寺岡澄子について、父から聞かされた情報は、断片的なものだった。
寺岡澄子は、ダムの底に沈められた村出身で、大昔、古来の名家にお手伝いとして働いていた経験があったという。
お手伝いとして入った家は、大我家といい、高度経済成長期に建設業で飛躍して、大我建設は全国でも屈指の建設業者となる。そして、その大我家の現当主こそが、内閣総理大臣大我総輔だった。
内閣総理大臣を出した名家でお手伝いをしていた、余命三ヶ月の老婆が、何者かによって殺されようとしているという。 この情報が、間違っているというのか。
いや、そんなはずはない、と秋山は腕を固く組み、首を横に振り、うなだれるようにして考え込む。 父は疑り深いと言われるほどに慎重な男で、間違った情報を息子に摑ませるはずがない。
その様子を微笑んで見ていた寺岡は、秋山の背中にそっと手を置いて言う。
「私でよければ、とりあえず、あなたのお話を聞きますよ。どうして、そう思うようになったのか、詳しく話してちょうだい」
はい、と秋山は顔を上げて言う。
「そもそも、僕には情報源がいるんですけど、その情報源が言うには、世の中にはフィクサーという存在がいて、様々な場面を調整していると」
「フィクサー? 黒幕って意味かしら?」
「どうも、違うみたいなんです。黒幕って言うよりも、もっとこう、バランスを調整するための人みたいな。どこの国にもあって、ただ表に出ていないだけだって。新聞もテレビも雑誌も、そのフィクサーの意向を無視することはできないらしく」
「だから、あなたが記事を書いているって、そういう話ね」
「そうなんです!」
秋山はまた寺岡のほうを向いて言う。
「お年の割に、頭がしっかりしてますね!」
ま、と寺岡は口を丸く開けて、目を見開く。
「あんた、言うわね」
実に楽しそうに寺岡はケタケタと笑う。その表情が、柔らかい昼の光に包まれる。
あるのは、永遠に続くのではないかと勘違いするような穏やかな日常だった。 ここで何かあるはずがない、と秋山はもう直感的にそう感じ、安心しきっていた。 何より、寺岡澄子との会話を、心の底から楽しんでいた。
「わざわざこんな還暦過ぎのおばあちゃんの相手をしてもらって申し訳ないから、面白い話を聞かせてあげるわ。そうね、これはトップシークレットね」
おお、と秋山は喜色を浮かべる。
「トップシークレット、大好物です! まさか、それがフィクサーが隠したい秘密?」
「さあ、どうかしら?」
寺岡はいたずらっぽく笑って続ける。
「私がいた村には、と言っても、もう先月、ダムの底に沈んじゃったんだけどね」
秋山は、先月、というところに引っかかった。ダムの底に村が沈んだのは、先月ではない。およそ、四〇年前である。そういえば、先ほども自分のことを「還暦過ぎのおばあちゃん」と言っていたが、寺岡の年齢は六〇どころか一〇〇歳を超えている。 スタッフの大泉が言った、四〇年前にいるという表現は、どうやら間違いではないらしい。
「そこには、なんと、虫歯の人が一人もいなかったの」