灰江田が辞めた切っ掛け。橘と大喧嘩をした事件。
二人が入社して六年経った頃、グリムギルドがファミコン時代に活躍した会社をはめて、コンテンツの権利を強奪した。グリムギルドにとっては、格安で手に入れた思い入れのないプロダクト。上層部は名前だけを使い、開発費をほとんどかけないゲームを量産して儲けようとした。
灰江田は、そのような商品を、劣化ゲームと呼んで忌み嫌った。そして過去に遊んだゲームが、粗雑に扱われることを嘆いた。その劣化ゲームを作るプロジェクトの責任者候補として、灰江田と橘が部長に呼ばれたのだ。
灰江田は猛反対した。版権強奪だけでも憤っていたのに、劣化ゲームの乱造は許せない。それはゲームを愛するユーザーに対しての、背信行為だと抗議した。
橘は違った。いかにコストを抑えて利益を最大化するかの資料を作りプレゼンした。そして、灰江田の意見を青臭い子供の考えだと一蹴した。
あとは殴り合いの喧嘩である。互いの顔が変形して色が変わるまで、拳の応酬は続いた。会社の方針に見切りをつけた灰江田は、グリムギルドを退職した。プロジェクトの担当になった橘は、上層部の信頼を得て出世した。
その後、灰江田はいくつかの企業を転々としたあと、やりたいことをするために、レトロゲームファクトリーを立ち上げた。自分が愛する数々のゲームを世に蘇らせるため、子供の頃の楽しさを復活させるため。その会社も、このままでは活動資金が枯渇して終わってしまう。
「なあ、ハイエナ。そろそろ認めようぜ。俺が正しくて、おまえが間違っていたと。昔を懐かしむゲームばかりを移植しているおまえは、過去にとらわれた負け犬だってことを。そして、大人になりきれない子供なんだってことをな」
橘が、捕らえた獲物を弄ぶように言う。
灰江田は、全身に力を込めて怒りを静める。その最中、心の中でもう一人の自分が、悲痛な声を上げた。
橘の言葉は的を射ている──。
少年時代に遊んだ、家庭用ゲームやパソコンゲーム、アーケードゲーム。それらを復刻している自分は、過去にとらわれていると言われても仕方がない。
ボンバーマン、ドラゴンクエストシリーズ、スターソルジャー。コロコロやジャンプといった雑誌で紹介されて、大ヒットしたゲームたち。その他数々の店頭に並んでいたゲームソフト。それらを宝石のように見ていた子供の頃の自分。テレビやモニターに向かい、真剣にプレイしていた日々。家族がまだ一つで、父親の仕事に誇りを持っていた幸福な記憶。
橘の指摘どおりだ。橘は憎い奴だが本質を突く男だ。自分は過去を引きずり歩んできた。そのことが凋落の大きな原因だ。大会社に入り出世レースに挑んだが、冷徹なビジネスの鬼になれなかった。自身の思い出を大切にして道を誤った。
「悪かったな、ガキで」
「はっ、開き直りやがったな。あー、みなさん。このハイエナ野郎は、ビジネスを理解できない子供なので仕事を与えないでください」
「てめえ」
灰江田は立ち上がる。橘も顔を赤くしながら席を立った。
どちらの拳が先に出たのかは分からない。互いのパンチが三発顔面にヒットしたところまでは数えていた。その後、年長者の提案で、一気飲みの競争をさせられた。あのまま殴り合いを続ければ店を破壊していただろう。ビール、日本酒、ワイン。そしてウイスキーを五杯あおったところまでは覚えている。そこで灰江田の記憶は曖昧になった。
◇
東京と横浜を繋ぐ東横線の駅近く。六畳一間のフローリングの部屋で目覚めた灰江田は、顔の痛みに思わずうめき声を上げた。
「くそっ。橘の野郎め」
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