昨年より議論されていた森友学園への国有地売却問題で、朝日新聞が「財務省による決裁文書改竄」のスクープを報じたのが3月2日。この絶妙なタイミングで、映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』が日本公開されることの偶然に驚かされる。1971年、ベトナム戦争に関する機密文書の存在を報道することで、政府が隠蔽してきた事実を明るみに出し、戦争の正当性を問うた新聞社ワシントン・ポストを描いた本作。監督スティーブン・スピルバーグは、「今こそ、報道の自由という美徳を追求するのに完璧な時期だ」と述べている*1。
アメリカでは政権が変わり、現大統領はみずからに批判的な報道機関に対する攻撃的な言動で知られている。こうした経緯から、報道の自由と民主主義との関係性を問い直す必要性を感じているのではないか。報道が担保する正義・公平という観点からも、日本人はこの映画を他国のできごととして傍観するわけにはいかないだろう。
本作における、ニクソン政権下での報道の自由をめぐる奮闘は、警官による黒人への暴力を描いた『デトロイト』('17)同様、歴史的事実を扱うことで現代アメリカの問題をとらえなおす手法だといえる。「信念を貫いた報道が行われることでこの国の民主主義がいかに発展するかについて、率直な議論を交わすべき時だ」*2とスピルバーグは言う。物語は、ベトナム戦争に関する政府の隠蔽がテーマだ。ワシントン・ポストが入手した機密文書には、軍事行動に対する米国民への虚偽報告、暗殺、ジュネーブ条約の違反、不正選挙といった重大情報が記載されていた。この機密文書を入手したワシントン・ポストは、記事として発表することを検討する。新聞社の社主役にメリル・ストリープ、編集主幹役にトム・ハンクス。
新聞社を題材にし、巨大な権力を告発するリスクを描いた『ペンタゴン・ペーパーズ』や『スポットライト 世紀のスクープ』('15)といった作品を見ると、もし自分がこの記者の立場だったとして、臆せずに真実を伝えられるだろうかと考え込んでしまう。報道の自由を実際に行使することはむずかしい。その障壁がていねいに描かれ、観客は問題をより切実に感じるだろう。これら2作品には、類似したモチーフが多い。巨大な権力に逆らえば圧力をかけられ、潰されるという恐怖。
たとえば『ペンタゴン・ペーパーズ』劇中、記者や社主は、この文書を記事にすればニクソン大統領はあらゆる圧力をかけて潰しにかかるだろう、という忠告を受ける。機密文書を記事にすれば投獄されるかもしれない、という危険を背負って記事を書けるのか。『スポットライト』では、神父による性的虐待を告発しようとした弁護士が教会に監視されている。教会は、敵対する弁護士の資格を剥奪する理由を探しているのだ。こうした巨大な敵と争えるのだろうか。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。