□ しかく 春

□ しかく 春 (3/4)

水垣鉄四と烏谷青磁の前に現れた、全身真っ白の若い白髪女性。 角貝ササミ復活の鍵は彼女が握る?? 阿部和重最新小説『□』から一つ目の短篇『春』を全文無料公開中! cakesでは、阿部和重『□』刊行記念インタビューも掲載中されています!! 『□』で挑んだ創作における自由とは?―― 阿部和重『□』刊行記念インタビュー

花貝さえずりと名乗った女は、言われるがままにおとなしくついてきた。
──これから三人でディナーにしよう。自立支援施設しか寝泊まりするところがないのなら、うちにくればいい。うちはこの近所にある。
 烏谷青磁がそう提案すると、花貝さえずりはしばし瞼を閉じてから、ありがとうシモジマリュウヘイと礼を述べた。
 そのゆっくりとしたまばたきは、彼女の癖なのかもしれなかった。花貝さえずりはたびたびゆっくりとしたまばたきをする女だった。
 プリザーブドフラワー・ショップに隣接する、洋風建築の古屋敷のダイニングルームで食事を済ませた三人は、そこでそのままワインを飲みながらトランプゲームに興じた。
 それぞれがルールを知っているゲームが一致せず、どれで遊ぶかなかなか決まりそうになかったため、単純な仕組みのものが選ばれた。
 二枚のジョーカーを含む五四枚のカードをダイニングテーブルの上に裏向きにならべ、プレーヤーは同数と思われるものから一枚一枚めくってゆく。
 ひとめくり分の制限時間は三分。三分間のうちに、カード表面の数字とマークを読みとり、それをめくると同時に言い当ててゆく。プレーヤーたちは、その連続正解数を競う。
 マークを言いまちがえたり、数字のあわないカードを開いたところでひとり分のプレーが終了する。
 コンセントレーション、または神経衰弱と呼ばれるゲームだ。
 三人は、待機中のプレーヤーによる妨害工作を認めるルールを採用した。
 具体的には、ゲーム中のプレーヤーの精神統一の邪魔立てをしたり、カードの場所の入れ替えをおこなうことが許される。ただしその際には、妨害者は当然ながら念ずる以外の行為を試みてはならない。
 つまりどちらにせよ、集中力が高い者が有利にゲームを進められるというわけだ。
 一番手は、水垣鉄四がつとめた。
 水垣鉄四は、三分間をフルに使い、一枚一枚じっくりと見つめていって慎重に開示カードを選んだ。
 その結果、三組のペアしか当てられはしなかったが、水垣にとってこれは彼自身の最多タイ記録だから、上出来の内容ではあった。
 二番手をつとめたのは、花貝さえずり。
 彼女は驚くべきことに、なんとやすやすと一八組ものペアを引き当ててみせた。
 一九組目も、同数カードを引いてはいたのだが、「ダイヤのジャック」と言うべきところを「ダイヤのジョーカー」と口にしてしまったため、花貝さえずりはそこでゲームオーバーとなった。
 最終走者の烏谷青磁は、花貝さえずりの好成績に度肝を抜かれている様子だった。
 なにしろ花貝さえずりは、三分の持ち時間など必要ともせずに、素早く淡々と一枚一枚めくっていって一九組目までたどり着いたのだ。言いまちがいさえなければ、全問正解していた可能性が高い。
 もっとも、このゲーム自体は、烏谷青磁の得意とするものではあった。
 烏谷の持つ最多正解記録は一九組だと、水垣鉄四は事前に聞いている。
 したがって、今回も本気でがんばれば烏谷青磁は決して勝てないわけではない。水垣鉄四はそう見通していた。
──おもしろくなってきたな。まったくぞくぞくするよ。さあ一杯やろうぜ。
 烏谷のこの強がりを合図に、三人そろって一斉にワイングラスの中身を飲み干した。
 毎回スタート時に、全員で一杯飲むのがルールになっていた。
 それゆえゲームの本番時、酔いが最もまわる最終走者は集中力の維持が難しくなるだろうから、不利なはずだった。
 だがその分、ゲームを終えたプレーヤーもおなじだけ酔いがまわっているのだから、邪魔もされにくいというのが、烏谷青磁の目算らしかった。
──花貝さえずりちゃん、いっちょふたりで賭けないか?
──なんですか? 賭けですか? いいでしょう。喜んで。
──話が早くてなによりだ。ではおれが勝ったら、きみの目玉をもらいたい。どうかな?
──わかったわ。あたしは目玉をさしあげます。シモジマリュウヘイの負けなら、この家をもらうわ。
──オーケー。それでは滞りなく条件が決まったところではじめるとするよ。
 両手をあわせてこすりながら、烏谷青磁はいやらしく舌なめずりしてテーブル上のカード五四枚をざっと見渡した。
 烏谷はやけに、勝算も自信もありそうだが、急遽賭け事に変更されたのでそれは単なるブラフかもしれなかった。
 水垣鉄四はぼんやりとしていた。
 なんとなくいやな予感がして、この勝負の行方が気にはなっていたが、彼自身は蚊帳の外に置かれてしまい、集中力も使い果たしていたのでぐったりとして、頭も鈍っていた。
 そのため水垣鉄四は押し黙り、傍観者に徹するしかなかった。
 ときおりへらへら笑ってみたり、ひとりワインをがぶ飲みすることしかできずにいたのだ。

 

──こら鉄。おい起きろよ。
 烏谷青磁に体を前後に揺さぶられ、水垣鉄四は瞼を開けた。
 身を預けていた椅子から急いで立ちあがった水垣鉄四は、目もとをこすりながら、
──すんません。寝てました。あれ彼女は?
 花貝さえずりが席についておらず、室内を見まわしてもどこにもその姿はなかった。
 テーブル上は空き瓶やグラスが転がっていて赤黒い染みができており、トランプカードはすべて表向きになっていた。
 烏谷青磁はどういうわけか息を切らしていて、上半身裸で汗だくになっていた。
 寝ぼけきっていて、酔いも残っている水垣鉄四は、現状をうまく読み解けず、花貝さえずりは屋敷を出ていったのだろうと早合点した。
 烏谷青磁は賭けに負けたのだと察した水垣は、先の質問への返答も聞かずに、
──残念でしたね。差はいくつついたんですか?
 それに対して烏谷は、まずは椅子にどっかと腰をおろし、両手で顔をあおぎながら大きく溜め息をついた。
──鉄ちゃんよ。このテーブルを見給えよ。
──はい見ました。
──残念か?
──そう思いますね。
──なぜ?
──だって負けたんでしょ?
──おれが負けた?
──ちがうんですか?
──よく見ろよ。
──ええ見てますよ。なにもないですけど……。
──だからよく見ろって。
──見てます見てます。だいぶ散らかってますね。
──ちがうよ。おまえは少しも現実を見ようとしていない。おまえの目はまだなにも見ちゃいない。そこにある、見たままの現実をじかに受けとめれば、おのずと真実が理解できるよ。
 言われた通り、ダイニングテーブル上の見たままの現実をじかに受けとめてみた水垣鉄四は、三秒ほどしてやっと世界の真実を理解した。
──あれ、これ本当ですか?
──まあな。
──パーフェクト?
──ああそうだ。
──どうやったんですか? 凄い集中力じゃないですか。
──そうだな。イカサマだけどな。
──イカサマ?
──うん。
──ああ、イカサマか。
──その通り。
──イカサマでパーフェクトまで行ったんだ。
──そうそう。
──凄いじゃないですか。
──まあな。

 

──それで彼女はどこ行っちゃったんですか?
──どこにも行ってない。おまえが寝てるあいだに、隣に閉じこめといたよ。
 ダイニングの左隣にある、スモーキングルームのドアを開けると、正方形の室内の中央に置かれた一脚の椅子に、花貝さえずりが座らされていた。
 花貝さえずりは両手両足を縛られており、黒い目隠しと猿ぐつわをされてもいて、小首をかしげつつ口を半開きにしていた。
──ここ照明つかないですよ?
 開いた出入り口から漏れた明かりに照らしだされたスモーキングルームは、窓一枚ない狭く殺風景な空き間だった。花貝さえずりが座っている椅子のほかには、家具や調度品もない、なにもない空間だった。
 おまけにその部屋は、人間の居場所としてはあまりにも陰気くさかった。
 ところどころに煤けたような汚れがある、ロココ調のベージュの壁紙に覆われていて、ヤニとかカビとか廃油などの臭いがまざったみたいな異臭が鼻についた。
 水垣鉄四がここに足を踏み入れたのは、この三年間で二回しかない。
──明かりなんざ必要ない。目隠しを取ることはないからな。
 花貝さえずりは、すっかり観念してしまっているのか、はたまたただただ楽観的にすぎるだけなのか、水垣と烏谷のふたりが声を立ててもそれには無反応で通していた。
──あれって、青磁さんひとりで縛ったんですよね?
──まあな。
──よくできましたね。抵抗とかされませんでした?
──全然。潔かったよ彼女。
 そのとき突然、上階からズドンという重く鈍い音が響いてきて、花貝さえずりののあたりにパラパラと細かいチリが舞い落ちてきた。粉雪のようだった。
──ああまいったな。南東の本棚だ。とうとうくずおれやがった。
──この上は書庫か。だとすると、ここの天井も長くないな。
──下手したら、八〇〇〇〇冊の本の雨が降り注ぐかもしれない。
 ふたりがこんな不穏なやりとりを交わしても、花貝さえずりの様子はちっとも変わらなかった。眠っているわけではなさそうだったが、無言で微動だにせず、呼吸さえやめてしまったかのようだった。
 花貝さえずりのおちつきは、極まった恐怖心のせいとも考えられたが、その割には随分とリラックスしているふうにも見受けられた。
 口が半開きなのは、あるいは微笑んでいるせいなのかもしれない。
 変な女だとあきれながらも、花貝さえずりの豪胆さに水垣鉄四は感心していた。

 

 スモーキングルームのドアを閉めると、水垣鉄四はずっと喉もとで抑えていた質問を烏谷青磁に早速ぶつけた。
──目玉をもらうってのは、どういうことなんですか?
──そのままの意味だよ。
──彼女の眼球を取り出すってことですか?
──その通り。
──だれがやるんですか?
──おまえだよ。
 いやな予感が当たり、水垣鉄四は血の気が引くのを感じた。
 けれどもそれを表には出さず、水垣鉄四は烏谷青磁との会話をつづけた。
──目とか切りとっちゃって、失血死しませんかね。うまい方法あるのかな。
──なんだ。今更そんな心配か?
──いやまあ。
──目ん玉だけじゃねえぞ。おれたちはこれから、歯と耳と臍もそれぞれ別人からちょうだいしなければならない。一年弱以内にだ。
──あと三人か……あと三人、ここにつれてくるわけだ。しかし耳や歯はともかく、臍なんて取っちゃったら、ほっといたら死んじゃうだろうな。
──それがどうした?
──さすがに気が引けますね。
──気が引けるだと? そいつはえらく呑気なことだな。おれたちの目的はどうでもいいってのか? おまえがここで腰引けちまったら、ササミは氷漬けのままだ。あいつはそのまま棺桶に入れちまえとでも言われてる気分だよ。
──いやいや、そうは思いませんよ。そうは思いませんけどね。ただ正直なところ、ひとりの人間を生きかえらせるために、四人も殺しちまうってのは、結構キツいものがあるなと感じただけです。心情的な負担の話です。
──やっぱりおまえはなんにもわかっちゃいない。ひとり生きかえらせるために四人殺すのはキツいって? 所詮それは算数の世界のお話にすぎない。イチ足すイチのふたつのイチは、実際のところはおなじイチではないってことをおまえは理解していない。いいかい水垣鉄四。貴様にとっては、角貝ササミは人間ひとり分でしかないのかもしれない。だがな、おれにとって、角貝ササミは、この世の人間全員分よりも重い存在だ。というわけで、ササミを生きかえらせるために何人ぶち殺そうが、おれにとっては屁でもない。そのことをよく頭に叩きこんでおけ。
 これを言い終えた烏谷青磁は、尋常でなく見開き血走ったどんぐりまなこの瞳孔を、全開にまで散大させていた。
 そして手近のワインボトルを鷲掴みにすると、烏谷青磁はそれを逆さにして中身を喉奥に流しこもうとしたが、すでになかは空っぽだった。
 ワインボトルを床に投げ捨てた烏谷青磁は、その場に立ちつくし、ふうと息を吐いて瞼を閉じた。
 烏谷青磁の主張に反論できず、ここでも黙従するしかなかった水垣鉄四もまた、自ら視界をふさいでいた。
 このとき、水垣鉄四の耳に届いていたのは、烏谷青磁の荒い息づかいと、振り子時計の音だけだった。
 ダイニングルームに設置してあるわけでもない振り子時計の音が、今なぜはっきりと聞こえてくるのか、水垣鉄四は不思議に思った。
 しかし彼は、その理由をただちに突き止めようとはしなかった。
 水垣鉄四にはもはや、どんな気力も残されてはいなかった。
 烏谷青磁があらわれたことにより、この三年間守り通してきた日々のスケジュールが、大幅に狂いつつある。水垣鉄四にとり、まずそれが大きなストレスになっていた。
 そんななか、これから二階にあがり、烏谷青磁の寝床の準備をしなければならないのかと考えるだけで、水垣鉄四はうんざりしてしまった。
 ほとほとうんざりしてしまった彼は、動くのが面倒になり、烏谷青磁に呼びかけられるまで、瞼を閉じたままじっとしていることにしたのだった。

 

 結局、水垣鉄四が次に瞼を開けたのは、烏谷の呼びかけがきっかけではなかった。
 なにがあったわけでもなくただはっとして、彼は目を覚ましたのだ。
 気づくとそこにはだれの姿もなかった。
 烏谷青磁はいなくなっていて、カーテンの隙間から陽が射しこんでいた。
 またもボスをほったらかしにして、いつの間にか寝入ってしまっていたのだと知った水垣鉄四は、やっちまったと思い、寒気をおぼえた。
 ふとあたりを見まわすと、散らかっていた物がかたづいていて、床もダイニングテーブルの上もすっかりきれいになっていた。
 テーブル上には一枚の紙切れがあり、そこにはこう書かれていた。
 
 昨夜は幸運だった。この宝探しは大変順調にスタートを切ったと言える。協力に感謝する。まだはじまったばかりだが、何度も言うようにこれにはタイムリミットがある。夜が明けたらまたすぐに捜索にとりかからなければならない。四花の意味するところはだいたいわかったから、先におれひとりで探しまわってみる。おまえはとりあえず、あの女の目ん玉をくりぬいておいてほしい。それが終わったらこっちに合流だ。てこずるかもしれないが、眼球を傷つけないように注意を。早く済ませてこっちを手伝ってくれると助かる。それではまた連絡する。食堂はおれが掃除しておいた。
 
 まいったなとつぶやいて、水垣鉄四は瞼を閉じた。

(つづく)

次回(最終回)の掲載は6/7(木)

□ しかく □ しかく
阿部 和重
リトル・モア

 

 

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阿部和重

阿部和重、最新小説『□』から、一つ目の短篇『春』を全文無料公開! 「角貝ササミを蘇らせるには、まずは三六五日以内に、 特定の四つのパーツをすべてそろえなければならない。」 烏谷青磁(からすやせいじ)のこの言葉から水垣鉄四(み...もっと読む

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