哲学と冒険

僕の本当の欲望

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べている。食べながら、何かをつくろうとしているわけではない。それによって何かをつくりたいわけではない。僕はただそうやって生きたいだけだ。僕は毎日、原稿を書き、絵を描き、歌をうたい、人々と出会い、本をつまみ食いし、画集をつまみぐいする。だいたい毎朝8時更新。お休みすることもあり。


2018年4月3日

 朝からアオの病院へ。熊本大学病院。アオは生まれつき不思議な病気?を患っており、といってもほとんど何も異常はないのだが、左右の体の大きさが違う。右の足が2.5センチ長い。今は靴を2センチ底上げしてバランスを保っている。病院の先生たちによると、膝の関節をボルトを締めて右の成長を止めて、左とちょうど合うようにしたいということなのだが、アオに聞いてみると「絶対嫌だ」と言う。僕は、幼い頃、腹膜炎や腫瘍などいろいろと病気になって、手術して、大変だったこともあるので、絶対嫌だと言われると、手術しない方法を見つけようと思ってしまう。それがいいのかわからないのだが、先生の言う通りする必要もないのかもしれない。というわけで、セカンドオピニオンの意味で別の病院へきたというわけだ。今回の先生は、まだ急がなくてもいいのではないかということだった。左右の長さが同じということだけが、バランスを取るってわけでもない。僕だって、躁鬱大変だが、そうやってバランスとっている。それぞれ自分なりのバランスを取ればいい。アオはとりあえず靴を常に底上げするという方法で手術を回避できて、ほっとしていたようだ。できるだけ体にメスを入れない方向で行こう。

 待合室でも僕はずっと編み物。セーター第2号。編み物をしていると、いろんな人から声をかけられる。これもまた面白い効果。インゴルドさんの『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』を読んでいると、糸について研究したいという着想を得る。本を書くことだって編集って言うくらいで、テキストだってもとはテキスタイルである。すべてが糸からきているのではないか。ツェランの詩集のタイトルは『糸の太陽たち』だった。歴史を書物などで勉強するのもいいが、きっと一番効果的なのは、体を動かすことである。指先を動かすことで、太古の記憶につながることができる。歌もそうだが、こういった記憶再生装置についてもっと注目する必要があるはずだ。原稿を書くのも僕の場合は最近、そうやっている。自分が書こうとしていることではもう追いつかない。そうではなく、書かされること。自分の頭の中で浮かんでいる自分じゃないこと。それなのに存在すること。そういったものに焦点を合わせること。それが僕の次の仕事のような気がしている。まあ、どこでどうつながるかわからないが、とにかく頭に飛びこんできたものを片っ端から記録してみようと思っている。

 いのっちの電話は今日もかかってくる。一人は精神病院に入院している女性。彼女は大きな不幸に遭って、それで混乱している。夫とも離婚し、子供とも会えない状態が続いている。そんな中、何度も電話で話していくうちに色鉛筆で絵を描くという方法を見つけ、その絵が素晴らしいのだ。しかし、入院と家庭の状況ですぐ落ち込んでしまうようだ。それでも続けてみようと話す。いくつも川をつくっておいたほうがいい。何かがダメになるとすぐ生きることすべてがダメになってしまうと辛いので。やはりいのっちの電話にかけてくる人の大半は、なにかつくろうとしている、もしくはつくろうとしている人であるのに、自分のことにまったく気付いてないことも多い。僕は人のことを見るのが、得意というか好きなのだ。僕は人のことを見て、その人に適したことがなんなのか、それを吟味することが好きなのだ。そんなに時間はかからない。一人30分ほど話せればきっかけは見つけることができる。

 そういう病院じゃないが、相談室というのか、占いなのか、なんなのかわからないが、次に僕がやってみたいと思っているのが、このいのっちの電話をさらに拡張した、医術活動である。芸術の根源でもある。医者というと、僕は免許ももってないので、ダメだろうから、医術ならいいのかな? いつも僕はこうやって呼び名を考える。処方箋の代わりに、書を書いたり、絵を描いたり、誰かの本の引用だったり、そういったものを言葉を、処方するのはどうか。この芸術診療所みたいなものを、4月21日からはじまる八ヶ岳のギャラリーTRAXではじまる僕の絵の個展「隕石たち」の中のパフォーマンスとして実践してみたいと計画している。医療費も0円にしてみたい。かかる経費などは僕の絵をまた日本円に換金したらどうだろうか。僕の絵を自分の通貨として、新政府活動に関しては両替してもらうことで、資金にするという方法は今ではかなり確立されてきたように思う。必要なお金はかならず集まる確信がある。どうやったらできるのかもっと考えてみよう。

 そういえば、僕の顧問弁護士が「新政府は宗教法人にしたほうがいいですよ」とぼそっと言っていたことを思い出す。そうなるとまた大変だろうけど、またなにか面白いことをやりたくはなっている。でも、昔とは違って、すぐに行動に移すことはしなくなった。じっくり考える。テキストにする。なんなら小説にする。そうやって練習をする。いのっちの電話も、なにかのための練習だと思って毎日励んでいる。僕は日本中の人々と一人30分ずつ話をしてみたいという夢がある。そうやって、人を適材適所に編集しなおすみたいな野望がある。勝手な話だが、そうやってみたいと思っている。いのっちの電話を聞くかぎり、あまりにも適材適所が無視されすぎている。そうなると、今度は僕が自分で雇用したらいいのではないかという考えにつながる。僕の家では起業禁止なので、できないが、それでも毎日、考えてしまう。どんな会社がいいのかどうか。まずはずっと思案中の株式会社躁鬱をやりたい。そのうち、株式会社躁鬱の企画書もここで書いてみようと思う。

 さらに電話。今度は、左肩からなにかが入ってきてずっと重いという人。服の中にネズミが入り込んできたような感じがするという。それでずっと病院に通っているらしいのだが、その病院がお金がかかりすぎて、どうしたらいいのかわからなくなっているようだ。話を聞いていると、肩が重いのがなくなったらしい。僕でいいのなら、電話に出るから、こっちのほうが0円だし、いいんじゃないのと伝え、電話を切った。僕には特殊能力はないと思うのだが、よくこういうことが起きる。なんというか、それを邪気と言っていいのか、わからないが、人間どうしの関係には、どうしてもなにかある。損得勘定や妬み、なんかいろいろある。僕もよくはわからない。だから、そういうものは、敏感で繊細な人には、なにか具体的な形をもったものとして、重く体に迫ってくる。僕はべつに霊もなにも見えない。ただ、プロの素直なやつだと思っている。で、素直、ってのは、空気清浄機よりも効果あるので、それで少しみんな気が楽になるのかな。僕は時代が時代だったら、素敵な遊女になっていただろうなと思う。

 そういえば、僕の同級生がプロの遊女で、彼女は日本全国好き勝手に移動しては、村のはずれなんかに出向いて、そこらへんにいるおじさんおじいさん相手に、無償で相手をしていた。

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坂口 恭平
エランド・プレス
2015-07-31

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坂口恭平

行動、思考、遭遇、あらゆる僕自身にまつわる、その日常のこと、毎日接する物事、それがすべて僕の思想であり、それが僕の哲学であり、それは言語よりも前にある。先にある。先にあるものを僕は毎日生きている。息を吸いながら、それらを見ている。食べ...もっと読む

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