#マユ #22歳 #大学生 #若くてかわいいときにモテておきたいし
「マユちゃん、明日って朝早いの?」
渋谷の地下にある肉バルでお腹いっぱい食べた後、今日初めて会った12歳年上のタナカさんは私の右手を握りしめた。
Pairsの写真で見た通り、見た目は普通の小太りのオジサンで、実際会ってみるとお酒の力を借りてやたらと距離を詰めてくるあたりが、いかにもモテなさそうな人だった。
でも、物欲しそうな瞳で見つめられると、まるで自分がとびきりいい女になった気がして、体中に鳥肌が立つみたいにゾワゾワする。
「ごめんなさい。今日はそろそろ帰らなくっちゃ」
私は手を離してスマホを確認し、いかにも申し訳なさそうに両手をすり合わせる。
「え、でも……」
「今度またゆっくりご飯に行きたいな」
しつこい言葉を遮って微笑むと、タナカさんは渋々機嫌を直してお会計をすませてくれた。
別れ際にキスされそうなところを誤魔化してバイバイした後、私はPairsからタナカさんをすかさずブロックする。
帰りの電車に乗ったところで、もう一度アプリを立ち上げると、今度はマッチング中の男性からもうちょっと若い32歳を選んで「土曜日の夜、空いてませんか?」とメッセージを送った。
二ヶ月間、Pairsで知り合った男性とご飯を食べるだけのデートを毎週繰り返してきた。
もちろん美味しいものをご馳走になれるのはラッキーだけど、私がそれよりも好きなのは、この人たちから物欲しそうに見つめられることだった。どれだけ私に優しくしてくれて、いかに求めてくれるかが重要だから、できるだけ手のひらで転がしやすそうな、いいね!数の少ない年上の男性を選ぶことにしていた。
あと十年も経って、30代にもなれば、女はあっという間に価値が下がる。
だから、人生で若くてかわいいうちにたくさんモテておきたかった。
#タツヤ #32歳 #非常勤講師 #あの子のことが忘れられない
「土曜日の夜、空いてませんか?」
風呂に入るべきかとグタグタしていたところで、Pairsに新着メッセージが届いた。それは何度かやり取りしたのに頑なにLINEを教えてくれなかった22歳の大学生で、俺は思わず飲みかけたビールをむせてしまった。
プロフィールで見る限り、マユちゃんはめちゃくちゃかわいかった。
それは流行りの加工アプリで撮った写真で、うさぎの耳を頭につけて上目遣いで写っていた。両目は人形みたいに大きいし、髪も長くてサラサラで、なによりブラウスからほんの少し見える胸元が気になった。
Pairsを半年以上使い続ける俺には、なんとなくこの手の子の傾向がわかっていた。たぶんタダ飯を食べながらモテたいだけか、宗教かビジネスの勧誘のどちらかだ。そうじゃなきゃ俺みたいに収入が決して良いわけでもないフツメンを誘うわけがない。
でも、こんなこと二度とないかもしれないし、覚悟を決めて彼女の誘いを受けることにした。
「こんばんは〜マユです」
待ち合わせの店に10分遅れてきた彼女は、悪びれもせず微笑んだ。
薄手のニットワンピースから推測するに胸はそこそこあるものの、写真で見るよりも体型がややふっくらしていた。だけど、肌はつるつるだし、二重の目もきれいなアーモンド型で、ものすごくかわいいというか、ごく控えめに言って超好みだった。
注文をすませると、彼女は内心テンパっている俺でも話しやすそうな話題を積極的にふってくれた。
「タツヤさんの好きなタイプってなんですか?」
「あんまり芸能人にくわしくないけど……あの女優が好きだな」
「だれ? ドラマとか出てる?」
「去年のドラマでは医者役だったかな」
「ちょっと言わないで、当てるから!」
そう言うと、マユちゃんは自信満々にスマホで女優を検索した。
お酒が進むにつれて、俺たちはお互いの好みのタイプをクイズにしたり、異性にされると意識する仕草を教え合って実際にやってみたりした。今日が初対面だということをうっかり忘れるほどマユちゃんは話し上手で、大勢の客がごった返す店内で、まるで2人だけしかいないみたいに盛り上がった。
だから、彼女におねだりされて3本目のワインを開ける頃には、俺は気がつくとむちゃくちゃ酔っ払っていた。
「いつから彼女いないんですか?」
「もう4年くらいかな」
「えーもったいない! どうしてそんなにいないんですか? あ、ひょっとして風俗好きとか?」
「まさか! 俺、そういうの苦手だし」
マユちゃんが妙なことを言い出したせいで、思わず声が大きくなる。
「ふーん。じゃあ、そういうことにしておきましょうか」
「違うって……俺さ、忘れられない人がいてね、付き合ってもすぐダメになっちゃうんだ」
俺がワインをくいっと飲み干すと、彼女はすかさずグラスに注ぎ足した。
「どんな人?」
「中学の同級生。初恋の子なんだ」
マユちゃんは一瞬、ぎゅっと眉をひそめる。
この話を人前でするのはやめようと決めていたのに、酔った勢いでうっかり口に出してしまった。
「大丈夫だよ、続けて」
慌てて口を閉ざしたけど、マユちゃんは姿勢を正して、今度は真剣に俺の話に耳を傾ける。彼女の言葉につられるように、俺は頭の片隅に残る記憶をたぐりよせた。
「彼女は成績がよくてスポーツもできて、特別な美人ってわけじゃないけどいつも明るくって、みんなから好かれるタイプだった。ほとんどの男子が彼女のことを好きで、俺も小学校から片思いをしてたし、みんなのアイドルだった。だけど、ある日部活が早く終わって家に帰ったときに、偶然見かけたんだ」
大人になった今思い出しても、やっぱり、心臓の底あたりが締めつけられる。
「二つ上の兄貴の部屋に、なぜか制服を脱いだ彼女がいたんだよ」
俺はそこまで話してしまうと、気持ちよく飲み過ぎてしまったせいもあって、目頭が熱くなった。
初対面でしかも年下の女の子の前で泣くわけにはいかないと、歯を食いしばって、ジーンズの上から太腿を引っ掻いた。でも、それだけじゃ涙はもう堪えきれなくて、視界がうっすらと曇り出した。
ヤケになってワインを一気に飲み干すと、向かい側にいたマユちゃんがいつの間にか隣の席に移っていた。
#マユ #こんな大人の男でも泣きそうになるんだ #意外とかわいいじゃん
突然初恋の思い出なんて語り始めたからマジこいつなんなのと思ったけど、我慢して聞いていると、これがめちゃくちゃ悲しい話だった。
「玄関を開けたときに、兄貴の部屋からだれかの話し声が聞こえてきたんだ。それで友達でも遊びにきてるのかなと思ってなんとなく覗いたら、ドアの隙間から、その子の後ろ姿が見えたんだ」
タツヤさんはワインをあおって、真っ赤にした顔をうつむけて話し続ける。
「同じ学校にいた兄貴は背も高かったし、友達も多くて、俺と違ってモテるタイプだった。そういえば、彼女からなにかのタイミングで兄貴のことを聞かれたこともあったな。でも、兄弟の仲は良いのかとか程度の内容だったし、てっきり雑談だとばっかり思ってたんだ」
「それで……どうしたの?」
「部屋に入って殴ってやろうかと思ったけど、俺は彼女が下着を外す姿にうっかり釘付けになってしまった。バカだよなぁ。そのまま最後まで見たんだよ」
初恋の相手がセックスする声を、彼は黙って聞いていた。
ちょっと想像しただけでも、私だったら絶対耐えられない。
タツヤさんは力いっぱい太腿を引っ掻いて、必死で泣くのを堪えていた。
10歳も離れているから肌はきれいじゃないし、目の下のクマもひどくて、見た目はそれなりにオジサンだった。でも、よく見ると鼻筋は通ってるし、睫毛も長くて、まあまあ悪くない顔をしていた。
なんでもなさそうなフリを装うタツヤさんを見てるうちに、胸の奥がじわっと熱くなって、なんだか急に彼のことがかわいく思えてきてしまった。
なにそれ。
年上のくせに反則じゃん。
「もう泣かなくていいから」
私はたまらなくなって、彼の震える手を握りしめた。
#タツヤ #目の前の女の子は彼女じゃない #そんなことわかってるけど
道玄坂のラブホテルに入ると、マユちゃんは俺の汗だくの髪を撫でつけて、胸を押し当てながら抱きしめた。思わず無我夢中で、俺は彼女の柔らかいからだをめいっぱい引き寄せた。
体中からバニラみたいな甘い匂いがして、それを思いきり吸いこんだ。
「今夜だけ、私のことその子だって思っていいよ」
マユちゃんはそう呟いた後、余計なことは一言も話さなかった。
無理やり後ろ向きにさせたとき、色白のふっくらした背中がほんの一瞬だけ、あの日の場面に重なった。
兄貴の部屋からほんの少しだけ見えた後ろ姿。
水色のブラジャーと肩まで伸びた黒い髪。
発色の強いライトの下で、マユちゃんはどんどん、マユちゃんではなくなった。
ようやく我に返った頃にはなにもかも終わっていて、俺はマユちゃんに声をかけることもできず、また気を失うように眠ってしまった。
#マユ #今夜は特別いいことをした気分 #はじめて見る渋谷の景色
眠りこんだタツヤさんを置き去りにして、道玄坂のラブホテルを後にした。
あのかわいそうな人に比べたら、私は全然大丈夫だ。
あとで振り返って泣くような恋愛だって、まだ一度もしたことがないんだから。
道の途中ですれ違う1ミリの色気も出さない疲れきったおばさんたちと同じくらいの歳になったとき、今日みたいにだれかに求められた思い出がたくさんあれば、私はきっと大丈夫な気がしている。
坂道をスキップで下りながら、Pairsを立ち上げる。
数秒間迷った末に、タツヤさんをブロックする。
それから新しくマッチングした男性の中から1人を選んで、来週の予定を埋める定型文のメッセージを送った。
終電間際に人混みで溢れた渋谷の明るい街が、今夜はひさしぶりにきれいに見えた。
次回「失恋の気晴らしにPairsでマッチした男が、一言でまとめると最低だった」は4/10更新予定