最終手段の仮説

「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!人気コミック『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕がひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕の書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。


この難題に挑む道しるべとなるのが、カール・セーガンの次の一言である。

“Life is the hypothesis of last resort.” (生命とは最終手段の仮説である。)

少し難しく聞こえるかもしれない。別の言い方をすれば、科学はシンプルさを好む、ということだ。

さらに混乱してしまっただろうか。いったん生命の議論を脇に置いて、例を出そう。ある日突然、桶屋が儲かったとする。この不可解な現象を説明できる仮説が二つあるとしよう。一つは、近所に大型銭湯ができて桶を大量発注したという仮説。もう一つは、風が吹いたため土ぼこりが立ち、それが目に入って盲人が増え、盲人が三味線を買い、三味線に使う猫皮が必要になるためネコが殺され、ネコが減ったためネズミが増え、桶をかじるため桶の需要が増え桶屋が儲かった、という仮説である。どちらの仮説が正しいだろうか? おそらく、前者だろう。もちろん後者の可能性も完全には否定できないが、このように極度に複雑な仮説が実現する確率は非常に低いからだ。

科学も同じだ。もし何か不可解な現象が見つかって、それを説明する仮説が複数あった場合、単純な仮説を採用する。その方が蓋然性が高いからだ。この科学の原則は「オッカムの剃刀」と呼ばれる。

さて、生命の話に戻ろう。生命は非生命より格段に複雑だ。宇宙で何かの新現象に出会ったとしよう。そしてそれは、生命現象でも、非生命現象でも、整合性をもって説明できるとしよう。ならば採用すべきは単純な非生命的仮説だ。もし、あらゆる非生命的仮説が却下され、残されたたった一つのものが「それが生命である」という仮説だった時に初めて、それが採用される。「生命とは最終手段の仮説」とはそういう意味だ。

たとえば、火星ローバー・キュリオシティーは大気中のメタン濃度の急激な上昇に何度か遭遇した。これは予想外の現象だ。なぜなら、メタンはすぐに紫外線によって分解されてしまうからだ。だから「何か」がメタンを生産しているはずだ。


⽕星ローバー・キュリオシティーの「⾃撮り」(Credit: NASA/JPL-Caltech)

地球では、メタンは火山活動や生命活動で生成される。牛がゲップをするとメタンが出る。メタンを合成する菌もある。だから、火星の局所的なメタン濃度を説明するひとつの仮説は、生命だ。地下にメタン菌がいるのかもしれないし、ローバーの死角で牛が隠れてゲップをしていたのかもしれない。だが、これを説明する非生命的な仮説もいくつかある。たとえば、火星にも存在するカンラン石が水・二酸化炭素と反応するとメタンが出ることが知られている。この仮説を否定する根拠は今のところない。だから、火星のメタンが生命の証拠であるとは現在のところ考えられていない。

だから、地球外生命探査で大事なのは、あらゆる非生命的な仮説を棄却できるように観測や実験をデザインすることである。これがなかなか難しい。事実、NASAは過去に一度、苦い経験をした。

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宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─

小野雅裕

銀河系には約1000億個もの惑星が存在すると言われています。そのうち人類が歩いた惑星は地球のただひとつ。無人探査機が近くを通り過ぎただけのものを含めても、8個しかありません。人類の宇宙への旅は、まだ始まったばかりなのです…。 NASA...もっと読む

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ikb “Life is the hypothesis of last resort.” 最後まで選んではならない仮説、か。 わたし… https://t.co/YNwinpicZI 2年以上前 replyretweetfavorite

uchu_kyodai NASAの研究者 小野雅裕がひも解く、宇宙への旅。 2年以上前 replyretweetfavorite