美を見つけるのが生業である。
こんな美しさを見つけた。
国宝の中の国宝たる水墨画が表す、死と再生の世界。
画面から清くて湿った空気が流れ出る
教科書のページやら何かの挿絵やら、とにかくどこかで見覚えのある作品がずらり。会場にいるあいだ、せわしなく目が動き回って落ち着かぬ。日本美術の精華を堪能できる展覧会が、東京国立博物館で開かれている。「名作誕生 つながる日本美術」展は、5月27日まで。
じっくりと会場をひと巡りして、改めて思った。ここには国宝がいくつも集められているけれど、中でもとびきりの一点を選ぶなら、やっぱりこれだ。
長谷川等伯の、《松林図屏風》。
16世紀、桃山時代の絵師による水墨画である。消え入らんばかりにおぼろげな松の樹影が、屏風のところどころに描かれている。その数、ざっと20本以上。
それぞれのシルエットは、至極ぼんやりとしている。深い霧の向こうにあるかのように、細部はまったく見えない。たっぷりとられた余白に松の姿は吸い込まれていきそうで、残るは芯の部分、一本ずつの松の「髄」だけがかろうじて見えているような趣。
この絵は写実ではない。霧に煙った松林を目にして等伯がスケッチしたとは思えず、それよりもこれは何らかの記憶(それは実際の松を見たことから、他の優れた水墨画を観たことまでを含む)を想起しながら、脳内で組み立てた光景だろう。だからこそ幻想性はいや増し、等伯と生きる時代を隔てたわたしたちの胸にも強く迫る画面となる。
この画面から何か意味を読み取ろうとしても無駄である。ただただ画面の内外に漂う、清くて湿った空気を味わえればそれでいい。