あなたにとっては固有の、差し迫った悩みに共感したい
清田 不安なときって孤独になるじゃないですか。気持ちを誰にもわかってもらえない恐怖というか。
大学一年生ってまだまだ若いから、自分の感情や思考をそんなにうまく言葉にできないし、相手の気持ちを深いレベルで読解することも難しい。でも、「自分や相手の気持ちがわからない」という自覚もない。そういうなかで悩みを相談しようと思っても、うまくアウトプットもできなければ、「うん、わかるよ」と受け止めてもらえることもなかなかない。かといって年上に相談しても上から目線で片づけられたりする……。これって結構つらい状況だと思うのよ。
ぼくは普段、人々の失恋体験を聞き集める活動をしているんだけど、二時間くらい相手の話を聞くと、みんな元気になって帰っていくのね。我々はプロのカウンセラーではないので基本的には聞いてるだけなんだけど、現代文の問題を読解するように相手の悩みを読み解いていく。そうすると、失恋体験を話してくれた人はそれだけで癒されると言ってくれる。
意味づけせず、価値判断も下さない。まずは話を聞き、そのまま理解しようという姿勢を心がけていて、これが功を奏しているのだと思う。というのも、大学生の相談を聞いていると、我々のような話し相手に飢えているように感じるのよ。社会学でいう「ナナメの関係」というか、タテ(目上)でもヨコ(友達)でもない関係を大学生たちは求めているような気がする。
トミヤマ 何かをズバッと解決してくれるわけじゃなくても、「あるよね、そういうこと」みたいな感じで、ゆるやかに受け止めてもらえるのっていいよね。
それに関連して言うと、大学で私のような仕事の仕方をしている人ってそんなにいるわけじゃなくて。大学教員もやるけど外でライターもやる、会社員の部分もフリーランスの部分もある、みたいな人は少ない。仮にわたしと同じような働き方をしていても、「いろんな働き方をしています」と学生に言わない先生もいます。「ザ・先生」でいるために隠しているのかもしれないですね。
先生らしい先生しかいない群れのなかにわたしみたいなよくわからない人がいると、学生にとっては一種の癒しの効果があるんだなというのは、いつも感じています。どういうことかというと、様々な事情で就活戦線に乗っかっていけない子たちの駆け込み寺的存在なんですよ、わたし。普通の会社に就職するのは無理だけど、働かないといけない、どうしよう、というような子が相談に来るんですね。「わたしは一秒も就活してないけど、屋根のあるところで寝られてるし、わりと楽しく生きている。だからあなたもきっと大丈夫!」なんて言うと、ホッとするみたい。
「大丈夫!」と言っている瞬間は、元気づけたい一心で、まるで根拠なく言っていたりもするんですが(笑)、みんな最終的にちゃんと社会に根を張って生きているのを見ると、ああこれで良かったんだと思いますね。本当は、大学教員の生き方・働き方がもっと多様であればいいだけなんですが、 実際はなかなか難しいです。そんな経験も本書に活かされています。うまくいく方法が大事なんじゃなくて、うまくいかなくてもどっこい生きてることが大事なんだ、と。
清田 そうだね。トミヤマさんが言った「あるよね、そういうこと」というのは、決して「よくあることだから大したことない」という意味ではない。「俺もはまったわー、その穴」みたいな感じで、自分もそこにいたし、いまもいるかもしれない。
よくある悩みではあるけれど、あなたにとっては固有の、いま差し迫った悩みであると。そういう気持ちを含んだ共感だと思う。われわれは学生よりもそれをたくさん経験しているから、個人の悩みから社会の問題へと広げて考えることが少しはできる。だからこれは、「あなただけでなく、みんながその悩みを抱えてるってことは、社会のほうに問題があるのでは?」みたいな発想で書いた本でもあります。