□ しかく 春

□ しかく 春 (2/4)

多摩川河川敷に轟いた季節外れの雷鳴。水垣鉄四と烏谷青磁はそこに何を見る?? 阿部和重最新小説『□』から一つ目の短篇『春』を全文無料公開中! cakesでは、阿部和重『□』刊行記念インタビューも掲載中されています!! 『□』で挑んだ創作における自由とは?―― 阿部和重『□』刊行記念インタビュー

 ニセアカシアの群落が燃え盛っている。藍色地に茜色の光景。
 ギリギリの距離で、八〇名ほどの人々がそのなりゆきを見守っている。
 河原の住人たちが、水で満たした五〇〇ミリリットルペットボトルを次々に投げこみ、鎮火に当たっているが、まさしく焼け石に水でしかない。
──なあ、鉄ちゃん。
──ん、なに?
──おまえさ、あれが全部、水だと思うか?
──え、どういうこと?
──だからさ、あの連中が放ってるペットボトルの中身だよ。
──ああ、ペットボトルの中身ね。
──おまえさ、あれが全部、水だと思うか?
──そりゃあ、まあ、そうでしょ。水ですよ全部。
──でもさ、わかんないよな。小便とか焼酎投げてるやつだって、何人かいるかもしれない。
──いやあ、そりゃあないでしょう。だって小便はともかく、連中にとって焼酎は言ってみりゃ、命の次に大事な嗜好品ですよ。そういうものを、いたずら心で火にくべたりはしないと思うな。
──わかってないなおまえは。
──そうですかね。どこらへんがですか?
──焼酎が大事な嗜好品であるのと同程度か、それ以上に、火災にこそ心癒されるというド変態野郎が、あのなかにひとりもいないとおまえは言いきれるのか?
──なるほど。それは言いきれないな。
──おれの目にはな、あいつら全員が拝火教徒に見えるよ。
──なんですかそれは?
──あのペットボトルの投擲大会は、宗教儀式なんじゃないかってことだ。
──ああ、そういう……。
──そもそもあいつら、あまりにも用意が良すぎないか? なんだってあんなに大量に、五〇〇ミリリットルペットボトルのストックがあるんだ?
 きっと河川敷公園の利用客のうち、心ない者らが捨てていったゴミが、たまたまそれだけの量たまっていたのだろう。
 たぶん、それだけのことにすぎない。水垣鉄四はそう思ったが、口には出さなかった。
 もはや烏谷は、常識や正論を言って通じる相手ではなくなっている。尋常でなく見開き血走った彼のどんぐりまなこが、明らかにそれを物語っていた。
──あのペットボトルはほとんど、由桐(よしきり)さんのコレクションですよ。
 若い女の声がして、とっさにそちらを見やると、最初に目についたのは真っ白なロングヘアーだった。炎に照りかえされてもなお、その白いストレートヘアーは際立っていた。
 この不意の闖入者を、ふたりが受け入れるまでに要した時間は、五、六秒といったところだった。まずは水垣鉄四が、端から知りあいだったみたいな口調で応答した。
──由桐さんて?
 火事の見物には加わらず、桜の木の下でひとりしゃがみこんでいる中年男を、白髪女性は指さした。
 火のなかに投げ入れられたペットボトルが、本当にその中年男のコレクションだったのだとすれば、おそらくは彼はひどくうなだれているところなのだろう。
 何分か前に消防車が到着したので、河原の住人たちによるペットボトルの投げこみはすでに終了していた。
 今は皆、消防士の邪魔にならぬように現場から遠ざかり、ツルヨシの叢のあたりでかたまって静観に移りつつ、ペットボトルの中身を酌み交わしていた。
──あんたもこの河原で暮らしてるのか?
 烏谷青磁がそう訊ねると、白髪女性は首を横に振った。
 白髪女性は、白が好きなのか、ウィンブルドンのテニスプレーヤーみたいに白いブラウスを着て白いロングスカートを穿いていた。手荷物は所持していなかった。
 水垣鉄四も、白髪女性の素性に興味が湧いたが、質問はさしあたりボスに任せっぱなしにした。
──それじゃあなぜ、あそこのおっさんのことを知ってるんだ? 知り合いか? あるいはあんた、あのおっさんの女なのか?
 白髪女性はふたたび首を横に振り、
──あたしはボランティア。たまにあっちの自立支援施設で働いている。由桐さんはそこによく来る人。常連さん。ペットボトルのコレクターとして有名。
──へえそうかい。ボランティアね。住まいもこのへんかい? ひとり暮らしか?
 白髪女性はみたび首を横に振り、
──あたしの住まいはずっと遠く。
──へえそうかい。ずっと遠く。それじゃあこっちでは下宿でもしてんのかい? どこで寝泊まりしてるんだ? 金はあんの?
──自立支援施設のお世話になってるの。
──施設の?
──ええそうよ。
──ほんじゃあんたもあのおっさんのお仲間ってわけか?
──お仲間? どういう意味? お友だちってこと?
──だからあんたもホームレスピープルのひとりなのかってことさ。
──ホームレスピープルのひとり? さあどうだろう。あたしにはわからないわ。
──あんた名前は?
──先に名乗らない人には名乗ってはいけないと教えられた。
──ああ失礼。おれはシモジマリュウヘイっていうんだ。
──あなたはシモジマリュウヘイ。あたしは花貝(はながい)さえずり。
──花貝さえずりちゃんか。なるほどね。よろしくな。
 烏谷青磁がさっと右手を差しだすと、花貝さえずりは二、三拍遅れて左手を差しだして応じた。
 それに対し、烏谷青磁は苦笑いして軽く首をひねりつつも、花貝さえずりの左手首をつかんでいちおうは握手の形に仕上げた。
──おい、鉄ちゃん。
 花貝さえずりとの会話を中断した烏谷が、水垣鉄四にこう耳打ちをする。
──あの女ひっぱるぞ。
 水垣鉄四が小声でなになにと聞きかえすと、花貝さえずりを拉致するつもりだと烏谷青磁は打ち明ける。だから烏谷は先ほど偽名を使ったのかと、水垣鉄四は理解する。
──でもなぜ?
 水垣鉄四がまたも小声で聞きかえすと、
──おれたちはついてる。
──というと?
 水垣鉄四がさらに小声で聞きかえすと、
──気づかないのか? 探し物が早くも見つかったんだ。
──えっどれが? まさか彼女が?
 水垣鉄四は思わず声を抑えるのを忘れてしまう。
──ああそうだ。間違いなくあれはおれたちの獲物だよ。四つのパーツのうちのひとつは、あの女からちょうだいするってことだ。

(つづく)

次回の掲載は6/3(月)

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阿部 和重
リトル・モア

 

 

 

 

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阿部和重、最新小説『□』から、一つ目の短篇『春』を全文無料公開! 「角貝ササミを蘇らせるには、まずは三六五日以内に、 特定の四つのパーツをすべてそろえなければならない。」 烏谷青磁(からすやせいじ)のこの言葉から水垣鉄四(み...もっと読む

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