まず「天才」じゃない自分に気づくこと
「よく頑張るよね」
私は、この言葉に軽い揶揄を感じてしまいます。努力をせずになんでも軽々とこなす人に比べて、必死に努力する人には、やや痛々しさを感じるからでしょうか。
しかし、私はそれでも努力すべきであるという強い信念を持っています。
私が人生で一番勉強したのは、大学3年生のとき受けた司法試験の口述試験の前でした。論文試験を受けた私は、受かったという確信がありませんでした。
「こんなときに口述試験の勉強なんて始めたら、そういう準備をしているときに限って、結局論文試験にも受からないに違いない」
そう思い、私なりの「担ぎ」で、私は論文試験の後に一切勉強しなかったのです。そしてその「験担ぎ」の成果か、結果はみごと合格。しかし、論文試験の合格発表から口述試験までは、たったの2週間しかありませんでした。
司法試験の論文試験は合格率2パーセント程度の狭き門。それに対して、口述試験の合格者は90パーセント程度。つまり、普通にしていれば受かる試験です。
それにもかかわらず、私は口述試験前に、自分こそが落ちる10パーセントに入るに違いないと思っていました。
合格率が低い試験のほうが、世の中には多いのです。司法試験の論文試験はその典型といえるでしょう。
それに対して、不合格率が低い試験、つまりほとんどの人が素通りできるものもあります。私が、これまで受けたなかでは、司法試験の口述試験と弁護士になる直前の二回試験が当てはまるでしょうか。
「不合格率」の低い試験に落ちる人は、変人とか残念な人というイメージが、人生につきまとうもの。それまでに、医学部の入学試験や司法試験といった狭き門をくぐり抜けてきて、最後の最後にまさかのつまずきで、医師にも弁護士にもなれないなんて……(ただし、1年後にもう一度同じ試験を受けて、合格して医師や弁護士になる場合が多いのですが)。
どこからともなく聞こえてきた「蛍の光」
話が横道にそれましたが、要するに司法試験の口述試験前の私は、自分にそんな烙印が押されることを直感したのです。まえがきにも書きましたが、当時の私はその切迫した恐怖感から逃れるために、持てるすべての時間を勉強に費やしました。1日19時間30分の勉強。3時間の睡眠。そして20分ずつの朝昼晩の三食の食事。そして20分の入浴。
これで計23時間50分。そして、残りの10分、私は毎日親愛なる母に電話して、正気を保つように努めました。
机の下に水を張った洗面器を置き、そこに足を浸けて、冷える体に耐えながら眠気を防ぎました。そして、そういった勉強を続けていたある日、母と電話していたときのことです。
♪蛍の光、窓の雪
どこからともなく「蛍の光」が聞こえてきました。そこで母にこう尋ねました。
「ねえ、聞こえる? 誰が歌っているかしら? 『蛍の光』をこんな時間に……」
しかし、少し間を置いて、母は、ゆっくりと答えたのです。