(第29回からの続き)
テトラ「先輩が描いてくださった図と、それからポリヤさんの問いかけでいろんなことがわかりました」
僕「うん。三角関数の加法定理は複雑に見えるけれど自分で手を動かして図を描くと覚えやすいよ」
$$ \sin (\alpha + \beta) = \sin \alpha \cos \beta + \cos \alpha \sin \beta $$
テトラ「はい、 $\sin \alpha \cos \beta + \cos \alpha \sin \beta$ は《サイン・コス、コス・サイン》ですね」
僕「あ、テトラちゃんもそのまま覚えちゃったの?」
テトラ「はい! ……ええっと、図形を使った説明を見て思ったんですが、点の回転って、とても重要なんですね」
テトラちゃんは大きな目を輝かせて話した。
僕「そうだね、テトラちゃん。そもそも三角関数の $\cos$ と $\sin$ は単位円上にある点の回転で定義できるからね。 それはとても自然なことだと思うな」
テトラ「はい。そうなんですね。《三角関数》といわれると、あたしはどうしても《三角形》を思い浮かべてしまうんですけど ——確かに三角形は出てくるんですけど—— 《円》を思い浮かべるのが重要なんですね」
僕「うん、その通りだよ。《三角関数は円関数》といってもいいくらいだと思うな。だって、三角関数は、角度 $\theta$ から、 $x$ 座標の $\cos \theta$ と $y$ 座標の $\sin \theta$ を生み出すんだからね」
テトラ「三角関数は円関数……なるほどです!」
素直なテトラちゃんはいつもの《秘密ノート》をさっと取り出してメモをする。 テトラちゃんは言葉が大好きなのだ。
回転を表す式
僕「あれ? そういえば以前話していた回転を表す式の話、中途半端になってなかったっけ?」(第26回参照)
テトラ「あ、そうですそうです。とっても複雑な式が出てきたんでした」
僕「こうだよね。座標平面上の点 $(a,b)$ を、原点中心で角度 $\theta$ だけ回転したときに移る先の点を $(a',b')$ として……」
テトラ「はい」
僕「それを座標で表すとこうなる」
- 回転の中心は原点 $(0,0)$ とする。
- 回転前の点を $(a, b)$ とする。
- 回転の角を $\theta$ とする。
- 回転後の点を $(a', b')$ とする。
$$ \begin{align*} a' &= a \cos \theta - b \sin \theta \\ b' &= a \sin \theta + b \cos \theta \\ \end{align*} $$
テトラ「そうですそうです……先輩、どうしてこんなに複雑な《回転の式》がさらさらっと出てくるんですか? やっぱり暗記なさっているんですか?」
僕「うん、暗記してるというか、このあいだミルカさんが描いてくれた図を思い浮かべれば再現は難しくないよね」
テトラ「図……?」
僕「ほらほら、この図だよ。点 $(a,b)$ を頂点に持つ長方形を考えて……」
テトラ「あ! そうでしたね。それを回転させる!」
僕「そうそう。あとは $\cos \theta$ と $\sin \theta$ がしっかりわかっていればいい」
テトラ「うわ……これはあたし、覚えているべきことでした。このあいだ教えていただいたばかりなんですから」(第26回参照)
僕「まあ、そうだね」
テトラ「え、ええっと、でもこの《回転の式》って複雑ですよね……」
僕「確かに複雑だね、テトラちゃん」
ミルカ「確かに複雑だな、テトラ」
僕「うわっ!」
テトラ「ミルカさん!」
行列
ミルカ「このあいだ中断した回転行列の話、続きをさっそく始めよう。テトラは行列のことは?」
テトラ「い、いえ……行列という言葉は聞いたことがありますが、さっぱりわかりません」
僕「じゃあ、僕が行列の説明をするよ」
テトラ「よろしくお願いします」
僕「僕たちがいまから考えるのは、数学でよく使われる行列というものだよ。基本的なことはぜんぜん難しくないから心配しないでね。 数をこんなふうに $2 \times 2$ の表のように並べて、大きなカッコでくくったものを行列っていうんだ」
$$ \left(\begin{array}{cc} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{array} \right) $$テトラ「はい」
僕「 $\left(\begin{array}{cc} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{array} \right)$ で並べた $1,2,3,4$ のような数のことを行列の成分と呼ぶ」
テトラ「成分……ですか」
僕「成分が文字だったり式だったりすることもあるよ。成分を一般的に表すために $a,b,c,d$ のような文字を使ってこう書くこともよくあるね」
$$ \left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right) $$テトラ「あの……すみません」
僕「なに?」
テトラ「どうして、これのことを《行列》というんでしょうか。行列というと、何だかずらっと一列に並んでいるものを想像してしまうんです。行列ができるほど人が混んでいるお店——みたいな」
僕「なるほどね。数学の行列はこんなふうに表のような形になるんだよ。成分が横に並んでいるところを行といって、縦に並んでいるところを列というんだ」
テトラ「行と……列、ですね。数を $2 \times 2$ に並べたものが行列……と」
ミルカ「彼はいま、 $2$ 行と $2$ 列からなる行列——つまり $2 \times 2$ 行列を使って説明している。一般的な行列ではさらに多くの行と列になることもある」
テトラ「はい、わかりました」
僕「それでね、行列同士の足し算や掛け算を考えることができて……」
ミルカ「ストップ」
突然、ミルカさんが僕の説明をさえぎってきた。
ミルカ「やっぱり、回転行列の話から始めよう」
僕「え?」
テトラ「はい?」
ミルカ「行列の基本は大切だけれど退屈。最初におもしろいところをやってしまおう」
僕「そう?」
テトラ「え、あ、あの……あたしにもわかるんでしょうか」
ミルカ「わかる。複雑な式が単純になって気持ちが良い」
テトラ「それなら、お願いします」
僕「……」
回転の式
ミルカ「テトラはこの《回転の式》を複雑だと思う?」
回転の式
テトラ「は、はい……複雑だと思います」
ミルカ「この《回転の式》とまったく同じことを、行列を使って次のように書ける。《行列で表した回転の式》だ」
行列で表した回転の式
テトラ「え? そうなんですか? あ……でも確かに少し似ているようですが」
ミルカ「行列を使った式のほうが単純——とまでは感じないかな」
テトラちゃんは二つの式を見比べる。
テトラ「は、はい……どちらも同じくらいに複雑に見えます」
ミルカ「《行列で表した回転の式》はこんなふうに分けて読める」
ミルカ「ここで右辺が、行列とヴェクタの積——行列とベクトルの積になっている。《 $\theta$ の回転を表す行列》と《移動前の点を表すベクトル》の積だ。 その積の結果は《移動後の点を表すベクトル》に等しい」
テトラ「行列とベクトルの積……」
ミルカ「そう。一般的にはこうだ。これが定義。行列 $\left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)$ とベクトル $\left(\begin{array}{c} x \\ y \end{array} \right)$ の積を成分で定義している」
テトラ「……」
ミルカ「テトラ、聞いてる?」
テトラ「行列とベクトルの積……ということは、行列とベクトルの掛け算ということですよね? ……ミルカさん、やっぱりあたし、わかりません!」
ミルカ「何がわからない?」
テトラ「す、すみません……」
ミルカ「謝る必要は何もない。何がわからない?」
テトラ「はい……あのですね。これを行列というのはわかります。《数を並べたもの》に《行列》という名前を付けただけですよね?」
ミルカ「そう。それで?」
テトラ「はい、それから、これをベクトルというのもわかります。点 $(a,b)$ の座標 $a$ と $b$ をタテに並べて、それに名前を付けたのですよね?」
ミルカ「そう。縦ベクトルと呼んだり、列ベクトルと呼んだりする。それで?」
テトラ「そこまでは何となくわかります。行列というもの。ベクトルというもの。そういう名前を付けただけのことですから……でも、その二つを並べたこの式——」
テトラ「——こんなふうに行列とベクトルを並べた式が《行列とベクトルの積だよ、掛け算だよ》と言われても、どうしてこれが掛け算なのか、さっぱりわからないんですっ!」
ミルカ「それは、わからなくてもしかたがない」
テトラ「はい?」
Photo by Hiroshi Yuki.
この連載について
数学ガールの秘密ノート
数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに14巻以上も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)