ご無沙汰。ゴールデンウィークあけでそろそろ仕事が本格化してきた頃ではないかと思うのだけれど(ぼくはそうだ)、みなさんいかが?
執筆時点では、橋下徹大阪市長の各種発言が相変わらず大きく取りざたされている。ぼくは橋下のパフォーマンスにはあまり興味がないんだけれど、彼に関連した騒動のなかでかなり突出していたのは、ぼくは『週刊朝日』の評伝連載をめぐる一連の騒動だと思っている。
そしてそこから佐野真一という、一応は日本を代表するはずだったルポライターが一気に凋落し、ここぞとばかりに盗用疑惑がどんどん出てきて、なんだかどんどん騒動が広がりそうだとおもったら……あんまり広がらないので、ちょっと驚いている。実はこのこと自体が、佐野真一のやってきたことと、彼を重用していた日本のメディアや「ジャーナリズム」なるものの共犯関係の露骨なあらわれで、自浄作用のなさの証拠でもあるんだけれど。
その中で出た数少ない検証批判本が溝口敦+荒井香織編著『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム』 (宝島社)。佐野真一(ちなみに、ぼくは真と眞は同じ字だという立場なので、旧字にしたりしません)の各種著作における盗用と思われる部分とタネ本を対比させ、当該書籍の著者たちや佐野と文章が載った本や雑誌の版元にもヒアリングを行った、とてもおもしろい本だ。そして読んでいると、別にタイトルの言うように佐野真一がジャーナリズムを殺したわけではないのがよくわかる。そもそもジャーナリズム自体がろくに生きていなかったらしいんだ。
ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム
大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相
(宝島NonfictionBooks)
最初のうちは、多少読んでいて首をかしげる部分はある。挙がっている盗用の実例なるものの半分くらいは、だれが書いてもだいたいこんな書き方になるんじゃないかと思えるようなものだからだ。工場街の描写や埋め立て地の歴史についての話は、もとの文もオリジナリティを主張できるほどのものか? その一方で、確かにそれが至る所に出てくると、確かにネタもとの翻案に近いものであることはよくわかる。しかも過去に何度もそれが指摘されているという……なんでそれが何のおとがめもなしに続いたのか? ナントカ賞が1回見送られたのがみそぎだとかなんとか。日本のノンフィクション業界というのはそういうものなの?
そして、そういうジャーナリズム/ノンフィクション業界に対する疑問をさらに深めるのが、収録されているジャーナリストたちによる座談会。ここで語られている、佐野真一などのノンフィクション作家の生産体制というのは、ぼくには驚愕すべきものに思えたし、それがかなりの部分、当然のように受け取られていることも意外だった。また、座談会以外のところで、今回の騒動について、こんなことは常識で騒ぐヤツがバカ、といった訳知り顔の評論家らのコメントが紹介されている。でも、ぼくはそれが一部の「業界人」以外には常識だったとは信じがたい。さらにそうしたことが常識であること(そしてそれに対してこれまで何ら対応がなかったこと)自体の異常さもわからないほど「業界人」の感覚が麻痺していることにぼくは驚く。
つまり、佐野真一がきちんと調べ物をしてルポを書き上げるわけじゃないんだね。データーマンという調べ物を全部やってくれる人たちがいて(それは下請けとして「作家」自身が雇うこともあるし、連載をやる雑誌社がやとってあてがうこともあるそうな)、佐野真一をはじめえらいノンフィクション作家は、その上澄みをかすめて、適当につないでお話を作るだけで、それが雑誌連載になり本になるのぉ?? うーん。ぼくがナイーブなのかもしれないけれど、ノンフィクション作家ってそういう調べ物や取材を自分でやってないのか。そりゃ「こんな資料を集めといて」とかいうレベルのことは手下に任せるだろうけれど、全編それだとは。