哲学と冒険

ただの新しい人間

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べている。食べながら、何かをつくろうとしているわけではない。それによって何かをつくりたいわけではない。僕はただそうやって生きたいだけだ。僕は毎日、原稿を書き、絵を描き、歌をうたい、人々と出会い、本をつまみ食いし、画集をつまみぐいする。だいたい毎朝8時更新。お休みすることもあり。


2018年4月27日

 今日も朝から原稿を書いて、その後、河川敷を歩いて、植物を触っていた。その後、三笑軒へ。ここは家の近くの路地にある表具屋さんの裏庭にある二階建ての茶室で、ここでお茶が飲めるのである。といっても無料の麦茶なのだが、僕はいつも携帯している細川藩にもらった黒茶碗を取り出して、そこに麦茶を注いだ。茶室にいたのは、ガンさんだ。ガンさんはいつもここにいる。ガンさんは僕にはよくわからない。彼は何もしたくないような、それでいて、常に前向きの心で、よく茶室に座っている。その姿は、何か新しい創造を行っているようにも思える。僕はここでよくガンさんに相談することもある。ガンさんはたびたび女になる。ガンさんは男だが、女の経験もしている。カエルになるときもある。何を経験しているのか。それは妄想なのかと聞くと「いや、それは違うんじゃないか」とガンさんは言う。

「もっと別のものだよ、なんせちゃんと経験しているんだからね。女になったことを経験しているというよりも、それはなんというか、女ってのは、僕がそう言うこと、つまり、それは言葉だからね。で、それを経験していると言うわけだ。きみは女とわたしが言えば、その言葉で連想し、きみが知っている女というものを思い浮かべ、わたしがそれになっていることを想像するわけだ。それともちょっと違うね。まさにね、女が本来感じるであろう、女という生き物の中で動いている電気信号、その神経の運動自体をわたしは感じているんだよね。だから、わたしは全体で感じているわけ。きみが今、目を動かしてわたしを見たでしょ。でも、それは目が動いているわけじゃないからね。全身で動いているんだよ。目を動かすとき首も動いている。心臓も動いている。脳みそも動いている。きっと骨も動いている。その目でちょっとわたしが変だと思ったとしてもね、それはきみの体すべての運動なんだよ。決して、目だけで見ているわけじゃない。つまり、わたしは女になってるとき、完全に体全体で女になってるわけね。そこにもわたしの人生があって、それは今のわたしの人生とはちょっと違うよ。でも、それはしっかりと人生で、つまり、リアルなんだよね。それが狂気だと言うのかい?」

 僕は自分が何を言っているのかわからなくなるとき、自分が妄言を言っているのではないか、自分の行動を誰も理解してくれないとき、焦ってすぐに三笑軒に駆け込む。きっとガンさんがいる。もちろんいつもいる。ガンさんはどうやら入院しているらしいのだが、それでも一時外出が毎日できるのか、毎日いるのだ。病院はここから少し遠いところにある。つまり、バスかなんかで来ているはずだ。毎日どうやって来ているのかを聞いても、鳥になっただの、運転手になっただの、空気になって電導してきただの、僕の質問を煙に巻くというか、今までそう思っていたが、このガンさんの話を聞く限り、ガンさんはリアルに感じている。ガンさんは空でも見ながら呆然と無数のリアルな状態を渡り歩いている。

「わたしの体はね、食卓にはつかないし、学校なんか行ったこともない、職場にも行ったことがないし、人と約束を果たしたことがない、つまり、まったくルールから外れてますね。社会人ではありませんね。で、人はわたしを治そうとするんです。とても優しく。ときに厳しく。社会に復帰する、っていうんですか。わたしはまだそちらに入ったことがありませんので、なかなか復帰するという概念がよくわかりません。しかし、なんでも社会ってもんは大変そうですな。働いていたら、すぐに落ち込んで会社に行けなくなったり、学校に行けなくなったりするそうですな。わたしははじめからなんだかおかしいなと思ってましたから、それは体で感じるんです。リアルに感じます。だって、眠りたいのに、眠ることをしかられる。それっておかしくありませんか。しかられたことがないもんで、まったく抵抗力がないんですよ、わたしは。そりゃしかられたら、誰だっておかしくなるもんです。そりゃ当然なんですよ。わたしはいつも思うんですが、わたしなんかより社会っていうんですか? そのわたしを復帰させようとみなさまが真剣に取り組んでくださっている、その社会ってやつこそ、入院したほうがいいんじゃないか。しかし、どの病院に入院すればいいのか。わたしは社会を入院させるための病院ってのはどんなものかを、この茶室で毎日考えてるわけです。なかなか難しい問題でしてね、答えが見つからんのですよ。それでもわたしはわたしの中で生真面目に生きております。諦めずに。ずっとここで考えているわけです。それを人は大丈夫かと心配までしてくれて、入院までさせてくれて、食事まで提供してくれて、それで復帰させようとしてくれているんです。不思議なもんです。社会をよくしようなどとおっしゃる方もいますからね。治るってなんなんでしょうね。わたしにはそれはわからないですよ。何を治すのか皆目見当がつかないんですから。おかしくなったのは家族のせいだ、なんておっしゃってくださる方もいるんですが、そんなことはありません。わたしの両親はただただ放置してくださいました。妄想などと言われたこともありません。もう今は亡くなってしまいましたが。そのかわり何も買ってもらったこともありませんし、ほとんど別居みたいなものでした。わたしの家はアパートメントになってまして、早々にわたしにも一つ部屋を渡されたんです。それでわたしは考えていることをときどき紙に写して、それで食券やら風呂券やらをもらってました。それで食堂がありましたので、そこで食券を出して、それでご飯を食べるわけです。そりゃもう快適でした。愛情なんてものは感じませんでしたが、わたしはもともとそういったものは不要だったみたいです。文句も一つも言われませんでした。ところが、まわりの方々が、あなたはおかしいだの、なんだの言うわけですね。それで気づいたら、通報されてまして、それでわたしは入院してたというわけです。両親も興味深い人たちでして、それで取り返そうと必死に愛情を見せたりしないんですね。それでそのまま両親とも離れ離れになりました。それで先生方は家族が問題であるなんていうんですね。ちがいますよ。両親は素晴らしい人でした。それよりも社会のほうが不思議なんですよ。暴力や差別が完全に除去された社会。そういったものを夢見ている人もおりますね。それもまた妄想ではないですか? わたしはそういった方々から助けてもらってます。というか頼んでもいないのですが、勝手に入院されて、わたしが差別されている、などとおっしゃってくれている方々とよく顔を合わせるのですが、どう考えても彼らは何か妄想を抱いているんですね。あなたも妄想を抱いてますよね。自殺者をゼロにするって。つまり、社会から妄想を駆逐することはできないんです。わたしがたとえ社会に復帰したとしても、そこは妄想ワンダーランドなわけです。わたしがこのまま茶室でつねにあらゆるものに分裂し続けている行為は革命ではないんです。これは社会変革じゃあございません。もちろん、あなたの妄想だってそうです。これは生理的なものです。わたしはそういう生き物、そして、あなたもそういう生き物ってわけです。あなたはただあなたの生理、二酸化炭素を吸収して、酸素を吐き出す植物みたいに、あ、そして、植物が吐き出し、わたしたちが喜んで飲み続けているこの酸素だって、元は毒です。そして、今も毒です。地球をきれいにするって、植物を守っている人間たちもまたちょいと妄想が進んでいるわけですね。精神病院がダメだ、閉鎖病棟がなんだなんておっしゃってる人もいますが、わたしは精神医学に対して否定的であるわけでもありません。わたしはそういう生き物なのですから。薬物使用もありっちゃありなわけです。あなたはどうやら精神病薬をやめたらしいですが、それで反精神医学的な態度を取っていると思われるのは損かもしれませんね。それもまた妄想ですから。人の妄想には加担しないほうがいいでしょう。とにかく自分の妄想を徹底して生産し続けるしかございません。あなたをわたしを差し置いて、まず社会が狂ってます。さらに狂っていくでしょう。狂いたがってます。とにかく今日も元気に狂ってます。そんな社会をよくするなんておかしいでしょう。とにかく関わらないことが一番です。この茶室にいるのが一番です。茶室ってのはもともとそういう場所なのです。あなたの妄想の原因となっているはずの社会の妄想に誰か手をつけたほうがいいと思いますがね。あなたはまだ怪しいところがありますね。わたしみたいにしっかりと逸れているわけでもなさそうですね。狂ってるわけでもなさそうですね。わたしはその社会には一切関心がありません。復帰するつもりももちろん考えておりません。入院患者ではありますが、今ではいつでも好きなときに外出届を出すことができますし、1日の大半はこの茶室にいます。性的な愛情も持ってません。あなたはセックスが好きですねえ。それもまた怪しいですねえ。特徴もございません。家もありません。揉め事もありません。仕事もありません。ただの新しい人間でございます」

 いやはやガンさんは相変わらずのハードコアで、しっかりと刺激になった。ついつい気持ちが高ぶると、何か変革を起こそうとする、僕の妄想をしっかりと汲み取り、ちゃんと突っ込む。社会の枠に組み込まれずに生きること、新しい狂気の世界を見つけ出すこと。ガンさんはしっかりと前を進んでいる。進化し続けている。獣同然になったまま、昔のものを愛でることなく、ただ倒し続けている。怪物くんみたいな人だ。ということで、二人でお茶会して、その後、二人で、文字会をした。一人ずつ一文を書き続け、散文をつくる遊びである。

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坂口 恭平
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2015-07-31

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