虫歯の人が一人もいない村

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたい」
世界一売りづらい「殺し」を売るための会社作りに奮闘する女子大生、桐生七海の会社が警備を担当するリサイタルにおいて殺人事件が起こる。七海の最大のピンチにおいて、「最強のマーケティング技巧」を持つ西城は「今がチャンス」と言い切り、次の一手を伝授する。そして物語は次の展開へ――。今話題の書店経営者が初めて書く新しいマーケティング&エンタメ小説、第22回。

寺岡澄子について、父から聞かされた情報は、断片的なものだった。

寺岡澄子は、ダムの底に沈められた村出身で、大昔、古来の名家にお手伝いとして働いていた経験があったという。

お手伝いとして入った家は、大我家といい、高度経済成長期に建設業で飛躍して、大我建設は全国でも屈指の建設業者となる。そして、その大我家の現当主こそが、内閣総理大臣大我総輔だった。

内閣総理大臣を出した名家でお手伝いをしていた、余命三ヶ月の老婆が、何者かによって殺されようとしているという。 この情報が、間違っているというのか。

いや、そんなはずはない、と秋山は腕を固く組み、首を横に振り、うなだれるようにして考え込む。 父は疑り深いと言われるほどに慎重な男で、間違った情報を息子に摑ませるはずがない。

その様子を微笑んで見ていた寺岡は、秋山の背中にそっと手を置いて言う。

「私でよければ、とりあえず、あなたのお話を聞きますよ。どうして、そう思うようになったのか、詳しく話してちょうだい」

はい、と秋山は顔を上げて言う。

「そもそも、僕には情報源がいるんですけど、その情報源が言うには、世の中にはフィクサーという存在がいて、様々な場面を調整していると」

「フィクサー? 黒幕って意味かしら?」

「どうも、違うみたいなんです。黒幕って言うよりも、もっとこう、バランスを調整するための人みたいな。どこの国にもあって、ただ表に出ていないだけだって。新聞もテレビも雑誌も、そのフィクサーの意向を無視することはできないらしく」

「だから、あなたが記事を書いているって、そういう話ね」

「そうなんです!」

秋山はまた寺岡のほうを向いて言う。

「お年の割に、頭がしっかりしてますね!」

ま、と寺岡は口を丸く開けて、目を見開く。

「あんた、言うわね」

実に楽しそうに寺岡はケタケタと笑う。その表情が、柔らかい昼の光に包まれる。

あるのは、永遠に続くのではないかと勘違いするような穏やかな日常だった。 ここで何かあるはずがない、と秋山はもう直感的にそう感じ、安心しきっていた。 何より、寺岡澄子との会話を、心の底から楽しんでいた。

「わざわざこんな還暦過ぎのおばあちゃんの相手をしてもらって申し訳ないから、面白い話を聞かせてあげるわ。そうね、これはトップシークレットね」

おお、と秋山は喜色を浮かべる。

「トップシークレット、大好物です! まさか、それがフィクサーが隠したい秘密?」

「さあ、どうかしら?」

寺岡はいたずらっぽく笑って続ける。

「私がいた村には、と言っても、もう先月、ダムの底に沈んじゃったんだけどね」

秋山は、先月、というところに引っかかった。ダムの底に村が沈んだのは、先月ではない。およそ、四〇年前である。そういえば、先ほども自分のことを「還暦過ぎのおばあちゃん」と言っていたが、寺岡の年齢は六〇どころか一〇〇歳を超えている。 スタッフの大泉が言った、四〇年前にいるという表現は、どうやら間違いではないらしい。

「そこには、なんと、虫歯の人が一人もいなかったの」

「虫歯の人がいない? 甘いものを食べなかったから?」

そうじゃなくて、と寺岡は秋山の腕を小突くようにして言う。

「ククリコクリコクの粉って聞いたことがあるかしら?」

「くりくりこく?」

「ちがう、ちがう。ククリコクリコクの粉よ。ククリコクリコクの粉」

「くくりこくりこくの……。で、それがどうかしたんですか?」

実はね、と寺岡は悪戯をする前の幼女のような顔を近づけて、小声で秋山の耳元に口を近づけて言った。

「なんと、それを歯に塗ると、虫歯がたちどころに治ってしまうのよ」

「虫歯が、治る? そんな、まさか」

秋山は寺岡から離れて笑う。

「そしたら、歯医者さんがいらなくなるじゃないですか」

そんなことが本当にあったら、世界のルールが書き換えられる。どうやら、話半分で聞いたほうがよさそうだと秋山は思った。

だから、と寺岡は思いがけず真摯な表情で、膝を叩いて言う。

「その村には、歯医者がいなかったんだってば」

秋山は、目の前の波立たぬダム湖を見つめながら思う。

村には、歯に塗ると虫歯がたちどころに治ってしまう粉があった。そして、歯医者がいなかった。それはそうだ。虫歯がなければ、歯医者はいらない。

「それって、ダムの底に沈められた村には、虫歯の特効薬があったってことですか? その… …」

「ククリコクリコクの粉」

寺岡はもう一度、しっかりとその奇妙な名前を自信に満ちた口調で言った。

「そうね、虫歯の特効薬だったんでしょう」

笑うと、およそ一〇二歳の老女とは思えない、白く輝く整然と並んだ歯が見えた。その歯は 陽の光に輝いて、まるで乳幼児の歯のようにエナメル質がうぶに見え、秋山はそのギャップに、少し怖くなった。 本来の老婆の口元ではなかった。この先の未来まで担保するかのような、あまりに健全で、生命力に溢れた口元だった。どう見ても、作り物には見えなかった。

「ちょっと待ってください。でも、もし、本当に虫歯の特効薬があったのなら、どうしてニュースになっていないんですか? 世界的な発見だと思うんですけど」

「さあ、どうしてかしら。発見されると困る人がいるんじゃないかしら」

「発見されると、困る? だって、みんな虫歯になりたくないじゃないですか」

背後で、ドアが開く気配がした。

「明良君、ごめん」

振り返ると、響妃が眩しそうに手を顔の前にかざして、こちらに向かって来ている。緑をバックにした美術館のような建物を背景として、その姿があまりに絵になった。ようやく、老人ホームの人たちから解放されたのだろう。

それを見止めると、寺岡は、秋山の手に、すっと何かを握らせた。

手のひらを開いて見ると、それは表面が漆で塗られた、丸い木製の小さな容れ物だった。 まるで、印を押すための朱肉を入れるケースのような、あるいは

「まさか、これってククリコ……」

しぃ、と寺岡は口元に人差し指を持ってくる。

「トップシークレット、でしょ?」

寺岡は微笑んだ。歯が整っているからか、一〇二歳には見えない、実に艶やかな笑みに見えた。

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殺し屋のマーケティング

三浦崇典

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」 女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強...もっと読む

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marekingu #スマートニュース 2日前 replyretweetfavorite