全部やれ。

24時間チャリティーマラソン」初代ランナー、誰か知ってる?

今や視聴率トップを走り続ける日本テレビ。しかし80年代、日テレは在京キー局で万年3位と苦汁をなめ続けていました。「てれびのスキマ」こと戸部田誠さんによる新刊『全部やれ。』はそんな"落ちこぼれ"だった日テレが、なぜ帝王・フジテレビを逆転できたのかを描くノンフィクションです。
その発売を記念して『24時間テレビ』、92年の大リニューアル秘話をお届けします。鉄板企画の数々がこの年に生まれたのでした。

本人不在のまま決定した200キロマラソン

そしてもうひとつの柱となったのが「24時間チャリティーマラソン」だ。

いまや定番となったこの企画もこの年から始まったものだ。
だが、この企画の発案はプロデューサーの小杉や渡辺でも、総合演出の菅原や五味でもない。
小杉は『マジカル頭脳パワー‼』や『いつみても波瀾万丈』など当時の日本テレビの人気番組のレギュラー出演者だった間寛平が番組に欠かせないと考え、当時の寛平のマネージャー・比企啓之に話を持ちかけた。

「寛平さんで何かいい企画ないかなあ」
その問いかけに比企は目を光らせた。
「どうですか、番組の中で、スタートからエンディングまでの24時間、うちの寛平を走らせたら」
思わぬ提案に小杉は一瞬戸惑った。だが、すぐに身を乗り出した。
「おもしろい!」
けれど、そんなことは本当に可能なのだろうか。不安がる小杉に比企は「大丈夫だ」と自信満々に答えた。

実は間寛平は88年から、「スパルタスロン」というマラソンレースに挑戦していた。
このレースはアテネとスパルタの間の246キロを36時間以内で走るというもの。しかも、途中には標高1200メートルを超えるところや、舗装されていない砂利道や山道などもあるマラソンとしてはもっとも過酷な条件のレースのひとつだった。
88年、90年に挑戦した際は、無念の途中リタイアに終わったものの、91年の挑戦で35時間4秒のタイムで見事完走。日本人参加者の中では2位、全参加者の中でも20位という好成績を記録していたため、できるという確信があったのだ。また、この年、660キロを1週間で走破するというスペインのレースに向けて練習を重ねていたからコンディションはいい。そのレースが諸事情で中止になってしまったというタイミングでもあった。

「24時間で200キロぐらいだったら何ていうことはないですよ」
比企は自分のことのように胸を張った。
「わかった。なら、その企画、すぐに通すから」(※1)
本人が不在のまま、この歴史的な企画が決まっていったのだ。
「勝手に決めてもらっても困るがな」
比企に「ごっつい仕事取ってきましたよ」と喜々として報告され、寛平は頭を抱えた。
「ギリシャと東京いうのは気候も違うし、真夏の日本で200キロ走れるか。おれ、自信ないわ」(※1)
そんな不安をよそにこのマラソン企画の火蓋はもう切って落とされていたのだ。

「即刻中止しろ!」という警察の怒り

「チャリティーだからって逃げないようにしよう」
五味は繰り返し行われた会議の中で何度もそう言った。チャリティーを言い訳にするのは絶対に嫌だった。一方、渡辺は当初「チャリティー」という“縛り”を窮屈に感じていた。フジテレビの『テレビ夢列島』はそんな縛りがないからこそ、あんなにも自由で楽しいものができる。羨ましいと思っていた。けれど、会議を進めていくうちにそうではないと考え方が変わっていったと渡辺は述懐する。

「やっていくうちにチャリティーという縛りがあったほうがやりやすいということに気づいたんです。チャリティーはお笑いやスポーツ、アイドルとかとも結びつく。それを軸にすればフジにないものができるんじゃないかと」

五味はそのために「チャリティーを面白く見せて、この先も見たいと思わせるものにしなければいけない」と考えた。明るいエンターテイメントを通してチャリティーを考えるきっかけにしてもらえばいいのだと。
本番中、日本テレビの本部で番組の進行を担っていた五味は、予想以上にマラソンの画が強いことに驚いた。
間寛平が走っている、それだけの画だが、視聴者の目が釘付けになっていることを感じた。
何よりも自分が見たいと思った。だから、五味は当初の構成案を無視し、準備していたものを飛ばして、マラソンの中継を何度となく映した。冒頭で述べた「ある中継」とはこのことだ。

しかし、その盛り上がりは思わぬ弊害を呼んだ。この年は間寛平が走るコースを事前に公表していたため、街頭に人が溢れてしまったのだ。寛平が走るスペースを確保するのが難しい状況にもなった。
遂には警察から「道路がひどい状況になっているから、もう映すな。即刻中止しろ!」という警告まできてしまうほどだった。

だが、寛平は死ぬ思いで走っている。それを映さないわけにはいかない。
五味は辞表も覚悟してカメラをスイッチングしながら叫んだ。
「映すぞー! いけ—!」

35歳の吉川圭三はこの日、日本テレビGスタジオ担当の総合ディレクターとして、深夜パート「所&嘉門の超連続替え歌グランプリ」などを担当した。
所ジョージと田中義剛司会で、嘉門達夫(現・嘉門タツオ)やなぎら健壱らが、替え歌を100曲歌いきるというものだ。このコーナーは深夜の放送にもかかわらず、視聴率約22%を獲得した。

この年、日本テレビに中途入社し、2017年、『日本テレビの「1秒戦略」』を上梓した岩崎達也は語る。
「日本テレビは代々、クリエイターたちの仲が良いんです。私見ですがそれは、『24時間テレビ』が大きいんじゃないかと思います。あそこで同じ時期に活躍しているクリエイター同士が集まる。そこでつくり方の共有と差別化ができるんです」

実際、これまで挙げた者たち以外にも、各コーナーに菅賢治、雨宮秀彦、毛利忍ら様々なディレクターたちが参加している。翌年の深夜コーナーは土屋敏男が担当した。出川哲朗に人間水車で拷問まがいのことをして、生放送中に上層部から「即刻やめさせろ!」と激怒されたという。

完成した「サライ」、ダウンタウンの涙

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戸部田誠(てれびのスキマ)
文藝春秋
2018-05-11

この連載について

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全部やれ。

てれびのスキマ(戸部田誠)

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