動物は何も考えていないし何も感じていない!?

愛犬、愛猫が首をかしげて何か考え事をしているように見えることはよくありますよね。そんなとき、動物は、本当に「思考」しているのでしょうか? 哲学者・デカルトによれば、動物は考えているとも考えていないとも言い切れないといいます。それはどうしてでしょうか。『デカルトの憂鬱』の著者・津崎良典先生に解説していただきましょう。

13 デカルトはあえて「動物を無視する」

私たちが小さい頃から信じてきた偏見にはいろいろとあるわけですが、そのなかで最も強いのは、動物は思考しているというものです。 ―デカルトからモアへの手紙 (一六四九年二月五日)

動物は何も考えていないし何も感じていない!?  

 歴史に名前の残る人物にはさまざまなエピソードが付くものです。デカルトの場合はどうでしょうか。ご多分にもれずこの男にも興味や関心を掻き立てられるエピソードはいろいろとありますが、次のものなどはどうでしょうか。実を言うと本人のものではなく、彼に強い影響を受けた同時代のフランス人哲学者マルブランシュのものですが。

 彼はある日、自分より二十歳くらい若いフォントネルと、パリはサントノレ通りにあった修道院オラトリオ会の敷地を歩いていました。そして、彼のもとに一匹の牝犬が寄ってきてじゃれついた。その時です。彼はこの牝犬を蹴飛ばしたのです。ただでさえ驚いてしまいますが、この牝犬は身ごもっていたので、怒りすら湧いてきます。しかも苦しみと悲しみの混じった鳴き声がしたというのですから、なんとも辛い。もちろんフォントネルも呆然として立ちすくんでいる。そのような彼にマルブランシュはなんて声をかけたと思いますか―「知らなかったんですか? あれは別に何も感じていないんですよ」。

 これは十九世紀フランスのある学者が伝えるエピソードです。ですから、脚色がないとは言い切れません。でもそれはあまり重要ではない。むしろ重要なのは、根っからのデカルト主義者であったマルブランシュがデカルトと同じ意見を動物について持っていた(ように思われる)ということです。

 つまり、動物は何も考えていないし何も感じていない、動物は言わば機械のようなものである、要するに機械と同じく考えることも感じることもない、という説です。西洋哲学史の教科書などで「動物機械論」と紹介されることの多い学説です。

 ここでは、この学説について少し考えてみたいと思います。とはいえ厳密には、動物は機械と同一視できるという議論と、動物は何も考えていないし何も感じていないという議論は、一応別個に扱う必要があります。ですから、それぞれを分けながら筆を進めていきます。

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デカルトの憂鬱

津崎良典

悩みや心配、悲しみ、怒り、憎しみ……そんな「マイナスの感情を確実に乗り越えられる方法」はあるでしょうか? あの「我思う、ゆえに我在り」であまりにも有名な近代哲学の祖・デカルトが、私たちに降りかかるマイナスの状況にいかに対峙すべきか、「...もっと読む

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