哲学と冒険

あの人に手紙を書いてみた

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べている。食べながら、何かをつくろうとしているわけではない。それによって何かをつくりたいわけではない。僕はただそうやって生きたいだけだ。僕は毎日、原稿を書き、絵を描き、歌をうたい、人々と出会い、本をつまみ食いし、画集をつまみぐいする。だいたい毎朝8時更新。お休みすることもあり。


2018年4月19日

 朝から原稿。毎日、書く。とにかくルーティン。薬飲むくらいなら、それと同じくらい、薬を一つ発明するくらいのつもりで、習慣をつくりだそう。そういうつもりで2018年に入ってから薬も通院もやめ、つまり、病気だと自分では見なすことなくそのかわり毎日4000字の文字、4枚の絵、1曲の歌、をつくる。というスタイルでやってみたが、なかなかいい調子だなと思う。しかし、今はちょっと上がっているんだと思う。そのままで行動すると、またどうせ落ちる。そこでさらにつくる分量をあげて調整する。とにかく、この溢れ出るエネルギーは決して悪いものではなく、やっぱりそれは素晴らしいことのはずで、でも使い方間違うと人を困らせてしまう。だから躁鬱は訓練して、技術をうまく駆使する方法を学ぶ必要がある。僕は躁鬱の気があるかを、小学生のときにはちゃんと自覚させて、別の学校や放課後にちゃんと経験者が技術を教えるべきだと思っている。そうやって教育していかないと、自殺してしまう人がいるからだ。原子力みたいな力を持っている。うまく使わないと被曝して死んでしまう。そういう学校をどうやったらできるのだろうかと思う。僕はすぐに学校をはじめようとしてしまう。でも、もう今はわかっている。学校はやらないほうがいいのだ。僕は、ということだが。学校は必要である。でも僕がやると疲れて落ちてしまう。だから僕はメモをする。ここにメモ書きをしておく。誰かがいつか見て、そうだ! と思って、実現してくれたらいい。

 僕はいつも顧問でいる必要がある。実際に動くとだめだ。だから想像の範囲だったらどれだけでもやっていい。映画の撮影のときは、この最高に調子がいいときって状態を、映画を撮影してくれた撮影隊は監督をはじめ、みんな喜んでいた。映画というものは不思議なものだ。僕がどれだけ暴れまわっても、それが一つのシーンになる。だから躁鬱にとって映画は希望なのかもしれない。確かに居心地がよかった。自分のひらめくすべてのことが、ちゃんとカメラに収まっているのであれば、それはすべて名演になるのである。しかし、そのまま現実に戻ってくるわけにはいかない。でも、現実でも映画をつくることができる。それがこの書くという行為だ。僕はここで一人で映画を撮っているつもりである。金もかからない。金も稼げないが。道具もいらない。セットもいらない。つまり、疲れない。僕は哲学と冒険を書いていて、少しも疲れない。これはただの素敵なメモだ。メモならどれだけでも書けばいい。そしてみんなもやればいいと思う。躁鬱の人はべらべらしゃべれるんだから、技術さえ磨けばしっかりと誰でも書くことができる。だからみんな書けばいいのだ。というわけで、書いた。今日は40枚も書いた。書けば書くほど、抑制させることができる。書くことで、実現するので、頭に思い描いていることはそのまま実現させることができるので、それで落ち着くし、心地がいいのである。それを現実にやってしまうと疲れてしまう。でも、家にいすぎてもつまらない。つまらなくなると落ちてしまう。だからその塩梅が重要で、その塩梅は何人かの人と相談しながらやったほうがいいのである。

 僕はそれでパートナーというか、トレーナーというか、そう言う人をまわりにつけることでどうにか保っている。僕の周辺にどういう人がいるのかというと、まずパートナーが二人いる。僕は熊本にパートナーが一人、東京にパートナーが一人いる。これはこの世の中じゃ問題になるのかもしれないが、もちろん僕の世界でも何度も問題にはなったが、今はぎりぎりのところで奇跡的に均衡を保っている。均衡を保っていると思っているのは僕だけかもしれないが、それでも今はそれぞれのパートナーがもう一方のパートナーがいることを承知しているし、それでどちらかが別れてくれと僕に言い寄ってくることもない。だから、これは二人にかなり重いことを背負わせているような気もする。それで僕もときどき落ち込んだりもした。しかし、実際に僕のからだのことを考えてみると、どうやら僕には正直なところ二人のパートナーが必要で、そのことに正直になった自分が今どういう気持ちなのかと考えると、今はとても心地いい。それでも毎日、二人の心は揺れ動くので、それに対応するのは大変だし、二人とも辛いこともあるだろうから申し訳ないが、それでもそのおかげでできていることもたくさんあるし、何よりも二人が受け入れてくれた瞬間、躁鬱の波はおさまった。これはどういうことなのかと考え続けている。とりあえず今は暫定的ではあるが、つまり、一方とは婚姻し、もう一方とは婚姻をしていないので、その差があり、僕は今の婚姻の法律に関しては、疑問がある。もう少しフレキシブルにしたいと思うのだが、そんな法が改正されることは近々ではないだろうから、こちらはそんなのを待ってたら日が暮れるので、自分でとりあえず実践することにしてみている。

 しかし、こうも考える。今のこの世は僕にとってはとんでもない時代で、もうすでに通貨だって怪しいものである。そんな過酷な状態のときに核家族でいるなんて危険極まりない。いつどうなるのかわからないのだから、共同体の数は多いに越したことがない。稼ぎ頭は多いほうがいいのではないか。そうやって考えると、今の僕たちの共同体はかなり強いのではないか。ちゃんと生き延びることができるのではないかと思っている。とりあえず今、修羅場になっていないことを、奇跡だと感謝し、活動を続けていこうと思っている。何が正解かはわからない。しかし、この世の常識がおかしくなっているのだから、人がいう良識だけで判断し、生きて行くわけにはいかない。僕は自分の道は自分で選びたいし、法律は二の次である。もちろん、法律を破れば捕まる。それだけだ。僕は捕まらないならとりあえず自分がやりたいようにさせてみるという方法を選んだ。それが僕の生き延びるための技術だ。それでどちらかのパートナーに嫌われたら、それまでだ。今のところは大丈夫だ。でも、いつダメになるかはわからない。ルールに従っているほうが僕にとってはからだにわるい。それなら、新しいルールをこの三人の間でだけつくって、それで生きて行くしかない。僕はそれしかできない。だから、もっとがんばって働いて稼ごうとも思う。

 それなりに0円の仕事ばっかりしてどうしよっかなと思っていたので、今回の映画の高額の出演料は大きかった。これは正直な感想である。僕はやっぱり日本で仕事をするのではなく、もっと広い世界でやるべきなんだろうなと思った。でも、その足がかりができたから、面白い。どんどんやっていきたい。なんせ僕の共同体は今拡張中だからだ。僕は嘘をつくのが下手くそだ。でも、それは何かの意味があるんだと思う。この僕の問題は本当に僕だけの問題なのか。それは一つの社会問題なのではないか。昼過ぎに高校時代の同級生のところに、映画撮影で使わせてもらった僕の絵を返しにいく。彼は10年前、僕が一文無しになったとき(妻も子供もいたのに)、絵を描くから50万円をくれと言って、いいよと言ってくれて買ってくれた恩人である。撮影時にプロデューサーから「その絵が欲しい、いくらか?」と言われたので、「1000万円だ」と言ったら「500万円だと言われたら買うが、1000万円は高い」と言われたと伝えた。「おっ、恭平10年前と比べて10倍になったじゃん。積立投資よりもリターン多いねと笑ってた。彼は「なんかさ、安倍晋三むちゃくちゃだし、他のやつらもむちゃくちゃだし、そのうち本当に恭平のところに総理になってくれとかくるんじゃないの」と冗談を言っていた。「日記じゃそういうメールが来たことにすればいいじゃん。哲学と冒険、面白いよ」と彼は策略を立てていた。僕はこうやってすぐにまわりの人間を、日記と称して、どんどん登場人物にしてしまう。

 その後、ポパイの原稿も書いた。これで連載は終了する。次は僕はいよいよ一戸建ての家を設計し、建てようと思っているので、次の連載はそれがテーマになるのではないかと予想している。ギャグみたいな金額で一戸建ての家を建ててみたい。その後、下北沢のトロワシャンブルで新潮社の編集者と打ち合わせ。新作小説「家の中で迷子」が6月下旬に発売されるので、そのゲラを渡される。帯文を誰に書いてもらうかを打ち合わせしたりした。向こうが言ってきた人が面白そうだったので、それでお願いしてみることに。その後、アポロンを出してくれたレコード会社フェリシティの平川さんと打ち合わせ、いーはとーぼにて。次の作戦をいろいろと寝る。次何がやりたいですか? と聞かれ、「フランク・オーシャンと一緒にレコーディングがしたい」と伝えた。どうやったらいいのかわからない。その後、玉置浩二について話をした。彼の伝記を読んでいて、音楽も聴いて、何か感じるもの、同じ匂い、などを話していると「フランク・オーシャンもいいんだけど、やっぱり玉置浩二さんとツーマンしてみたい」というと、平川さん一瞬、笑ったが、すぐにマジの顔に戻り「それ、なんかいけそうな気がする」と言った。
「どこでやりたいっすか?」
「リキッドルームはどうかな?」
「リキッドルームで坂口恭平と玉置浩二のツーマン。ありえなさすぎるけど、ありえるかもしれなさそうな、感じがします。やってみますか?」
「もうこれ正直にあたってみるしかないよね?」
「そうだと思いますよ」
「じゃあ、やっぱり手書きで手紙を書いてみようかな」
「それいいっすよ」
「さらに絵とLPと小説も送ってみたい」
「それなんか本当にうまくいくような気がする」
 平川さんは本気で僕の提案を聴いてくれている。撮影後からまたなんか確変のような状態になっていて、僕が想像していることはただの勘違いなのかわからなくなっているが、それでも映像が見えた。リキッドルームで二人で弾き語りをしている姿が見えた。見えたときはGOだ。そこで僕は手紙を書いてみることにした。


玉置浩二さま

はじめまして、わたしは坂口恭平という者です。

作家として小説などを書きながら、絵を描いてまして、僕自身躁鬱人なので、すぐ死にたくなってしまってそれが辛いのわかっているので、いのっちの電話と称して自分の携帯電話番号09081064666を公開して(wikipediaにも載せてます!)死にたい人から電話を受ける相談員をやってまして、3・11以降、現政府が信用できないので、自分で勝手に新政府をはじめまして、その初代内閣総理大臣をやってまして、そして、なによりも歌をうたうことが好きです。最近、新しいアルバムを出しました。

突然、アルバムや絵や小説などを送りつけてすみません。玉置浩二さんのことはもちろんずっと知っていたのですが、アルバムをじっくり聴くということはしたことがありませんでした。なのですが、今年に入って友人から玉置浩二さんの『JUNK LAND』というアルバムのことを教えてもらい、聴いてみたところ、ぶっ飛ばされまして、音楽そのものになっていて、僕はいつも歌をつくるとき、携帯の録音機だけでつくるのですが、そのときの荒いけど生の状態こそ、音楽の瞬間だと思っているのですが、『JUNK LAND』はまさにその状態のままで、生のまま、音楽が生まれたまんま、そのまんま、最後まで流れていって、それが一枚のアルバムになっていて、聞いているとその中に入ることができて、心地よかったです。

かつ、玉置さんの生き方と、音楽のあふれ方に、他人とは思えないものを感じ、本当にむちゃくちゃなことを言っているとは思いますが、一緒にライブをやっている姿がぱっと浮かび上がって見えました。恵比寿のリキッドルームという音楽ホールで一緒にやっている姿が見えました。本当に唐突ではありますが、ツーマンライブを一緒にやってくれませんでしょうか。

何か面白いことができるのではないかと思いつつ、これは僕のいつもの閃きが連鎖しているときの勘違いであるかもしれないと不安も感じつつ、それでも、手紙を書いてみたいと思い、筆をとりました。何か玉置さんの直感に届けばと願い、最近でた画集と小説とニューアルバムを同封しておきます。それでは失礼します。

新政府内閣総理大臣 坂口恭平
2018年4月19日


 手紙を書いて送ってみることにした。どうなるか。もちろん無視されることはわかっているが、何が起こるかわからない。自分が感じた直感には素直に従っていきたい。感じたのだから何かある。人間はあらゆるすべてのものが降ってきている。それは一つの道、チューブのような道で、そこにはありとあらゆるものが流れていく。昔のもの、今のもの、もっと先のこと、誰かの記憶、自分の忘れていた記憶、地面の記憶、雨の記憶、雨の気遣い、鳥がみている風の姿、体温、気温、気象と体は一つの森のようなもので、それらは関わりあっているのではなく、同じ幹のように、僕たちには違う現象、違うものとしてしか感じられないが、それらは同じ空間を持っている、感じているのかもしれない。そういったものが僕の体を、もちろん、みんなの体だって通過していっている。それを頭で考え、ルールで捉え、自分の力量や可能性だけで考えてたら、体は止まってしまう。流れていくものがつっかえてしまう。だからもっと楽に、穏やかに、自分のことを考えるようではなく、それこそ遠くの友人を思うような気持ちで、自分の体とつきあう。そうやって、出てきたものを、僕は絵にして、文にして、歌にする。それだけだ。フェリシティ平川さんに手紙を渡した。5月は新しくレコーディングもはじまる。
「何かおきそうなんですよね……、5月6月って」
「はあ」
「坂口さん、今度のレコーディング、僕も行きますよ。なんか感じるんで。それで新曲があるんですよね?」
「うん、最近つくったもの6曲あるよ」
「それ、6月から連続リリースしませんか?」
「えっ?」
「弾き語りとバンドセットの二曲だけセットにして、毎月、配信だけやりましょうよ! 絶対、面白くなりますよ」
「なるほど」
 というわけで、いーはとーぼでホットジンジャーエール飲みながら、6月からの仕事が決まった。電話が鳴った。この前、いのっちの電話をかけてきた人がギャラリーで展示したいという。新潟の方だ。それも6月からやることになった。4月21日から5月20日まで八ヶ岳ギャラリーTRAXで個展、その後、6月は新潟で絵の個展、さらに7月には新橋で椅子と机と絵の個展をやることが決まった。

 何かをやろうとすると、どんどんいろんなことが同時に咲いていく。そういえば、植物はそうだ。そういえば川の水の動きはそうだ。動物だってそうだ。だから人間だってそうだ。僕の場合、予定は1週間先もまだわからない。次々と変わる。今までは一人でやっていたから、時々混乱していたが、今はそんなことがなくなった。僕のすべての仕事をみてくれている、僕のパートナーがいて、文のほうは橙書店の久子ちゃん、さらに梅山、絵のほうは新橋ギャラリーキュレイターズキューブの旅人、歌のほうはフェリシティの平川さん、さらにそのまわりにまた一層広く、介護士たちがいる。とにかく僕の仕事は、こういった彼らのサポートのおかげである。彼らがどれだけすごいかを書くために、記録係の僕はいるような気がする。僕はその輪を無限大に広げたい。

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坂口 恭平
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2015-07-31

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坂口恭平

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べ...もっと読む

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