全部やれ。

ビートたけしに激怒された!『電波少年』T部長の下積み時代

今や視聴率トップを走り続ける日本テレビ。しかし80年代、日テレは在京キー局で万年3位と苦汁をなめ続けていました。「てれびのスキマ」こと戸部田誠さんによる新刊『全部やれ。』はそんな"落ちこぼれ"だった日テレが、なぜ帝王・フジテレビを逆転できたのかを描くノンフィクション。
発売を記念して『進め!電波少年』そして『ガキの使いやあらへんで!』という人気番組の誕生秘話を紹介します。

異端のテレビ屋を生んだ「加藤班」

1980年代以降、『オレたちひょうきん族』などを擁して黄金時代を迎え、12年連続で視聴率三冠王を獲得していたフジテレビ。その一方で、日本テレビは長い低迷期に苦しんでいた。この状況に危機感を抱いた日本テレビの“テレビ屋”たちは、様々な改革を実行しながら、世代交代を推し進め、その逆襲の準備を整えていた。

その原動力となっていたのが、これまで見てきたように五味一男、吉川圭三、小杉善信、渡辺弘ら当時30歳代を中心とした世代が参加する「クイズプロジェクト」だった。彼らは『クイズ世界はSHOW by ショーバイ‼』や『世界まる見え!テレビ特捜部』などいわゆる「知的エンターテイメント路線」と呼ばれる日本テレビの新たなアイデンティティを生み出していった。

だが、90年代の日本テレビの逆襲を語る上で忘れてはいけない“異端”の存在がいる。それが、『進め!電波少年』シリーズをつくり上げた土屋敏男と、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』や『恋のから騒ぎ』を生み出した菅賢治である。作風がまったく異なる二人だが、実は“出自”が同じなのだ。いわゆる「加藤班」である。その名の通り、加藤光夫プロデューサーをリーダーとするバラエティ制作班。彼らはそこで下積みを経験し、やがて名番組をつくることになる。

今回の取材では当時第一線で活躍した数多くの日本テレビ関係者に話を聞いたが、その中で必ずと言っていいほど名前が挙がるのが加藤光夫だった。一般的にはあまり知られた名前ではないだろう。かろうじて『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』のチーフプロデューサーとして知る人ぞ知る存在ではあるが、そんな実績以上に、様々な角度から90年代の日本テレビの逆襲劇の下地をつくった重要人物の一人なのだ。

土屋と菅が「大恩人」と口を揃える彼のもとで、二人はどのように才能を育まれていったのだろうか。

たけしの激怒、テリーの困惑

「違う! 編集がまるで違う!」
ビートたけしは、出来上がったVTRを見て烈火の如く激怒した。演出の伊藤輝夫(現・テリー伊藤)も、何も言えず困惑した表情を浮かべていた。1985年4月14日に始まる『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』。初回放送を編集したのは当時、まだ28歳だった土屋敏男。たけしの剣幕に震え上がった。

「資料によっては、『伊藤・土屋の二枚看板』みたいな書かれ方もされているんですよ。でも、実際には僕はディレクターの一番下っ端でした」
土屋にとってお笑い番組のディレクションは初めて。どのように編集すればいいのか、まったく分からなかった。だから面白い部分を詰め込んだ。

「出演者たちが、笑っているところだけを繋いでいったんです。笑っているところが一番面白いんだろうと思って(苦笑)。今思えば、フリもなければ笑い尺もない編集でした」
笑いはフリがあるからこそ生まれるもの。また、視聴者が笑う時間的な間を与えなければ、次のフリを見逃してしまう。いわゆる「笑い待ち」や笑いを増幅させるフォローが必要なのだ。つまり「フリ・オチ・フォロー」という構造だ。しかし、このときの土屋には、そんなことは分からなかった。

「やり直せ!」
たけしに命じられると伊藤は土屋にではなく、自分の部下にやり直しを指示した。屈辱だった。しかし、直されたVTRは見違えるように笑えるものになっていた。

番組開始当初、伊藤は自分の扱いに困っていたんじゃないか、と土屋は言う。伊藤は制作会社「IVS」の社員として、日本テレビから発注を受け、番組の総合演出を任された。一方、土屋は発注元の日本テレビの社員。 伊藤は主にテレビ東京などの特番で過激な企画の数々を実現し、名を馳せていたが、ゴールデンタイムのレギュラー番組で実績があるわけではない。しかも、当時のIVSは小さな制作会社。日本テレビ系列の会社でもない。その立場で日本テレビの社員を無下に扱うことはできなかったのだ。

『元気が出るテレビ』をIVSに任せることになったのは、IVSがテレビ東京で制作した『日曜ビッグスペシャル いじわる大挑戦』などに出演し、伊藤の演出に光るものを感じていたたけしの発案だった。

「IVSには活きのいい奴がいるから、チャンスを与えてやってくれ」(※1)
しかし、日本テレビの制作の上層部は反発した。日曜夜8時の大事な枠をIVSのようなよく分からない制作会社に任せられないと。だが、人気絶頂のたけしが、番組をやってくれるというのだ。これを逃す手はない。当時編成部長だった萩原敏雄はそこで一計を案じる。チーフプロデューサーの加藤光夫に相談したのだ。

「せっかくたけしさんがやってくれると言っている。IVSの企画では、局内が納得しないから、あんたが企画書を出してくれないか。そうすれば制作の上層部もノーとは言えなくなるから」
加藤は了承し、晴れて企画にゴーサインが出た。

たけしと松方、10分間の沈黙

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2018-05-11

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てれびのスキマ(戸部田誠)

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tenmariya https://t.co/Eu5i3Bs279 2年以上前 replyretweetfavorite

marekingu #スマートニュース 2年以上前 replyretweetfavorite

tiny_raspberry 『その間合い』にワクワクする何かがあるね 2年以上前 replyretweetfavorite

bus_gasbusgas 「元気が出るテレビ」松方部長、出演に至るまでの話。 2年以上前 replyretweetfavorite