哲学と冒険

幼い頃に見た竜宮城

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べている。食べながら、何かをつくろうとしているわけではない。それによって何かをつくりたいわけではない。僕はただそうやって生きたいだけだ。僕は毎日、原稿を書き、絵を描き、歌をうたい、人々と出会い、本をつまみ食いし、画集をつまみぐいする。だいたい毎朝8時更新。お休みすることもあり。

2018年4月7日

 朝から新幹線で博多駅へ。飛行機に乗って高知空港へ。雑誌POPEYEの連載「ポパイ大学」の取材。POPEYEでの連載ももう7年目。「ズームイン、服!」そしてこの「ポパイ大学」も次で連載終了となる。年内には書籍化される予定。翼の王国の連載も10年目だし、僕は意外と連載長く続いているなと振り返る。POPEYEでは次の連載も動いていて、今度は「僕の動く家」というタイトルになる予定。とうとう家をつくってみたい。今、住んでいる熊本市内に、空き地を見つけて、モバイルハウスをつくってみたい。それで家族で暮らしてみる。子供たちの部屋もそれぞれモバイルハウスを一軒ずつつくって、自分たちで改造できるようにしたらどうか。車輪付きの家を地震にあった熊本でやる意味は大きいと思う。そうは言いつつも、熊本では今もマンションがどんどん建てられている。ま、僕は自分のペースでぼちぼちやっていくだけだ。いつか伝わればいい。自邸の設計をやってみようと思ったのは、はじめてのこと。椅子も面白かったので、椅子をつくるくらいのノリで家を建ててみたい。どうなるか。3年後くらいの完成を目指している。

 高知空港に到着すると、今回取材する土谷親子が迎えに来てくれていて、車で彼らの家まで。高知の黒岩という小さな町。牧野富太郎が生まれた町でもある。牧野富太郎や宮本常一が最近、僕の頭の中に再浮上してきている。民藝運動もそうだが、これまで感じていた角度ともまた違ってきているのだが、若い頃に考えていたことが再び戻ってきているのは興味深い。宮本常一の遺品を預かっている方がこの前、大阪のライブに来てくれて、山口に一度遊びにきてくださいと声をかけられた。それはすべて僕が建築家を志していた頃、感じていたことがもとになっている。今和次郎、吉阪隆正、柳宗悦、宮本常一、牧野富太郎、南方熊楠、そういった人々のことを、また違った観点から眺めてみたい。

 土谷家にはコウタロウとホッチャンという兄と妹がいて、小学生6年生と小学2年生。彼らとは高松で絵の個展をやったときに猪熊弦一郎美術館で出会った。飴屋法水さんのトークショーを見に行って、飴屋さんの娘くんちゃんがアオと仲良しなので、一緒に遊んでいたら、ホッチャンが混ざってきて、僕もあわせて四人でバンドを組んで歌を歌った。すると、コウタロウが現れて、話を聞くと、なんと駄菓子屋を自分で経営していてそのCEOだという。というわけで、今回はその駄菓子屋の取材をしにきたのだ。詳しくはPOPEYEでの連載に書くので、そちらをお楽しみに。取材後、二人が「秘密基地を教えてあげる」というので、家の裏の神社の裏にある崖まで連れていってもらう。そこが秘密基地らしい。ツルでできた天然のブランコ、そして、きれいな山水、気持ちいい場所だった。子供の秘密基地を取材するのも面白いなとひらめく。子供たちに真剣に取材してみたい。

 僕の仕事もすべて子供のときにつくった秘密基地がもとになっている。僕がつくったのは福岡の玄界灘に面した松林。先日、同じ場所を見に行ったのだが、当時よりもその松林は広く感じた。子供のときに遊んでいた場所は再び行くと、大抵狭く、小さく感じるものだが、松林は違っていて、僕が秘密基地をつくった松も残っていて、不思議な気持ちになった。その松は、くねくねと曲がっていて、それで二階建ての秘密基地をつくったのだ。僕は松林に転がっていた石を持ちよって、かまどまでつくった。それでサワガニや小魚を焼いて食べたりしていた。

 その時に、僕と親友のたかちゃんは一人の翁と会った。彼は僕が住んでいた団地の横にあった漁師村に住んでいたのかもしれない。彼は自分でつくった小刀などの道具を持っていて、いつも僕たちに干し魚をくれた。センゾウおっちゃんと呼んでいた。彼は仙人だったのではないかと今では思う。センゾウおっちゃんは僕たちが松林で焚き火をしていると、よく近寄ってきて、いろんな話をしてくれた。海賊の話をよくしてくれた。玄界灘の向こうには小さな相島(あいのしま)という無人島があり、ある日、センゾウおっちゃんは僕たちをその島に連れていくと言いだした。行ったことがなかったが、いつも砂浜から眺めていた島にいけると興奮した僕とタカちゃんは警戒することなく、センゾウおっちゃんのあとからついていった。センゾウおっちゃんは小さな木の船を持っていて、中に入ると、生活臭がした。運転席の中に入ると、布団が敷いてあった。センゾウおっちゃんは船の上に住んでいたのではないか。テレビもあった。魚がたくさん天井に干してあり、真ん中には七輪が置いてあり、それで焼いてくれた。この家で暮らしたいと僕は思った。タカちゃんもおじいちゃん家にきたみたいにくつろいでいて、三人で花札をした。

 島に到着すると、センゾウおっちゃんは舗装されている道ではなく、森の茂みの中に入っていった。しばらく進むと、森を抜けた。前を向くと、家が立ち並んでいる。大通りがあり、向こうには三階建ての宮殿みたいな赤い建物が建っていた。竜宮城みたいだった。「昔、鎖国してた時代もここだけは韓国と貿易をしてたんだ。年に一度、この島に建物が立ち並び、祭りが行われてた。ここは日本でも韓国でもない、秘密の国だった」とセンゾウおっちゃんは教えてくれた。もうその家々は廃墟になっていて、誰も暮らしていない。ところが、センゾウおっちゃんは奥の竜宮城に入り込んでいった。センゾウおっちゃんはこの城を、誰も住んでいない、放置された城を、自分の城のように使っていたのかもしれない。センゾウおっちゃんはよく独り言をいっていた。召使がたくさんいるらしく、独り言だと思っていたが、センゾウおっちゃんはその召使に命令していたのだ。女の人もたくさんいるらしく、センゾウおっちゃんはここで幸せに暮らしているんだと僕たちに言った。中は暗く埃っぽかったが、僕は光り輝く金銀財宝を見たことがある。

 センゾウおっちゃんから教えてもらったあと、あきらめきれない僕とタカちゃんはさらに仲間を募って、5人で探検しにいったことがある。渡しの連絡船が50円で出ていたので、それに乗って島へ行った。ところが、センゾウおっちゃんが教えてくれた森の抜け道はいつまでも見つけることができず、僕たちは捨て猫たちのパラダイスとなっているその島で猫と遊んで日が暮れたら家に帰った。秘密基地を教えてもらいながら、僕はそんなことを思い出していた。またあの島に行きたい。僕は突然、秘密基地の隊長になった気分になり、そこらじゅうに落ちている木材を拾ってきて、それで小屋をつくった。葉っぱで覆って、中でもちろん焚き火をした。すると、サワガニが歩いてきた。サワガニは僕にとって、なにかの兆しだ。そのまま焼いて食べた。センゾウおっちゃんがあらわれた。声をかけると、コウタロウが「近所の少林寺拳法をしながら襲ってくる危険人物だよ」と言った。僕はいつも翁が気になってしまう。そうやって、路上生活者たちとも出会った。

 遊ぶだけ遊んで、夕方空港へ。日帰りの冒険が終わった。燻製臭い体で飛行機へ。遊びすぎてちょっと風邪引いたかもしれない。明日は一日ゆっくり休もう。休みを入れると、体の調子がいいことに、この年になってようやく気付いた。家に帰ってきたら、韓国・ソウルのギャラリーから絵の個展をソウルでやってみないかとの連絡が届いていた。つながっているのかそうではないのか。しかし、祖母の家に置いてあった、大きな壺と同じ形の壺を韓国光州で見たことがある。僕は韓国、中国ともつながっていたのではないか。僕の祖父母の家がある河内という場所にはそうやってさまざまな国から貿易船がやってきていたらしい。熊本の郷土歴史家が書いていた。河内という字を調べると、ベトナムのハノイを漢字で書くと、河内である。中国にも河内という地名がある。河内。一体、なんなのだろう。そういうことはどこにも書いていない。本で調べようにも資料がない。そういうときはどうするか。とにかく現地を歩き、そして、僕が主人公になったつもりで、小説を書くしかない。

 僕はずっとあの小さい頃に竜宮城を見たときから、なにかを書こうとしている。長い時間が経過した。それでもなにも色あせていない。振り返ること。振り返りながら、今も色あせずに息をしている記憶のことを考えること。それが自分の仕事だと実感している。体が痛い。節々が痛い。痛いときもいろんなことを思い出す。

FURUMAI (Errand Press Postcard Book)

坂口 恭平
エランド・プレス
2015-07-31

この連載について

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坂口恭平

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べ...もっと読む

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