ネコの排便を笑うな
ネコというのは、まじめな顔でうんこする。その姿は何度見ても笑ってしまう。ネコ用トイレにちょこんと座り、ムッとした顔のままで静かに排便する。私はもう大爆笑である。なにをそんなにまじめな顔をすることがあるのか! しかも、ネコは毎日それを繰り返している。厳粛なおももちで、排尿と排便に取り組んでいる。それはあたかも神聖な儀式のようである。私は見るたび笑い転げる。これだからネコは面白い。
しかし、先日気がついたのは、人間も似たような顔でうんこしているということだった。ネコだけがうんこの最中にまじめな顔をしていると思っていたが、それは人間が脱糞する姿を日常で見ないからである。自分自身、トイレで用を足している時、ものすごくまじめな顔をしていた。鏡で確認したわけではないが、顔の筋肉を意識したところ、まじめな顔をしているとしか思えない。ネコを笑える立場にはなかった。
排泄の際にまじめな顔になってしまうのは、肛門に力を入れるからのようだ。人体の構造上、この状態では自然と顔面の筋肉も緊張するんじゃないか。ためしに、「顔の筋肉を弛緩させる(ほほえむ)」と「肛門をキュッと引き締める」を同時にやろうとしてみればいい。どうにもうまくいかず、落ち着かないと思う。反対に、肛門をキュッと締めながら、口元もキュッと締めることはとても自然だ。表情筋と肛門括約筋は連動しているんじゃないか。
その意味で、ネコだろうが、人間だろうが、排泄の際はまじめな顔になっている。なのに私は一方的にネコの排便を笑っていた。こうしたところに人間の傲慢がある。これだから戦争がなくならない。
そもそも、うんこの最中にまじめな顔をすることの何が悪いのか。ヘラヘラした態度でうんこする奴のほうが、よっぽど信用できない。「ははは、出とりますわ」という態度、「ぶりぶり出とりますわ」という態度は、あまりにも排泄という行為をバカにしているし、生命活動そのものへの冒涜にすら感じる。半笑いで排便するな。
ネコの嘔吐を通して人間を知る
ネコを飼っていると、こうした発見がよく起こる。ネコをとおして人間を知るのである。ということで、きたない話が続くが、次はネコの嘔吐について。
実際に飼ってみるまで、ネコがこれだけ日常的に嘔吐するいきものだとは知らなかった。すこし体調が崩れるとゲボを吐く。最初はひどく心配したものだが、やがて慣れた。ティッシュを出して、チャッチャと処理してやる。何度も続けば病院に連れていくが、たまに吐くだけならば気にしない。ネコにとっちゃ、吐くことも生活の一環のようだ。
見たことのない人には想像しにくいだろうが、ネコが吐くときの動きは、人間の感覚からすると妙に大げさである。一本のホースになったかのように、身体全体を波打たせる。あれは身体が小さいからなんだろう。全身をフルに使って嘔吐している。しっぽのあたりを誰かにシュコシュコと踏まれている感じ。
興味深いのは、吐いたあと、ネコは平然とスタスタ歩いていくことである。「ううう……」という体調の悪そうな雰囲気がない。人間は嘔吐のあと、腹をおさえて具合の悪そうな顔をしてしまうものだが、もしかして、あれは人間としての軽い演技が入っているのか? 人間らしさを維持するための行為にすぎないのか? やろうと思えば、ネコのように、嘔吐の直後に真顔でスタスタ歩いていくことは可能な気がする。
排便において、私はヒトとネコの類似を見つけたわけだが、嘔吐においては、むしろ差異が気になる。私もたまに嘔吐するが、その後、非常に苦しそうな顔をする。腹をおさえる。うつむいて一点を見つめる。眉間にしわを寄せる。周囲に人間がいる時など、余計にそうなっている気がしてきた。あそこに、アピールの要素はなかったか?
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