「ウッチャンナンチャンのほうがいいのでは?」
「お前、今までやってきた番組で一番高い制作費、いくら?」
ある時、小杉善信は、編成部長の加藤光夫にそう尋ねられた。小杉が答えると、加藤はその数倍にのぼる数字を提示して言った。
「これくらいの制作費の番組をやってみたくないか?」
「そりゃあ、やりたいです!」 当然の答えだった。
「やる?」となおも問う加藤にしびれをきらせて小杉は「なんですか?」と訊いた。
「『24時間テレビ』」 小杉は、椅子から転げそうになった。
『24時間テレビ』は聖域だ。14年の間に培われた生真面目なイメージを覆すのは並大抵のことではない。難題だ。番組が大きすぎて簡単に手を入れられるものではない。それを変えてみろ、と言われ小杉は愕然となった。
制作指揮を務めた高橋進と編成部長の加藤が話し合い、プロデューサーに選んだのは、当時38歳の小杉善信と、40歳になったばかりの渡辺弘だったのだ。
彼らは、総合演出の一人に菅原正豊を指名する。制作会社「ハウフルス」の“代表取締役演出家”だ。
それまで『24時間テレビ』の総合演出は、常に日本テレビの社員ディレクターが担当していた。外部の人間が務めたことはない。小杉とは篤い信頼関係で結ばれていたとはいえ、異例中の異例の起用だった。
「『24時間テレビ』を変えるという強い意志のあらわれだった」(※1)
小杉はそう述懐している。
菅原の起用同様、『24時間テレビ』が「変わる」というシンボルになったのはメインパーソナリティの人選だった。
なんとダウンタウンが抜擢されたのだ。
当時のダウンタウンと言えば、今とは比べ物にならないくらいヤンチャなイメージだった。91年12月に『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)が始まったばかり。若い世代には絶大な人気を誇っていたが、世間的な知名度が高いわけではなかった。天下を獲るために戦っている最中だ。『ガキの使いやあらへんで!』では、芸人はもちろん俳優からミュージシャンも槍玉にあげ毒舌を吐き、時折、ゴールデンの特番などに出演すると大御所タレントの頭を臆せず叩いたりしていた。だから“大人”から見ると傍若無人にも思えてしまう若者たちだった。もちろん、チャリティーとは縁遠い存在だ。
当然のように、局の上層部からは猛反対にあった。
「同じ若い芸人だったら、ウッチャンナンチャンのほうがいいのではないか」
確かに、既に『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ)など家族で安心して楽しめる人気番組を持っていた彼らならチャリティー番組もそつなくこなしてくれる安心感はあった。だが、それでは意味がない。インパクトに欠ける。ダウンタウンでなければ、「変える」という意志が視聴者には伝わらない。
ダウンタウンの起用は、局上層部だけではなく、所属事務所や本人たちすら懐疑的だったが、小杉と渡辺は、粘り強く説得と交渉を続け、遂に実現にこぎつけたのだ。
「チャリティーやでェ」という絶妙なコピー
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