哲学と冒険

ニンテンドーラボを買った足で

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べている。食べながら、何かをつくろうとしているわけではない。それによって何かをつくりたいわけではない。僕はただそうやって生きたいだけだ。僕は毎日、原稿を書き、絵を描き、歌をうたい、人々と出会い、本をつまみ食いし、画集をつまみぐいする。だいたい毎朝8時更新。お休みすることもあり。


2018年4月24日

 まだ少し何か頭に残ったまま、朝方家に帰ってきた。そのまま、10枚書いてばたんきゅー。夢を見た。どこか吹き抜けがある。高い天井では扇風機が長い長い羽をゆっくりと回している。僕はその羽を見ながら、どこか遠い空のことを、そこで悠々と飛ぶ鳥のことを思い返していた。これは夢だ。夢の中で思い出すこと。それはいつのことだろう。自分が夢を見ていることも少し自覚している。なぜなら夢も現実と同じようなものだと思っているからである。だから、そこにもちゃんと延長線上があり、その道はどこかにつながっている。吹き抜けの手すりに顎をつけている男がいて、そいつはトニーって男で、ナイロビの親友のトニーとは名前は同じだが、別の人物だ。
「恭平、お茶飲もうよ」
 トニーは親指を立てて、僕を二階に誘った。天井の扇風機を見ていた僕は、そのまま天井を向いたままなぜか体は二階へ向かっている。ベッドに寝たまま移動しているのか、手術をしたときのような感覚もある。なんにせよ僕は元気だ。体はどこも痛くない。二階にあがると、扉もない部屋の入り口があり、そこをベッドのまま僕は入っていく。床はタイル張りで、綺麗なターコイズ色のタイルが敷き詰められている。
「前さ、ブリックロードのモロッコ料理に行っただろ?」
「ん?」
 サンドンにあるブリーックロードに行ったのはもう10年前の話だ。僕はデニングポイントという名前のアパートに向かっていた。そこに日本人の友人、ガンペイって男が、ガンペイはひとりで音楽を演奏しながら絵を描く芸術家だったのだが、そのガンペイはひとりでサンドンに行って、そこでバンドを組んでレコードを出したり、テイトモダンでバイトしては勝手に自分の作品をテイトモダンの展示室に飾ってよく怒られていた。で、そのデニングポイントというアパート(もちろん今も健在のアパートだ)がとんでもないところで、注射器を差し込んだ少年が踊り場にうつろな目で座ってるみたいなところなのだが、ガンペイはそこで暮らしていた。この部屋がまたとんでもないところで、中に入ると、そこは一見、普通の部屋なのだが、階段がそこらじゅうにハシゴがそこらじゅうに見える。階段やはしごを登ると、そのまま上の階につながっている。ガンペイの部屋は三階建てだった。これはどういうことをやっているのかというと、三人の仲間で借りていて、それぞれ自分の家の床を、それはコンクリートなのだが、ぶっ壊して、それで縦に三つわけてそれぞれ別々に暮らしていたのだ。そんなことやったら出るときに大変なんじゃないかと思ったが、ガンペイたちはまったくそういうことを考えていなかった。未来も過去も見ない現実しか今しか見ない。それでうまくいってれば後にも先にもうまくいく。ガンペイはいつもそう言っていたが、いつも大変なことに巻き込まれていた。しかし、それでもめげずに今のことをやり続けるガンペイは僕の中ではスターで、絶対に食べていけるはずがないと思ったのに、芸術家なんだから仕方がないといってはサンドンに行った。それで今ではしっかり飯が食べれてるんだから、もう何がなんだかわからない。大事なことは行動をやめないこと。禁止されていることに引け腰にならないこと。先のこと考えないこと。ガンペイはそれで毎日、バカみたいに作品をつくっていた。それもただ思いついたことを、直感をそのまま紙に書いたり、描いたり、ビデオに撮ったり、写真に撮ったり、街のテレビクルーのところに近づいて、今感じていること、今日得たインスピレーションを語っていた。そのうち、英語も抜群にうまくなって、日本にある医薬品会社がヨーロッパからの薬の仕様書みたいなものを翻訳するときはすべてガンペイに頼むようになり、それだけでずいぶん稼いでいるらしい。ガンペイはそれでさらに二つ部屋を借りていて、僕たち仲間がきたときはゲストハウスとして無償で提供してくれているのだ。

 で、なんでこの夢のトニーはガンペイのことを知っているのかってことになる。
「デニングポイントがどうした? あれはサンドンだぞ。しかもあれはおそらく現実の話だ。グーグルで調べたが、今建物の住所も出てきた。あれは夢の話じゃない」
「そんなことはない。モロカンソシアルクラブに行っただろ」
「ああ、行ったよ。別におれは興味がないけど、なんでも売ってるとこだろ」
「そうだよ。ビリヤードしただろ?」
「したよ、煙くてすごかったけどね」
「そのあと、扉を抜けて公園に出ただろ」
「うん、あのサンドンの公園はほんとにいいね。パキスタン人たちが自分たちが盗んだものを売っててね、あの泥棒市は最高だった」
「その泥棒市のどんつきが、この店だ」
「は?」
「まあ、お前はわからないと思うが、お前はきっとわかるだろう。だって、お前は夢が覚めても、夢か、なんて思わないだろ。同じ周波数で生きようとするだろ?」
「そのつもりだよ。目が覚めて、すぐ、さ仕事だ、なんていうやつが大嫌いなんだよ。ちゃんと夢を見たなら、その夢の周波数のまま、その日を生きろと思うから」
「だからなんだよ。お前がそんなことするから、いつのまにか少しずつおれが自分の体をもつようになり、結婚したり、お金を拾ったりするようになった」
「お前好きなやつができたのかよ」
「ああ、お前が言う『現実』ってところにな」
「そりゃ面白い話だ。昔、おれも読んだことがあるよ。夢の中に出てくる女のことが好きになって、そのまま結婚して、家族をもって、現実に戻ってきたら、ホームシックになる人」
「ああ、それうちの親戚の新聞記者だよ。今じゃトンネルがしっかり掘れたみたいでね、ホームシックも落ち着いて、しっかりと二重生活してるよ」
「で、何が言いたいのトニー」
「なんでもないよ。もうちょっとお茶してたいと思ったんだ。お前とね」
 二人の体がくたくたになった。僕も目がしばしばしてきて、まばたきすると、壁はふっと崩れ落ちたりしていた。こういうときはあれだ、もうすぐ目がさめるってことだ。

 目を覚ました。いつもの家だ。レースフラワーがまだ咲いてる。なぜか枕元にはシゲタのヒノキの香りのバスソルトまであって、僕は体をさっと起こした。
「それで、すぐにそっちに戻るのかい?」
トニーの声が聞こえたが、さすがにそれは空耳だった。横にいたのはサンで、サンはまだ寝ていた。咳をするとサンが目を覚ました。
「寝てたね、気づいたらわたしも寝てた」
「今日、何日だっけ?」
「今日は24日。恭平、あなたが熊本に帰る日よ」
「そうだ忘れてた。お土産買わなきゃ」
 サンはそれを聞いて少し悲しそうな声を出した。
「そろそろ空港に行かないと、間に合わないよ」
「まあ、遅れたら遅れただから、なんでもいいよ。なんでもいいんだ。そのまま、体を、すべてに身を任せて、時間だって、それも形をもった何かだろ。風が気持ちいいって思ったら、そのまま風をずっと感じてたらいいよ。お土産は、えっと、ニンテンドーラボって言ってたかな。どこにあるかな。伊勢丹に電話してみるか」
 しかし、伊勢丹は売り切れてた。
「そういえば、国際線のターミナルにビックカメラがあるわよ。そこに行けばあるんじゃない。もう時間もないし」
「オッケー」
 というわけで、僕は羽田空港の国内線ではなく、国際線のターミナルへ車で向かった。ビックカメラにニンテンドーラボが置いてあった。購入してそのまま宅配便で送ることにした。
「なんで? もって帰ったほうがいいじゃん」
「いや、そりゃそうなんだけど、なんかお土産って、驚きがないじゃん。もっと驚いたほうがいいから、おれはいつも宅配便で送るんだよ。おれの家のその営業所とは昔から仲が良くて、おれがむちゃくちゃお願いしてばっかりだから、今ではもうほとんど親友になってて、いろんなことをやってくれるんだよ。もちろん、24日は本気でトナカイを連れて、夜運んでくれる。ま、トナカイじゃなくて、ポニーなんだけど。街を歩いていたら、巨大な恐竜の卵が転がって、それを息子と娘が見つけて、近づくと、少しずつ割れて、その中からプレゼントが出てきたり、とにかくこの営業所だけはヤマト運輸の中でもとびきりで、この営業所だけでいつか独立するんじゃないかって思ってて、僕はいつも独立してくれ、株買うからって言ってるんだけど、最近、営業所長が本気になってて、この前はシリコンバレーに出資者求めに行ったからね。しかも、自分を梱包して、それでアメリカまで行ったらしいんだよ。もうどこまで嘘だが本気だがわからないやつらでね、こちらも送ったはいいけど、いつも不安で、とにかくなんでもやるやつらで、そんなやつらが生きていること自体、奇跡だと思うんだけど、なんで、こうもおれの家のまわりでは変な人たちが多いのか。ま、なんにせよ、これでお土産はばっちり」

 で、そのまま二人で国際線を歩いていた。すると、なんというか、楽な気持ちというか、国内線だと、しばらく会えなくなるからって、ちょっと感傷的になるのだが、国際線はふわっと風が吹いていて、到着階にビックカメラはあるんだけど、つい3階の出発階へと足は向いていた。なんか体はついつい予定に引っ張られる。で、そういうときの体ってのは現実すぎる、現実というものとうまくやりすぎる。そういうとき、僕はついつい体をふっと力を抜きたくなる。小さいときであれば、突然、死んだふりをしたり、突然、迷子になったふりをしたり、突然3階の窓からしたに飛び降りたり、そういうことをしていた。試験発表のときはいつも嘘ついて不合格だったふりをして、その日1日を過ごして、家族全員で暗い顔をして、そのままずっとそのままにしていたり。そういうことばかりしてしまうのである。それはなぜか僕は人々が現実と夢を区分けしすぎているからであり、それをむちゃくちゃにしたい。なぜとんでもないことはすべて夢で、それはありえないと人々が勘違いしているのか、それに対しての怒りがある。しかし、怒るといっても誰に怒ればいいのかわからない。行動は常に明るく勇気凛々で!これが僕の怒りの不思議な表し方である。で、二人で電光掲示板を見た。
「ほれ、今から行くぞ」
 いつ何時どこへ行くかもわからないのだからと常にパスポートは携帯している僕は、そのまま電光掲示板でピンとくる都市の名前を探した。14:45発の熊本行きのANAに乗るふりをしながら。台北、上海、北京、パリ、フランクフルト、広州、ソウル、サンフランシスコ、ミネアポリス、ロサンゼルス、香港、シンガポール、トサント、ホノルル、バンクーバー……。うーん、なんか違う、と思ったとき、16:35発、ベトナム航空河内行きと書いてある。「河内?」これはもしや、そして、画面が切り替わって、カタカナの都市名が出てきた。「ハノイ」僕の故郷である熊本・河内と同じ名前だからとずっと気になっていたハノイが出てきた。
「ハノイいいじゃん」
「へえ、面白いね」
「ちょっとチケットカウンター行ってみよう」
「でも当日ってバカみたいに高いよね」
「行ってみないとわからないよ」
 で、ベトナム人が一人、アオザイを着た女性がいた。
「今日、チケット余ってますか?」
 羽田空港はガラガラでなんとなくいけそうな予感がした。
「はい、まだ余ってますよ」
「今日、今から行きたいんですけど」
「16:35ですか?」
「はい」
「92,130円になります」
「片道ですか?」
「いや、往復です。お二人様ですか?」
「はい」
 冗談のつもりで聞いたのだが、なんとなく、聞いた瞬間に、行っている自分が見えた。行くつもりの自分が出てきた。そのまま搭乗口へ。なんだこの体の軽さは。

 自分が死んでいるみたいな気持ちになった。3・11の震災のときも、4・16の震災のときも、感じたような軽さだった。僕は何か起こって、すべてがめちゃくちゃになっているとき、なんとも言えない軽さを感じ、これからどうするかって不安よりも、今の軽さのほうに注目してしまう、そして、なぜかとたんに生きる希望が湧いてくるのだ。それくらい、今の決まりきった状態、朝起きたら学校へ行く人、会社へ行く人々、夜になったら帰る人、朝、昼、晩とご飯を食べる人、檻に入った動物を見る人、なんかよくわからないけど、この予定調和をみていると、体が重くなる。ま、そこまで大げさな気分ではなかったが、それでも気持ちが楽になった。すぐに株式会社躁鬱社員のミカちゃんに電話をした。
「はい! ミカちゃんです!」
 ミカちゃんはいつも元気だ。でも、帰国子女でいじめられたらしく日本人の友人はゼロだ。ミカちゃんもまた僕にいのっちの電話をしてきた。ミカちゃんは日本人の友達ゼロだけど、世界中に友達がいる。しかも、みんなナイスガイで、日本語で話し合っているような感覚になる。そうやって、ナイロビのトニーともあったし、ガンペイを紹介してくれたのもミカちゃんだ。
「ハノイに今から行くんだけど」
「はあ~~いいわねえ。わたしも行きたいよ」
「ミカちゃんもくればいいじゃん」
「でも、今日、カナダからくるあなたの友人のコーディネイトしないと……」
 ミカちゃんは今では立派なコーディネイターである。それで一人で仕事もできているし、最近、実家から離れて、一人暮らしをはじめた。パリに住んでいる友人の別荘らしく、神楽坂の気持ちいいところにある小さな一軒家である。ミカちゃんは本当に死ななくてよかった。
「ハノイと言えば、ジョルジっていう面白いポルトガル人の友人がいるからメールしとくね」
「いつも助かるよ」
「しかし、なんでまたハノイなの?」
「いや、漢字で河内だからだよ。今、なんか河内がきてる。自分の中できてて、河内に生まれたってことが、何か自分がやろうとしていること、実はこれは今考えているんじゃなくて、これは前前からもともと僕が生まれる前からこれはずっと考えていたんじゃないかって思うからね。もちろん新政府も」
「そうよね、家の横にいたのが、あの元ペルー大統領のアルベルト・フジモリののちに母親になる人だったんでしょ?」
「そうなんだよ。この河内、河内の白浜って町は江戸時代に30メートルの大津波に飲み込まれてすべて絶滅しているらしいんだけど、やっぱり誰か生き残っているんだろうね。僕の祖先は海で暮らしていて、それこそ船の家に住んでいて、彼らもまたモバイルハウスに住んでいたわけだし、しかも、僕はそこで暮らしていた一人の男のことが気になってる」
「それはあなたの祖先?」
「うん、たぶんね。よくわからないんだけど、そいつが生きてて、そいつは恭平って名前なんだ。それで船の家に住んでるが、ちっとも魚釣りなんかせずに植物ばっかり食べて暮らしている。それでなんの役にも立たないやつなんだけど、船に乗るのは好きだし、しかも、よく歌をうたってる。だから、面白いやつだからって漁師たちにも好かれて、そいつはいつも漁師たちと一緒に船に乗って暮らしていたんだ」
「それは郷土史かなんかに出てくるの?」
「いや、これは機内で見た映画だよ。モノクロだったからすごい古い映画かも。映画じゃなくて、テレビドラマかもしれない。日本人が出ててね、それを今、見てる」
 飛行機も今は全部Wifiフリーだ。

 ミカちゃんは僕にどんどんハノイ情報を投げてくれる。まずはタクシー会社を経営しているというジョルジに会えばいいみたい。それは面白いテレビドラマだった。ポンポン船に乗っている日本人一家のドラマ。NHKで昔やってたみたいだった。主人公が恭平で、まるで僕がそのまま出てるみたいで、それは河内の世界ともつながっていた。僕はその続きを書くように要請されているような気がした。恭平はそれで漁師たちと一緒によく異国に降り立った。漁師たちは片言をしゃべるのだが、恭平はほとんどしゃべれない。それなのに、なぜか恭平はうまくコミュニケーションをとって、しらない間に中国の建築家に気に入られた。そいつは中国には住んではいるが、阮安ってやつだった。この阮安って建築家は15世紀に生まれた人で、この人がベトナム人で、明の時代の都、北京を修復したのはこの建築家のおかげだという。ベトナムハノイは河内だが、もともとは東京(トンキン)と呼ばれていた。僕はいつも21世紀を生きながら、ときどき16世紀、そしてときには紀元前とつねに時代は時間は風のごとく、そこらじゅうを吹きめいていて、はたはたと花びらがひっくりかえったりするように考えたほうがいいと思っている。朱印船貿易。そのとき、ベトナムはシナモンを、そして、陶器をもっていた。それを運んでいたのが、われらが熊本河内の海の民たちで、どうやら恭平はその陶器を探す勘があった。漁師たちはうまく話せないが、恭平は歌をうたって立ち回り、ついですぐに女の子のことが好きになり、恋仲になり、それでみんなに気に入られ、ついつい変なところへ出ていった。それでいつも交渉する。交渉がとにかく好きなシーンばかり出てきた。金はないのに、恭平はうまく交渉をすませ、いいシナモンと陶器を、しかもそれはもともと便器だったものだ。マルセル・デュシャンが出てくる、500年も前に、恭平は便器を芸術品として貿易していた。そして、それを千利休に持っていっていたわけだ。それは今でもホイアンとして陶器は流通しているが、同じく熊本でも出土されている。僕の縄文先生がいるのだが(ポパイで連載しているポパイ大学でも取材させてもらった)、彼がいるところが高橋ってところで、そこがまさに倭寇の重要拠点港だった。河内はそのすぐ近くにある。

 まずは阮安を探せ。しかし、それは中国ってことなのか、僕は今ハノイに向かっている。ホーチミンではなく。陶器とシナモンは南が主な名産地らしいが、僕はハノイに向かっている。

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坂口 恭平
エランド・プレス
2015-07-31

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坂口恭平

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べ...もっと読む

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