掌編「世界からボールが消えたなら」
ボールの夢を見る。野球ボール、バスケットボール、ドッジボール、それから、なんといってもサッカーボール。ボールに襲われ、ボールに潰される夢を見る。高速で投げつけられるボールはもはや凶器。ぼくは体を縮めてボールから身を守り、その不格好さにみんなが笑う。
ボールは当たるとめちゃくちゃ痛い。ボールによって、痛みにもバリエーションがある。野球ボールは蜂に刺されたような鋭い痛み、バスケットボールは重たくて男臭い痛み、ドッジボールは懐かしい痛み、サッカーボールは愉快犯がケタケタ笑いながら迫ってくるような恐怖を伴う、非情な痛み。
落ちたボールを拾って投げる、そのフォームが女の子投げだと、また笑われる。ボールはなんのために存在しているか? ボールはぼくから、自尊心を奪うために存在している。
ボールに殺される寸前で、はっと目を覚ました。怖い夢を見たときの、その怖さの後味は、起きているときよりはるかにリアル。ボールがいかに恐ろしく襲いかかってきたか、体に当たったとき、どれだけ痛かったか。みんなの残酷な笑い声の、高らかな響き。強く殴られたように頭の中でキィーンという音がして、心臓がぎゅっと握りつぶされ、腹のあたりにぽっかり穴が空くような感触。
それらをベッドの上で生々しく反芻しつつ、この屈辱を忘れないでおこうと拳を握る。
* * *
掌編「球技が苦手な男子のためのスクールセラピー」
みなさんご存知のように、文科省をあげて、生徒一人一人に自信をつけさせる取り組みが推奨されています。クラスメート全員で、お互いのいいところを褒め合うなんていう授業が一般的ですが、本校ではもっとユニークな視点で、自己肯定感を高めるケアをしようということになり、今年度から実施されることになりました。
そこで、いまから名前を呼び上げる男子生徒は、放課後、特別教室に集まってください。
——放課後。
みなさんこんにちは。ぼくは、かつてこの学校に通っていた卒業生です。突然ですがみなさん、体育は好きですか? どちらかというと苦手な人、手を挙げてみてください。はい、全員ですね。なかでも球技が苦手だという人は? はい、全員です。
ぼくも、以前は体育の授業で球技があると、とても悲惨な思いをしました。男子だけじゃなく、女子にも笑われて、あれは本当に辛かった。心がくじけました。立ち直り、自分らしさを獲得して、自信を得るのに、長い年月がかかりました。
ぼくの経験上、球技というのは生まれつきのセンスによって、上手いか下手か、だいたい決まっているものです。音楽やダンスのリズム感、絵の上手い下手が生まれつきなように、球技もセンスだから、仕方ないんです。だからいくら努力したところで、君たちが劇的に、球技センスのある人間になることは不可能です。
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