今回のテーマは「人に金は貸したくないが、貸せる金もないのはもっと嫌」だ。
いいじゃないか、人に貸すための金などなくて。まず貸す金がないと、悩まなくていい。金があるから「貸すか貸さざるか」の選択を迫られるのであって、貸すものがなければ選択の余地すらない。
ここで、自分が借りてまで人に貸すというのであれば、釈迦、もしくはバカであり、また別のステージの話だ。そんな性格では、今世は辛いことだらけだろう。しかしそれだけ徳を積めば、来世はマヌルネコとかになれるはずなので、悲観せずクソのような現世を走り抜けて欲しい。
そもそも、金がなかったら「金貸して」と言われることすら少ない。借りる側だって、貸してくれそうな奴、つまり金に余裕がありそうな奴を選んで借りにいくはずだ。いかにも金がなさそうな自分に借りに来た、という場合は、もはや「闇金ウシジマくん」にも断られるレベルなので、貸すのは絶対やめた方がいい。渡すとしたら「香典」という意味でだ。
また金を持っていそうでも、相手が竹内力(「ミナミの帝王」ver.)みたいだったら、金を借りようとは思わないだろう。つまり、金を持ってそうかつ、借りやすい、人が良さそう、面倒見が良さそうな奴のところに行くのである、むしろ、持ってなさそうでも人が良い奴なら貸してくれそう、と思って行くかもしれない。つまり良い意味でも悪い意味でも人望があるタイプである。
逆に、金を持っていそうでも「ケチ」「冷たい」「6時間ぐらい説教をされて結局貸してくれなさそう」「ド直球に体を要求してきそう」というイメージを持たれていたら借りに来る人間は少ないはずだ。
これをテーマに当てはめると「人が金を借りに来るのは嫌だが、人望がないのはもっと嫌」 となる。
つまり、今まで欠点と思われていた「金がない」「人望がない」が大きな利点であると証明された。この二つがないと「変なものも寄って来ない」のである。
「金がある」「人望がある」「モテる」この人として優れているとされるタイプには「人が集まってくる」という共通点がある。それは良い事かもしれないが、集まってくる人間が全員良い人とは限らない。むしろ集まってくる人間の分母がでかくなるほど、変なのが混ざる確率が高くなる。
「純粋に変な人」ならまだ良いが(何故か「純粋に変な人」にやたら好かれる人間が存在する)その中には「悪い人」もいるかもしれないし、さらに「悪い上に頭が良い人」の場合もままある。
世の中には、成功したのに、その後逆V字転落という大技を披露してしまう人がいる。そういう人に「何故、一生食えるだけの成功をしたのに、そんなウルトラCが可能なのか」とヒーローインタビューをすると「上手い話に乗り続けてたらこうなった」と答える人が結構いる。成功したことにより、悪くて頭のいい人がたくさん集まってきた結果である。
このように、キレイな花にはキレイな蝶々しか寄って来ない、などということはなく、害虫も寄ってくるし、引っこ抜こうとする奴だって現れる。 人間、ただ魅力的なだけではダメであり、魅力があればあるほど、次は「人を見る目」を求められるのである。それがないと、せっかくキレイな花になれても、雑草より不幸になる可能性がある。
その点、金や人望などの魅力がないと「何も寄ってこねえ」という楽さがある。 人はそれを「孤独」と呼ぶかもしれないが、昨今「孤独はそんなに悪いことじゃない」と再評価されているし、寄ってくる烏合の衆に、対応、選別、時に騙され傷つき、ちぎっては投げ、する時間を考えると、そこまで大勢に慕われる必要はないのでは、と思える。
しかし、人に金を借りようとする人間が全て「君、ウシジマくんに出てたよね?」という人材というわけではない。人はどんなに真面目にやっていても、金に困るときは困る、特に今の世の中、ちょっとつまずいいただけでいとも容易く困る。自分の大切な友達や親族がそうなることも十分考えられる、それが自分を頼ってきた時に貸す金がないがない、というのは確かに嫌かもしれない。
しかし、それが自分が金を貸すことで全部解決する、というなら良いが、大体その場しのぎ、または事態を悪化させるのではないか。
大事な人が金を借りにきた時、貸す金がないことを嘆くより、絶対他にできることがあると思う。