いまがむかし

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシュアリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。
透明になりたいと願いながら生きる「ぼく」は、自分が集めたおもちゃを手放しはじめます。


 夏のてっぺんに行き着くまでのあいだに、ぼくは膨大にあったおもちゃの半分ほどをどこかしらに売り払った。おかげでいま、部屋はがらんとしている。同じだけ、こころもがらんとしている。つまり、計画はいたって順調ってことになる。

 しかし、朝起きたばかりで部屋をながめていると、ぼくはどうしようもなくさみしくなる。そしてあれがない、これもないと、ひとつひとつの形を鮮明に思い描いてしまうのだ。これじゃあ手放した意味がないし、こんな自分がうっとおしくてたまらない。
 めぐるは、できうる限りぼくと行動を共にし、写真を撮ってくれている。いまのところ、身体のどこかが透明に映ったというようなことはないようだけど。
 ところで、おもちゃを手放すにつれ、わかってきたことがいくつかある。これはぼくたちにとって、それなりに意味のある収穫にちがいない。忘れないうちに、いくつか書き記しておこうと思う。

・痛いものと痛くないものについて
 まず、手放すときに、痛いものと痛くないものがあるってことだ。
 痛くないものは、ほとんどが貴重だから買ったとか、コンプリートしたいから買ったとか、そういったコレクターとしての価値観で買ったものたちだ。だから、ちょっとばかし痛くたって、すぐに忘れることができる。なぜなら、その価値観っていうのは、特定のコミュニティーだったりメディアだったりから持ってきたもので、もともとぼくの持ち物ではないからだ。つまり、いまあるうちで、もっとも余計なものと言ってもいい。
 一方で、痛いものはずっと痛い。自分の肉がえぐり取られたまま、永遠にふさがれないような痛みをぼくにもたらす。
 それはたとえば、たいして価値のない缶バッジだったり、お菓子のおまけだったり、ボロボロのお人形だったりする。きわめてちぐはぐで、断片的で、ささやかなものたちばかりだ。コレクターとしての価値観とは正反対の、ぼくだけの価値観や欲求をもって手に入れたものたち。
 だけど、それがどういう価値観だったかは思い出せない。あるいは、思いだせないままでいたいだけかもしれない。
 だってそれこそが、ぼくがもっとも捨てたい部分にちがいないから。とにかく、こちらについては引き続き調査中だ。

・なつかしいということばについて
 それから、フリーマーケットに参加するたびに直面してきた、なつかしいという言葉への苛立ちについて。これは、めぐるとの会話であっさり理解することができた。
 先週末のことだ。ぼくたちはフリーマーケットおわりでそのまま商店街のさびれた洋食屋に入り、いままでのことを整理していた。めずらしくものがたくさん売れたおかげで、ぼくはハンバーグ定食だけじゃなく、余裕をこいてデザートとビールまで注文していた。めぐるはぼくの向かいで、フリーマーケットで買ったばかりの手帳を広げ、会話のいちいちを細かく書き入れている。ちなみに今日も、コーヒーメーカーは売れなかったらしい。だからデザートはなし。
「なるほど、痛いものと痛くないものね。ほかには?」
「現時点でわかってるのはそれくらいかなあ。わからないことならもう一個あるけど」
 ぼくがそう言うと、めぐるはさらさらと、子供が気取って筆記体のまねをしているみたいな字で書いた。
『・わかったことはない わからないことはある』
「おーし、話してみ!」
 こういうふうに促されると、ぼくはとっとと崖から飛び降りろって言われているみたいですぐドキマギしちゃう。
 一呼吸おいてから、ぼくは自分のペースで答えた。
「ずっと感じていたことなんだけど、おもちゃを見てなつかしいって言われるのがいやなんだ。でも、それがなんでかは、例によってわからない」
 めぐるは得意げな顔で、力強く書きなぐった。
『・なつかしい いや』
「いや、それどころじゃない。すごいイライラむかむかするんだよ。そういうやつには、ぜったいなにも売りたくないって思っちゃうんだ」
「えー、なら売らないってわけにいかないの。あたし、こないだのフリマで超むかつく男来たけど、売ってやんなかったよ。クレしんの水筒」
 たしかに、しっしと客をあしらっているめぐるを、なんとなく見た覚えがある。
「そうしたいのはやまやまだけど、そういう気持ちもすべて、まるごと捨てたいんだ。なすがままになりたい」
『・まるごと すてる』
 そう書き入れながら、めぐるはうーんと首をかしげた。
「なんとなく分かる気もするけど、やっぱりゆうちゃんの言葉を完璧にキャッチしてあげんのはむずいなあ」
「ぼくも自分がよくわかんない。いつものことだけど」
「わかりたい、という気持ちはある?」
「えー、うーん、それもわかんない」
 めぐるのコップのなかの氷が、ずっこけたみたいにカランと鳴った。
「そっかあ……」
『わかんない』
 めぐるはでかでかとそう書き、そのしたに赤いペンで強調線を書き入れた。
「でもさあ、なつかしいが腹立つっていうのは、実にあんたらしいとわたしは思うよ」
「ぼくらしい? どうして?」
「だって、ゆうちゃんにとって、おもちゃっていまじゃん」
 めぐるは、いつもこういうシンプルな言い方をする。うっかり飲み込んでしまってから、ぎゅっと胃が痛くなるのだ。
「みんなにとってはなつかしい、むかしのものでもさ。ゆうちゃんにとってはずっとずっといまじゃん」
「えー、どういうことだろう」
 混乱しているぼくに、めぐるはぴしゃりと冷水をかけるみたいに言った。
「しらねーよ。ゆうちゃんに聞きなよ」

 あれから、ぼくはめぐるに言われたことについてずっと考えている。けれど、いったいどういうことなのか、なにを言われたか、いまだによくわからない。
 そんななか、今日は久しぶりに買い付けの同行に行かせてもらった。ぼくとうしおくんにあまりに体力がないせいで、ここのところ買い付けは、元運動部のみずなくんと木野さんに任せっきりだったのだ。
 夏場の買い付けは大変だよ、とは聞いていたけれど、ほんとに大変だった。服はビショビショになるし、場所によってはクーラーがなかったりする。というより、ものが保管されている場所なんて、クーラーなんてないことがほとんどだ。

 一軒目の買い付けは、エレベーターのない団地の最上階にある、一人暮らしのおじいさんの部屋だった。正確には、一人暮らしのおじいさんが、つい四日ほどまえまで住んでいた部屋だった。部屋じゅう本が溢れかえっていて、うっすらと焼き芋みたいな、いままでに嗅いだことのない臭いが漂っている。

 対応してくれた息子さんは、部屋を埋め尽くす大量の本のなかで、所在なさげに立ち尽くしていた。スーツ姿で、だらだらと汗をかいて、いかにも仕事を抜け出して来たって感じだ。
「おっきい店にも相談したんですけど、古すぎてだめとかで、もしすこしでも値段のつくものがあったら、なんでも持ってってください。どうせ全部捨てるんで。捨てるのもお金かかるんですよ、まったく」
 まるで、どうしておれがこんな目に、とでも言いたげな口調だった。ぼくとオーナーはそうそうにTシャツの袖をまくって、タオルをおでこにまきつけ、黄ばんだ扇風機がたったひとつ稼働しているだけの部屋で作業をはじめた。
 ぼくはオーナーが選んだ本を透明コンテナにまとめ、せっせとワゴンに運んでいかなくてはいけなかった。大量だ。それもエレベーターなしの五階だ。
「すごいですよ。しかるべき場所に保管されていなくてはいけないような貴重な本がたくさんある。それもほとんど初版だ。状態もいい」
 男の人は、しかるべき場所についてピンときていないようだった。
「父は凝り性だったんです。本の中身というより、とにかく集めることが好きだったみたいで。ろくに働きもしないでこんなもんばっか買ってたんです。おれ、もう本の匂いなんて嗅ぐのもいやですよ。いまだに」
 せっせと荷運びをするぼくの背後で、ふたりは団扇を扇ぎながらたのしげに話しをしていて、たのむからぼくに麦茶くらいだしてくれ、と思う。でも言えないし、ついこのあいだまで生きていたひとが、明日にでも飲もうとしてこさえたものなんて、気持ち悪いとか思ってしまう。冷蔵庫が、そんなぼくを威嚇するみたいに低い音をたてていた。
 コンテナを延々と運びながら、ぼくは顔すら見たことのおじいさんの、いまとむかしについて考えみた。
 しかし、なにを考えたって、もはや無駄な気がする。だっておじいさん自身が、すでにむかしの人になってしまったのだから。
 けれど、そんなむかしの存在が、いま現在のぼくの、生きる身体を苦しめている。なんだか釈然としない。頭がくらくらする。

 絶望的なことに、今日はそのあとも買い付けの予定が入っていた。
 すっかりボロボロになりながら、いそいで牛丼をかきこんで、ぼくたちは早速つぎの買い付け先へ向かった。
「ぼく、もう重たいものなんて持てないですよ」
 だって、どんぶりを持ち上げる手すら、痛くてたまらなかったほどだ。
 しかしオーナーはぼくの言うことなんて聞かず、ぶっといハンドルをけだるげに回しながら言った。
「そういや、最近はどうなんだ?」
「なにがですか」
「おもちゃ、やっぱ手放してんのか」
 ぼくは、すでに赤になった信号を、ゆっくりと渡りきるおばあさんに気を取られているふりをして、わざと遅めに返事をした。
「まあ、はい」
 オーナーは一緒になっておばあさんを目で追いながら言った。
「そうか。おれはなにも言わないけどな。なんか、いいほうに行くといいな」

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ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

痛みと共に捨て去った、ひかりをぼくは取り戻す―― エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これ...もっと読む

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コメント

snuff_11 誰かにとってのいまじゃないものがなつかしいなんて言葉ひとつにされちゃうのはあんまりだよなあ。 https://t.co/7O3m21rUbM 2年以上前 replyretweetfavorite

kuromi67 心がきゅーっとなって、泣けてきた。うまく表現できないけど、同じ気持ちが私の中にもあるなぁ。 2年以上前 replyretweetfavorite

nemumiyu 少年アヤさんの文章、私にとって他者の話ではあるんだけど、今という時代を一緒に生きてる人の書いたものを読んでいるんだなという興奮がすごくある https://t.co/ULjbO0TCzO 2年以上前 replyretweetfavorite

yuuskee 1件のコメント https://t.co/qXJRi93Qzh 2年以上前 replyretweetfavorite