メゾン刻の湯

SNSでアウティングされた、20歳のトランスジェンダーの胸の内

「二回目なんだ、こういうの」自分を心配して探しに来たマヒコに、ゴスピは過去の葛藤を語り始める。自分の性指向は「普通」と少し違う。それを隠して、自分を偽りつづけたまま、長い人生を生きていくのだろうか? けれど本当の自分を見せることで、人が自分から離れていくのも、怖くて仕方がなかった――。社会からハミ出たくせものたちの集まる銭湯シェアハウスが舞台の傑作青春小説、第30話です!

 風がごうごうと吹いている。この時間にこの場所を徒歩で通り抜ける人はほぼいない。

 東京湾にせり出した展望台の上。見慣れたスカイブルーの頭を見つけた時、僕は喜びと脱力と、これからどうしようという戸惑いがいっぺんにやってきて、のどはキュッと締まり、毛穴という毛穴から汗がどっと吹き出した。振り返ったゴスピは僕を見てぎょっとした表情を浮かべた。

「やっぱり、ここだった」 僕はぎこちない笑みを浮かべて言った。

「な……んで……」

「僕、ネット警備員だからさ」

 僕はおどけてみせたが、内心、心臓バクバクで、ここから先、どう会話を継いだらいいか分からずゴスピを見つめるしかなかった。

 ゴスピの横には愛車のBianchiが立てかけてある。スカイブルーのフレームが、背後のフェンス越し、東京湾の暮れなずむ景色の中に、絵の具のように溶けていた。

 その向こう、水平線の上に横たわる巨大なビル群の中、おびただしい窓明りの光の中に入りまじり、天に向かってそびえ立つ東京タワーが見える。見慣れたシンボリックな赤ではない、上から下まで7色に分かれ、幻想的に光り輝く、週に一度、この時間にしか見られない特別な配色。@Milly252のアカウントに何度も登場する、天と地をつなぐグラデーション。この塔がこのアングル、この距離でスマホのカメラフレームに収まる場所は、東京ではここだけだ。

 ゴスピはちっと舌打ちして顔を背けたが、やがて逃げ場がないことを悟ったようにゆっくりと元に戻した。顔は青くやつれ、ほとんどひげのない彼のあご先は炎症を起こしたように腫れている。クリームなしに剃ったのだろうか。まぶたは腫れぼったく、しかし、ぎらぎらとした緊張がみなぎっている。僕の反応に少しでも嫌悪や軽蔑が入り混じったら、すかさずシャッターを下ろそうとするみたいに。

「なんで来たの」彼は言った。「まっつんさんの時は、止めなかったのに」

「俺さ、@Milly252のファンなんだ」

 ゴスピは目を丸くして僕を見た。

「変な意味じゃない……最初にあのアカウント見た時さ、僕、仲良くなりたいって単純に思ったんだよね。なんつーかさ、どうやったらそんな写真撮れんの、とか、どんな景色見ながら普段暮らしてんの、とかさ、知りたいって思ったんだ。だから、今日、来た。そんだけ」

 そう言って僕は頭を掻き、目線を逸らした。

 ゴスピは怪訝な顔つきをしていたが、やがて、はぁ、と大きく溜息をつくと、フェンスの方に向き直り、あっそ、と小さくつぶやいた。僕は一度、大きく息を吐くと、ほんのちょっとだけ彼に近づいた。

 彼と並び、浅い闇に沈み込もうとしている街の明かりを無言で眺める。夕凪に誘われた雲が、虹のような燦然としたグラデーションを浮かべながら、立ち並ぶ高層ビルの向こうへと急速に流れてゆく。僕たちの立っている橋は、やがて海を渡る高速道路となり、まるで寝ぐらに戻る蛇のように深々と街の中心へ突き刺さっている。

「僕さ、東京タワーって好きなんだよね」

不意に、小さな声でゴスピが言った。

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メゾン刻の湯

小野 美由紀
ポプラ社
2018-02-09

この連載について

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メゾン刻の湯

小野美由紀

”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。「傷口から人生」の小野美由紀が銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇! どうしても就活をする気になれず、内定のないまま卒業式を迎えたマヒコ。住む家も危うくなりかけたと...もっと読む

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