哲学と冒険

僕たちは船を探す必要がある

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べている。食べながら、何かをつくろうとしているわけではない。それによって何かをつくりたいわけではない。僕はただそうやって生きたいだけだ。僕は毎日、原稿を書き、絵を描き、歌をうたい、人々と出会い、本をつまみ食いし、画集をつまみぐいする。だいたい毎朝8時更新。お休みすることもあり。


2018年4月26日

 現在について。過去ではなく、未来でもなく、いま、この瞬間について。それだけを書きたい。それだけを考えたい。それが音楽ということだ。音楽はなにかを思い出させるのではなく、いまの状態、いまの状態をつくりだすあらゆるもの、それらすべてを震わせる。それはまったく回顧ではなく、いま見ること。そのことについて考えている。ハノイから帰ってきたまま、僕はフーと一緒に車に乗っていた。
「一体、どこに行ってたのよ」
「ごめん、そのまま勢いで河内に行ってた」
 いま、僕たちは河内に向かっている。熊本の河内。河内(ハノイ)から河内(熊本)へ。まったく誰にも関係がない。誰もいま、こんなこと気にしていない。それでいい。それがいま。いま、誰も見ていない。そのまま、僕は河内町役場へ行き、そこにある河内町史を読むことにした。
「へー、面白いね」
 フーはなんでも面白がる。それでいい。いまの状態、決して彼女にとってもいいとはいえないはずの状況でも彼女は「へー」と面白がる。それだから面白いわけだ。このいまの状態について、あーでもないこうでもないとか屁理屈言ったらおしまいで、それでは厄介払いにならない。僕はいまの言葉の使われ方、そういったものすべてを厄介払いしたい。まったく違う使われ方、まったく違う意味を見つけ出したい。そういう声を出したい。声がまず先決である。僕がいのっちの電話をやっているのはそれは声の神秘についての研究である。僕の好きなキルケゴールの言葉は、いつもこうやって僕のところに何度でも降りてくる。

「解決すべき問題などなく、あるのは味わうべき神秘である」

 昨日のハノイが、今日の河内で、僕は町役場にいるのである。ここには誰もいない。職員すら昼ごはんに出ていた。そして、僕は相棒のフーと一緒に、本を読んでいた。
「やっぱりここに修験道がいたんだな」
 僕が言った。
「修験道? それって熊野とかの?」
「そうだよ。室町の頃は、この金峰山の修験道は熊野の修験道たちと連絡を取り合っていたみたいだ。郷土史家の松本さんが書いている。ほら」
 僕は河内町史をフーに見せた。しかし、フーはチンパンジーというか、新しい人類だ。書物など見せたってかまいっこない。彼女には文字は読めない。だからこそ、新しい。だからこそ相棒。まずはすべてを疑う前に、すべてに対して、真っ白でいること。知らないでいいというわけではない。その前である。猿でいること。猿のまま、猿でなくてもいい。植物のまま。僕は毎日、植物と触れる。植物の葉っぱを何枚か切り取る。すまないと言いながら切り取る。それを嗅ぐ。それを嗅ぐだけで気持ちが楽になる。それを今年に入ってから毎日している。こうやって、僕はいまの状態を知りたい。いまの状態を知るのに、書物は不要である。いまの状態を知るには、それは歩き植物に触れる。僕は河内の植物に触れていた。芍薬が咲いていた。その桃色の花びらを見ながら、僕はまたいま、なにか聞こえてきたのを感じた。
「なにが聞こえてきたの?」
「なんだかお囃子みたいな太鼓みたいな音だな」
 僕は書物を広げている。昼ごはんが終わったからだろうか。どこかから音が鳴っていた。フーには聞こえていない。
「それはどこから?」
「船が一隻浮かんでるよ。そこからかな。いや、違う。海の音が聞こえてきて、そうだ。金峰山は松明が燃えていて、それは灯台の代わりだったみたいだよ。それで僕は風を感じながら、その海沿いの町にいる。あれ、ここに地図があるよ」
 そこに掲載されていたのは、戦前の河内町白浜の地図だった。
「それじゃ、恭平のおばあちゃんちも描いてある?」
 僕は祖父母の家を探した。そこには「徳松」とだけ描いてあった。
「徳松ってなに?」
「それはどうやら曽祖父のあだ名、ここではしこ名って呼ばれてるんだけど、その名前だね。まわりにそう呼ばれてたんだろ」
「なにをしてたの?」
「まだよくわかってないんだよ。親父に聞いても知らないっていうばかりで。ただ眉毛がとんでもなく長くて、白くて、それが耳の先くらいまで伸びていて、よく刺さってたって親父は言ってた」
「で、あなたはここでなにをしようとしているの?」
「さあ。不思議なんだよ。体がどんどん動いて、それで僕はなにかを探そうとしているらしい。僕はとにかく自分の体を制御することをやめたんだよ。そうじゃなくて、まるで磁石みたいに自分の体を捉えてててね、それで、僕は勝手に動くままに動かしているだけだよ。ハノイに行ったのもそれが理由ってだけだ。僕にはわからない。でも僕はわかっているらしい。僕は自分がわかっていないのに、わかっているという不思議な状態のまま、体を動かすことにしたんだよ」
「へえ、面白いね。それってどんな気分なの?」
「冒険野郎の気分だよ」
「毎日生きてて、冒険ばっかりしてて、あなた幸せね。とにかくわたしは介護士だからね。あなたはどんどん動けばいいのよ。一人で動かないでね。一人でやると大変だから。東京は東京で介護士がちゃんといるしね。もうこうなったら、あなたの好きにやったらいいわよ。そのかわり全部見ておくことにするよ。全部ついてくるから。サンチョパンサみたいなもんでしょ? セルバンテスさん」
「これはいまのことなんだ。これは別に先祖のことを調べてるってわけじゃない。常にね、人間ってのは、3歳児だろうが、80歳のおじいちゃんだろうが、いま生きているわけで、それは同じ瞬間なんだよね、もちろん、それは死んだ人もそうで、死んだ人がいま、呼んでるわけだ。しかも、この話はどうやら日本ってだけじゃないらしい。僕はどこか遠いところから流れてきた。それでこの熊本の、日本のはじっこ、海沿いの岸壁沿いに住むようになった。彼らには韓国や中国なんて区別はない。しかもインドネシアやフィリピン、ベトナムの人だって、このへんにはいたんだ。だから町の外れに唐人墓ってのもある。それが一体、なんだかまだよくわかっていない。しかし、僕が乗ってた船があると思うんだよ。それはきっと紀元前。もっと前かもしれない。旧石器時代くらいかもしれない。家に黒曜石があるだろ?」
「うん。あなたが九州大震災のときにみんなの前に差し出したあの黒曜石ね。あの日は本当に黒く光ってたよね。少し怖くなったくらい。あの石に触った途端、2回目の本震がきたわよね」
「うん。そうなんだ。で、僕はあれを縄文先生にもらったんだけど、あの黒曜石を触った途端に、金峰山の映像が見えたんだよ。それで本震の後、僕らはタクシーが1台残ってて、奇跡的に乗れて、それで金峰山に向かったでしょ?」
「うん。金峰山の道は壊れてなくて、それで車もほとんど通ってなくて、それでうまく切り抜けられた」
「あのときのシーンがふわっと浮かんでた。だから、迷いなく、そうしたんだ」
「へえ。あなたって本当に想像力が豊かだよね」
「でも、おれの中では想像力じゃないよ。おれの体はまさに磁石になってて、扉が開いて、そのまますべて流れ込んできたんだよ」
「で、それといま、河内にきているのがなにか関係あるの?」
「いや、船があるってハノイで聞いたんだ。それを探しているんだよ。どこかにきっと船があるんだ。おれが乗ってた船が」
「へえ」

 フーは面白そうに話を聞いてくれている。
「それなら探さなくっちゃ」
「そうなんだよ。これはほとんどの可能性で、ただの妄想と呼ばれてしまうからね。それで病院送りさ。それが当然の現実。しかし、本当はそうじゃない。僕は病気じゃないだろ?」
「うん、そう思うよ。いたってまともの恭平さん! ちゃんと全部録音しているからばっちりよ。一言も聞き逃さないから!」
 フーの手元にはしっかりとiPhoneボイスメモが録音中になっていた。
「で、甕なんだよ」
「かめ?」
「うん、亀じゃないよ。甕」
「ふむふむ」
「甕が鍵になると思うんだ。ハノイでも韓国の光州でもなぜかばあちゃんちに置いてある、いつも傘入れに使ってた甕とまったく同じものを見たんだよ」
 僕は自分が撮影した写真をフーに見せた。
「確かに似てるわね」
 さらに僕は先日横浜の博物館で見たフィリピンのルソン島で作られた甕の写真も見せた。
「なんだか冒険しているみたいね。タンタンみたい」
「そういえば、かずちゃん!」
 かずちゃんとは僕とフーがいつも買い物にいく服屋パーマネントモダンの名物店員である。いつも優しいかずちゃん。
「かずちゃんは日本でも有数のタンタンファンで、作者のエルジェ生誕100周年を祝う会で、ブリュッセルの宮殿で開催されたタンタン大仮装大会で、存在しないはずのタンタンの恋人役の仮装をしてグランプリに輝いて、エルジェの奥さんと食事をした経歴を持ってるんだよ」
「へえ、あのかずちゃんが! すごいね。みんな冒険野郎ばかりだね。恭平のまわりは」
「君だってそうなんだよ。だから、この僕の冒険にちゃんとついてきてもらわなくっちゃ」
「がってん! さあ、船を探すわよ。3時になったらアオが帰ってくるし、5時にはゲンを迎えにいかないといけないし。あと3時間しかないよ。お腹も減ってるけど、こうなったら気が済むまでやるしかないね。さあレッツゴー」

 僕たち二人は河内町役場をあとにして、祖父母の家の近くまで向かった。その前にたたら水という湧き水地帯へ。
「ここは1600年も枯れずに流れ続けている由緒ある湧き水なんだよ」
「へえ、恭平ってなんでも知ってるね。勘違い野郎なんて言われてねかわいそう。一緒に遊んだら、こんなに面白い遊園地はないってのにね」
「だろ! お前、ほんとわかってるねー。で、この湧き水は名前の通り、たたら、つまり、鉄をつくってたわけだ。横に製鉄跡地があるんだ。しかも、1000年前の跡地なんだよ」
「河内って一体、どんな場所だったの」
「おれもわからない。でも、なにかあるよ。おれが新政府をつくったのも、いのっちの電話をやっているのも、もとはここにあるはずだ。なんせ、親父と母ちゃんはまったく別の場所で偶然出会ったのに、家に帰ったら、隣同士だったんだから。なにかあるだろ」
「そうね」
「それでね九州ってのは、八つしか県ないだろ?」
「うん。そうね。なんで九州って言うの?」
「おれも社会科の先生に聞いたんだよ。小学生の頃。でも、先生は知らないって言った。それで悔しくなっておれはずっと調べてて、それでわかったんだよ」
「へえ。どうして?」
「中国でも韓国でもまず国を制定したときに、九つの州にわけてたらしい」
「へえ」
「だからだよ。つまり、九州はもともと独立国だったってわけよ。その真ん中に河内がある。そして、ここは入江になってはいるけど、潮の流れでうまく流れてこれるようになってる」
「ふーん。よくわからないけどそれで恭平にはその血が流れてるってわけね。海賊だったんだ!」
「そんな感じだよ。きっと。そのときの船があるはずなんだ」
「グーニーズみたいね。あなたの好きな」
「それを探しに行こうと思っているわけだ」
「でも、わたしちょっと疲れたかも。恭平の話は面白いんだけど、なんせ疲れるのよ。ほとんど現実だか夢だかわからないからね。ついていくのは大変なのよ。でも、全部本当だと思って、接してみることにしてからは、ずいぶん楽になったし、面白くなった。好きな人がもう一人いるとかいって、ちょっと困ったりもするけど、全部ひっくるめたら、面白い。でも、ちょっと疲れたよ。温泉でもないの?」
「よくぞいった。あるよあるよ。ばあちゃんちから歩いてすぐのところにある那古井館って温泉宿がある」

 僕たち二人は那古井館へ向かった。古い昔ながらの温泉宿である。とりあえずゆっくりしよう。というわけで、温泉につかった。誰もいないから、二人で入っていいですよと女将さんの粋な計らいで、家族湯でもないのに、二人で男湯に入ることにした。ふーっと息を吐いた。僕は風呂上がりにビールを飲んだ。フーは最近、免許を取ったのでこれができるようになった。で、ビールを飲んで座敷にごろんとしていたら「ねえねえ見て!」とフーは言った。そこには色紙があり、宮崎駿先生の写真が。
「なんで?」
女将さんに聞くと、どうやら『風立ちぬ』の最後のシーンで主人公が設計図を描いたあの家は、この那古井館の建物を参考にしたらしく、お忍びでここに視察にきたらしいのだ。
「で、その館はどこにあるんですか?」
 僕たちは場所を聞いて、駐車場の隣にあるという建物を見に行った。そこに本当に建っていた。
「へえ」
 二人でぼうっとその建物を見ていたらフーが「あれ?」とつぶやいた。
「なに?」
「ねえねえこの建物の奥になにか見えない?」
「えっっ?」
 僕は建物の屋根の奥を見た。フーが指差す向こうを。すると、そこにあったのは船であった。

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坂口恭平

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