。
「レズビアン」は、かつて隠語であり、やがて独立宣言となり、そして解放され、今や、「名乗る自由」と「名乗らされない自由」を兼ね備えた言葉になったのだ。