□ しかく 春

□ しかく 春 (1/4)

阿部和重、最新小説『□』から、一つ目の短篇『春』を四回に分けて全文無料公開! これと併せてcakesでは、阿部和重『□』刊行記念インタビューも掲載中されています!! 『□』で挑んだ創作における自由とは?―― 阿部和重『□』刊行記念インタビュー

 茜さす空に、シトラス色の光点がふたつみっつほど揺らめいている。
 水垣鉄四(みずがきてつし)は困惑しきっている。
 菜の花を食べたら、角貝(つのがい)ササミが死んでしまったのだという。
 三日ぶりに、烏谷青磁(からすやせいじ)が訪ねてきてひょっとそう告げた。烏谷は泣いている。
 この日は四月一日、烏谷青磁があらわれたのは食パンみたいな雲がトースト化した、薄暮時のことだった。
 世間のルールにしたがい、水垣鉄四は当初その話を信じなかった。
 この時代、世間のルールはすでにあらかた形骸化していたが、烏谷青磁は嘘泣きしているようにも見えた。
 おまけに彼は、どちらかといえば大嘘つきの部類に当てはまりそうな男でもある。
──なんというか、かなりざっくりとした嘘だ。そんなんでは、デブでよろよろのウサギ一羽だませやしない。
──いや、嘘ではない。これは昨夜の出来事だ。遺体は氷漬けにしてある。
 水垣鉄四は、禁煙中の烏谷青磁に煙草を一本すすめた。そしてふたりで、五、六分ばかり無言で紫煙をくゆらせて、角貝ササミを追悼した。
──さあつきあえよ。急がなければならない。これにはタイムリミットがあるんだ。カウントダウンはとっくにはじまってる。
 烏谷青磁は、角貝ササミを蘇らせるつもりでいる。角貝の死が確認されてから一二時間ののちに、烏谷はその方法を突き止めたのだという。
 角貝ササミを蘇らせるには、まずは三六五日以内に、特定の四つのパーツをすべてそろえなければならない。四つのうち、ひとつでも欠けていたら角貝ササミを蘇らせることはできない。
──全部そろったらどうするんですか?
──運ぶのさ。
──どこへ?
──浅草だよ。合羽橋の問屋街にな。製菓材料屋ビルの五階の、ミルクチョコレートフロアに持ってかなければならんのさ。
 烏谷青磁はひどく取り乱しているのだろう。涙痕も鼻水もぬぐわずに、吸い殻のフィルターを下唇にくっつけてぶらぶらさせたまま、厳しい顔つきでしゃべっている。
 水垣鉄四は思案した。タイムリミットが、三六五日以内ということは、最長ならば一年間もつきあわされる羽目になるわけだ。
 最短で済む可能性に賭けるか、それとも最善の断わり方をただちに考えだすか、水垣鉄四はふたつの選択肢のあいだで揺れていた。
──どうしてもおれじゃなきゃ駄目なんですか?
──ああそうだ。生憎おれには花の知識がない。ヒマワリとかチューリップしか知らんやつではどうにもなりそうにない。今から勉強してたらタイムリミットに間に合わないかもしれない。星占いの判定もぱっとしなかったな。魚座の男には、道は険しいそうだ。
 水垣鉄四は花の専門家というわけではない。常日頃より、たしかに「花」には触れているが、水垣が扱っているのは生花ではなく、プリザーブドフラワーなのだ。
 けれどもそのことを烏谷に伝えたところで、なにが変わるわけでもない。
 生花だろうがプリザーブドフラワーだろうが、烏谷青磁にとっては毛ほどの差もない。
 それに烏谷がもとめているのは、やるかやらないか、いずれかの返答だけなのだ。
──なんにせよ、雲をつかむような話ではありますね。バラやタンポポが目標ってわけじゃないし。とにかく計画的にやらないとまずいな。さしあたっては、どこをどうやって探します? せめて場所が限定されていればな……そのお菓子屋でヒントもらえないんですかね?
 最善の断わり方を見つけだせなかった水垣鉄四が、こんなふうにひとまずやる気があるふりを装うと、
──お菓子屋ではない。製菓材料屋だ。つまり問屋だよ。そしてヒントはもらえない。ひとつもな。そんなにたやすいことなら、そもそもおまえに頼みはしない。
 そう言いきって、烏谷青磁は下唇にくっつけていた吸い殻を唾液と一緒に床へ吹き飛ばした。
 老齢のアラスカヒグマにも似た、烏谷青磁の面立ちには、有無を言わせぬものがあった。
 烏谷がもとめているのはどうやら、やるかやらないか、ですらなく、やるのひと言のみなのだ。
 足もとに転がった吸い殻をしばし眺めてから、水垣鉄四はゆっくりと瞼を閉じた。
 水垣はほとんど観念しかけていた。烏谷青磁に逆らえぬ理由が、彼にはあったのだ。

 

 水垣鉄四は、多摩川のほとりにあるプリザーブドフラワー・ショップの経営を任されている。
 三年前に、古くから建つ店舗兼住宅の管理ともども、オーナーである伯父から一任されたのだ。
 しかし昨春に、伯父はいきなり行方をくらましてしまったのだった。
 その確たる理由が、多摩川のほとりに伝わってくることはなかったが、伯父の失踪は日常茶飯事らしかったから、水垣鉄四はいつも通りにすごした。いつも通りに、この一年をすごした。
 伯父の妻子──すなわち水垣鉄四にとっての伯母と従兄弟は、数年前よりサンフランシスコに暮らし、南部鉄器や山中漆器を扱う小売り店を営んでいるとのことだった。
 伯母も従兄弟も、多摩川のほとりにある家屋敷にはなんの関心もないようだった。当の家財の存在を、ふたりともろくにおぼえてさえいないのかもしれなかった。
 伯父一家どころか、血縁者はだれひとり、多摩川のほとりにあるプリザーブドフラワー・ショップに立ち寄ることはしなかった。
 親族にすっかり忘れ去られてしまった古屋敷で、水垣鉄四は孤独にプリザーブドフラワーを売っている。
 朝の九時から夜の九時まで店を開き、店番の合間にオンラインゲームをおこなうのが、彼の毎日の生活だ。来客は稀であり、ゲーム内でも滅多に人に出会うことはない。
 そんな日々を送っていた水垣鉄四の前に、不意に登場したのが烏谷青磁だった。
 烏谷青磁は、水垣鉄四に対し、伯父とその前妻のあいだに生まれた長男だと名乗った。
 またさらに、烏谷は、この家屋敷の所有権は現在、自分のもとにあるのだと主張した。
 その証拠として見せられた録画映像に、水垣鉄四はたちまち萎縮させられた。
 そこには、薄暗い室内でひざまずき、カメラに向かって必死に語りかける、やつれ気味の伯父の姿があったのだ。
 いつも小綺麗にしている伯父が、白髪まじりの頭髪をぼさぼさにして無精髭をはやしっぱなしにしていたので、水垣鉄四はなおのこと驚いてしまった。
──これは真面目な話だが、多摩川のほとりにある花屋と屋敷もね、まぎれもなく彼のものなんだよ。あそこの家屋敷も、彼が好きにしていい財産のひとつというわけだ。わたしはそれを保証するよ。この決定を覆せる者はいない。
 伯父が言う「彼」とは、むろん烏谷青磁を指している。
 そして家屋敷「も」ということは、多摩川のほとりにある家財のほかにも、烏谷青磁はなんらかの財産を伯父から譲り受けているのだろう。
 いずれにせよ、伯父はどこかに監禁され、財産譲渡を無理強いされている可能性がある──そんなことを匂わせもする録画映像を見せられて、目の前で新オーナーだと宣言されてしまったため、水垣鉄四は「この決定」とやらに黙ってしたがうしかなかったのだ。
 それがこの、一月末の出来事だった。
 以来、烏谷青磁はたびたび多摩川へ訪ねてくるようになった。
 未だ「自称」の冠をはずせはしないものの、血縁者で唯一の、リピーターになってくれたわけだ。
 烏谷青磁は、いかにもオーナー然と振る舞ったり、水垣鉄四の(あってなきがごとしの)経営方針にうるさく注文をつけてきたりはしなかった。
 しかしだからこそ、意図が読めず、伯父の録画映像の件もあり、薄気味悪くはあった。
 水垣鉄四はこの三年、店を繁盛させたことはなく、今後も大した売り上げを見込めそうにない。
 そのため新オーナーより、ある日突然クビを言い渡されてしまうかもしれず、油断はできなかった。
 ここを追い出されたら、実家の地下牢へ戻るしかない水垣鉄四は、この数ヵ月ずっと戦々恐々としていた。
 知りあって数週間後には、友だちみたいな口ぶりで語らえる間柄になりながらも、水垣鉄四は常に烏谷青磁に怯えていたのだ。

 

 店内に風が吹きこんできたのを感じ、水垣鉄四は瞼を開いた。
──空気が淀みきってるぞ。花屋のくせに、ひどい臭いだ。
 店の出入り口の引き戸を開け終えて、烏谷青磁がそう口にすると、一羽のツバメがなかへ飛びこんできて、シャンデリアのまわりを旋回して外に出ていった。深紅のクリスタルガラスのティアドロップが左右に揺れ、カチカチと音を鳴らした。
──で、どうだ? わかりそうか?
 出入り口を背にしながら、烏谷青磁が最後通牒を突きつけてきた。
 もはやどのみち、首を縦に振るしかない状況ではあった。水垣鉄四は開き直って訳知り顔になり、適当な出任せで応じてみせた。
──ああ、おそらく。集めなきゃならないのはとにかく四花ってことだから、四色の花とか、四季の花とか、いろいろと考えられますよね。そういうのをしらみつぶしに当たってけば、そのうち正解にぶつかるんじゃないかな。
 ちょうどそのとき、店の外で特殊閃光弾かなにかが爆発でもしたみたいに、烏谷青磁の背後が真っ白く光り輝いた。
 そしてすぐさま、何本もの材木がへし折られるような轟音が響き、同時に地鳴りまでもが伝わってきた。
──雷か。えらい近いな。河川敷に落ちたくさいぞ。あれ見てみろ。
 体ごと振りかえり、外の様子をうかがっている烏谷青磁に指示され、水垣鉄四もそのそばに近寄って多摩川のほうへ目を向けた。
 すると烏谷の言う通り、雷は河川敷に落ちたらしく、赤く燃えている場所があった。
──行ってみよう。春雷とは珍しいな。
──たしかに。
 今日も売り上げゼロであり、閉店時間はまだ先だが、オーナーのお誘いとあらばとりあえず、水垣鉄四は黙従するしかないのだった。

(つづく)

次回の掲載は5/30(木)

□ しかく □ しかく
阿部 和重
リトル・モア

 

 

コルク

この連載について

□ しかく 春

阿部和重

阿部和重、最新小説『□』から、一つ目の短篇『春』を全文無料公開! 「角貝ササミを蘇らせるには、まずは三六五日以内に、 特定の四つのパーツをすべてそろえなければならない。」 烏谷青磁(からすやせいじ)のこの言葉から水垣鉄四(み...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

RayShibusawa わたし、阿部和重の「□」(しかく)っていう小説がバリバリ好きなんだけど、cakesで一章だけ無料公開してるのね……知らなかった。 https://t.co/SyZcmhRqki 10ヶ月前 replyretweetfavorite

_wakefield 一つ目の短編はウェブで読めるんだ。 4年以上前 replyretweetfavorite

die_kuma しかも新作『□』の第1章がcakesに公開とかすげー! / “2061” http://t.co/2O45ZuyHNq 5年以上前 replyretweetfavorite

hasex これ装丁もハンパなく好みで迷い中 cakesでは『□』刊行記念インタビューも公開中!! http://t.co/8me7Aj6C5i 5年以上前 replyretweetfavorite