哲学と冒険

毎日セックスしてみよう

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べている。食べながら、何かをつくろうとしているわけではない。それによって何かをつくりたいわけではない。僕はただそうやって生きたいだけだ。僕は毎日、原稿を書き、絵を描き、歌をうたい、人々と出会い、本をつまみ食いし、画集をつまみぐいする。だいたい毎朝8時更新。お休みすることもあり。


2018年4月20日

 今日は朝から車に乗って八ヶ岳へ。春の気持ちよい風が吹いている。今年に入ってから鬱になることなく、編み物を続けて、いい感じで進めてきた。それでもそろそろ疲れが溜まっているのかもしれない。800枚の書き下ろしが終わって、そのままこの「哲学と冒険」をはじめて、こちらも200枚を超えてきた。さらに新作小説「最後の人間」も150枚、新作講談社現代新書「09081064666」も50枚。それに合わせて300枚の絵と、アルバム発売、新曲もつくり、そして、先日の映画撮影。そして、今年二度目の絵の個展。そろそろうまく着陸したいところである。

 昼前にギャラリーTRAXに到着。明日のオープニングのために料理家の竹花いち子さんがきてくれて、料理を作ってくれていた。ありがたいかぎり。こうやっていつもみんなに支えられて、どうにか僕の思うまま行動を続けることができている。さっそく展示の準備をはじめた。今回はセーターに家具に額装もこれまでと趣向を変えてみた。どうなるかわからないが、毎回新しいことを試してみたい。しかし、不思議なもので、このギャラリーで1年半前に個展をやったのが僕の絵の個展のはじまりなのだが、あれ以来、毎日、毎日絵を描き続けて、ここまで自分の仕事になるとは思わなかった。今ではなくてはならない僕の創造活動の一つなのだが、こう考えると、人間というものは、それ自体が一つの色をした自由みたいなもので、それはそこらへんに生えている葉っぱや地面に落ちた枯葉や、どこからやってきたのかわからないのに、迷子になっていない石ころなどと変わらず、それ自体が一つの変転する川みたいなもので、僕は自分の体が液体みたいになって、ぐるぐると水がそこを循環している、皮膚はゼリー状になっていて、それが膜となって、川の水を閉じ込めていて、僕は歩きながら、八ヶ岳の山や桃の花や、山桜をみながら、TRAXのえっちゃんの家族である犬のテト、ポンちゃん、ビビをみながら、折れた枝をみながら、僕は考える。とにかく僕は自分がつくるもの、書くもの、歌うもの、あらゆるもの、僕の中から出ていくのだが、これは僕のなのか、僕が所有しているものではないもの、そういったものに魅惑されている。これはどうやっても説明不可能なのであり、それを僕が感じている、僕が驚いている、僕が魅了されている、それを、どうにか再現しようとしている、つねにこうやって何かが生まれ、つくられていることを忘れてはならないと思った。

 何かわかっているだけでつくっているわけではない。むしろ、その逆で、ほとんど僕がつくっていることはわからないのだ。理由などない。デュシャンが言った言葉ではないが、解決などない、そもそも問題などないのだから、というわけである。そういったものはない。それなのに、生きているものはすくすく育つ、それはどこかへ伸びている。到達するためではない、その場で何か解決しようというわけではない。問題はないが、空間は伸びている。もしくは伸びていく先に空間が生まれる。時間もまた同じ。そこは真っ黒なのか、黒くはないが、見えない、見えないが、色はない、このうえなく微妙な無数のリズムがあり、それは僕の体の中でうごめいていて、ほとんどかすかな、聞こえないものでも、僕の中の犬は感じ取り、魚はどこまでも泳いでいこうとする。それは僕の皮膚の先であっても、同じ水の分子があるとすれば、そこにリズムを見つけ出し、僕の体と結合する。そういう結合する瞬間を、それは僕の体の中でも起こる。足の爪と髪の毛の結合、僕の膝と植物のリズム、そういったものがつくりだすもの、言葉にあらわすことができないのに、言葉で感じていること。つねに感じていることがある。それはつねに言葉になろうとしている。言葉にすることができないものを感じているとき、僕はどんなものでも言葉になりかわろうとしている、そのリズムを感じている。人間というものはそのまま一つの未来ではある。しかし、未来はない、とギャラリーに遊びにきた佐藤さんは言った。

 佐藤さんはもともと製薬会社の社長で、僕に先祖巡りの方法を教えてくれた人である。近くの小淵沢に住んでいて、僕の本に影響を受けて、自分ですべてつくった村を一つつくっている。そこに選ばれた人が今のところ5年ほど住んでいて、彼は実験をしている。何もないところに、金もなく、種だけがあり、どのように人間が生活していけるのか、0円生活圏に近い実験をしている。僕はときどき、ここに行くのだが、もちろん、住んでいる人たちはこれまでの生活観念とまったく違うために、狂気に陥ったりすることもある。それでも、何かこれまで感じたことのない感覚も味わっているようだ。恐ろしい男、佐藤さん。それでいて、佐藤さんは次の経済のことも念頭に置いて、考え実践している。善悪の観念だけで、人のことを見ていても仕方がない。この今の観念自体、そろそろ変えないとまずいってことになっているのだから。佐藤さんは僕と同年代くらいなのだが、どこからどう見ても、70歳代の老人にしか見えない。僕はマックス・ブロートが書いていたカフカの言葉を思い出した。

「成年とはどんな年齢のことをいうのかはわたしには決してわからないだろう。わたしの場合、子供からいきなり白髪の老人になってしまうのだ」

 展示は無事に終わった。いい感じになったのではないか。アーティストの安野谷昌穂くん、雑誌『スペクテイター』アートディレクターのミネちゃんも遊びに来てくれて、大木ナーサリーの大木ちゃんもまざって、みんなでいち子さんがつくってくれたクレソン鍋を食べた。クレソンは大木ナサーリーの大木ちゃんが持ってきてくれたのだが、大木ちゃんが持ってくる植物はどれもいきいきとしている。魔法使いみたいな人なのだが、こういった人が太古からいたんだろう。大木ちゃんはもともとコム・デ・ギャルソンで川久保玲の元でインスピレーション担当をしていた奇特な人なのだが、今は原種のクリスマスローズをはじめ、とにかく植物シャーマンとしての技量を生かし、植物たちと一緒に暮らす生活をしている。人のことを描きたい。僕が頭にあるのはいつもそれだ。現実の世界ではなかなか混ざれないはずの人々を、僕は自分の世界でまざて、同居させ、一つの村を、街を、天体をつくるように試みている。なおもあの天体に、と言ったのはラフォルグだが、そういったイメージが頭の中にある。引用もまたそうだ。引用のように僕は人に会っているような気がする。人のことが何よりも好きだ。人間が好きなのだ。人間の楽しさ、それは人間である。

 しかし、僕は人に長時間会っていると疲れてしまう。それだけ過敏に感じているのだろう。そして、好きな人といちゃいちゃしている時間がちゃんと確保されないと、体の疲れが増してしまう。これも僕の本性だ。それは仕方ない。とにかく自分に抗わなないこと。「勇気は偽善を免れる唯一の美徳である」というスタンダール先生の言葉に従って、宴も酣、一番いいときに、僕はつい勇気を振り絞って「もう満足しまして、あとは好きな人といちゃいちゃしたいんだけど……」と口にしてみた。みんな拍手して、「おつかれさん! 展覧会スタートおめでとう!」と言ってくれたので、そのまま僕は林の中に好きな人と消えていった。そして、思う存分、僕はいちゃいちゃした。いちゃいちゃすることが好きで、なによりも好きで、仕事よりも、つくることよりも好きであるが、そんなのみんな一緒でしょ、と久子につっこまれたことを思い出した。思ったままに動くこと。考える前に感じたことに焦点を当てること。これを言ったら恥ずかしいかな、と思ったら、ひとまず体を止めて、それを言ってみる練習をしておくこと。僕はこれを言ったら、恥ずかしいかな、と思うときに、そのことを言ってみることにしている。もちろん、それは誰にでも言ったら恥ずかしいままなので、一人そういう人を選んで、その人になんでも言ってみていいか、そうすれば体が楽になると思うんだよ、と相談した。恥ずかしいと思ったときが、一番、自分の気持ちが正直に出ているときで、そういったことの繰り返しで、鬱になる。つまり、鬱は思ったことができていないときなのである。それに対処していきたい。僕はなんでも言う人みたいに思われているのだが、その実は、なんでも言わないと体がおかしくなるってことなのである。

 ということで、今日はなんでも言ってみた。思っている小さなことを片っ端からその人に言ってみた。

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坂口 恭平
エランド・プレス
2015-07-31

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哲学と冒険

坂口恭平

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べ...もっと読む

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