最善を尽くしても自分の力ではどうにもならないことは諦めろ!

たとえば、入試や面接、あるいは好きな人に告白する……最善を尽くしても自分の思うようにいかないことは人生には山ほどあります。そんなときどうするべきか? デカルトはきっぱりと「絶対的に不可能だ」と諦めることをススメます。地団駄を踏んでもしかたがない。涙を流しても始まらない。だったらどうしたらいいのでしょうか? 『デカルトの憂鬱』の著者・津崎良典先生が教えてくれます。

15 デカルトは穏やかに「暮らす」

あらゆる極端は悪いのが普通であるからして、穏健な意見というのは、実行するうえでつねに最も好都合で、おそらく最善である。 ―『方法序説』第三部

「自分の思想を改革する」人生の一大事

 若かりし頃のデカルトが勉強しまくったことは、本書の前半部で詳しく論じたとおりです。また、その成果が惨めだったことも見てきました。なにせ彼は、本当に確実だと思えるものには、学校や世間ではついぞ出合えなかった、と言うのですから。そればかりか、自分が偏見に深く絡めとられていることにも気づいたのですから。

 そこで、デカルトはどうするか。『方法序説』第二部の前半を読んでみましょう。

「一個人が国家を、その根底からすべて変えたり、再建するために転覆したりして改革しようとすることは、まったく理に反しているし、さらに学問全体の仕組みや、これを教授するために学校で確立している秩序を改革しようとするのもまったく理に反している。けれども、私がこれまで受け容れ信じてきた見解のすべてに関して言うなら、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてしまう以外に最善の企てはありえない。それは、後になって他のもっと良い見解を改めて取り入れ、前と同じものでも理性の基準に照らして正しくしてから取り入れるためである」

「デカルトはまず『疑う』」の冒頭でも一部引用した文章ですが、とても面白いことが述べられています。哲学者は、大がかりな政治改革や教育改革は理不尽だと言い切っている。「理に反している」という表現に「まったく」という強調のための副詞が添えられていることを見逃してはなりません。つまり、思いきった組織改革や制度改革は百害あって一利なし、と言いたいのです。「いつも何かしら新しい改革のことを思い描いている」「あの喧しくて落ち着きのない気質の人たち」は、「けっして容認できない」……彼はそうはっきりと斬り捨てています(皆さんの周辺にもこういう「気質の人」、多くないですか。私もデカルトと一緒で、こういう人には閉口しています)。

 それでは、変えるべきは何か。自分の「思想」です。『方法序説』第二部の表現を使うなら「自分の思想を改革する」。しかし、この「改革」は一朝一夕に実現できる話ではありません。少しずつ偏見を取り除き、自分の知的なパフォーマンスをじっくり改善し、確実と思われる知識を一つずつ積み重ねていく。拙速は禁物です。

 それだけではありません。偏見を取り除くというのは、社会的な常識を疑うことにも繫がります。ちょっとおかしいな、どうなっているのだろう、という違和感をそのままにしない。そうすると、世間や同僚、知人、友人、家族などとのあいだに軋轢が生ずる。それでも、周囲の人間とは共同生活を続けざるをえない。人は独りでは生きられないからです。本書の「前書き」でも述べたとおりです。そうすると何が必要になってくるでしょうか。

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デカルトの憂鬱

津崎良典

悩みや心配、悲しみ、怒り、憎しみ……そんな「マイナスの感情を確実に乗り越えられる方法」はあるでしょうか? あの「我思う、ゆえに我在り」であまりにも有名な近代哲学の祖・デカルトが、私たちに降りかかるマイナスの状況にいかに対峙すべきか、「...もっと読む

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