一九七二年十二月十四日、アポロ17号は月面から離陸した。それから四十五年、この世界を訪れた人間は未だ一人もいない。
人類は後退したのだろうか? そうではない。次章に書くように、何十機もの無人探査機が火星、木星、土星、それらの衛星、そして天王星、海王星まで訪れ、小惑星からサンプルを持ち帰った。そのうち一機は太陽系を飛び出し星間空間にまで達した。人類の宇宙の理解は劇的に進歩した。人類は月のはるか先へと進んだ。
しかし、人類は二度と月に戻らないのか? そんなこともない。二〇〇〇年代には無人月探査が再び活発化した。日本のかぐやは月面に縦孔を発見し、インドとアメリカの探査機は南極のクレーターの永久影に氷を発見した。二〇一八年には中国のランダーとローバーが、史上初めて月の裏側の地表を探査する予定である。
民間宇宙開発の進展により、月はさらに身近になるだろう。ちょうどこの本が出版される1ヶ月ほど後の二〇一八年三月にはGoogle Lunar X Prizeと呼ばれる賞金レースが行われる計画である。民間資金のみでローバーを月に着陸させ、一番最初に500メートル走行したチームに2000万ドル(約20億円)が贈られる。日本からもHAKUTOというチームがこのレースに参加している
遠くない将来、月は宇宙観光の手頃な目的地になるだろう。最初のうちは旅行者は億万長者に限られるだろうが、数十年すればサラリーマンの退職金程度の額で行けるようになるかもしれない。
僕も行けるならぜひ行ってみたい。もちろんお金はかかるしリスクもあるだろうから、娘の学費を払い終わり、結婚式を見届け、さらに妻の説得に成功したらの話だが。
あなたも見てみたくはないだろうか。未だたった十二人の幸運な人間しか見たことのない月世界を。昼間の空に輝く星を。遠景が霞まず遠近感の欠如した非現実的な風景を。銀色の砂漠が地球の青い光に淡く照らされる夜を。
それはまだあなたの目には見えない。だが、見る方法がある。目を閉じよう。そして想像力の目を開こう。イマジネーションの世界へ……。
……あなたは種子島宇宙港から地球軌道ホテル行きの便に乗る。ホテルのロビーにはケープ・カナベラル、バイコヌール、酒泉やシュリーハリコータから到着した様々な人種や国籍の旅行者がいる。地球軌道ホテルに長期滞在する老夫婦。宇宙遊泳のオプショナル・ツアーに挑戦する若者の一団。シャトル便に乗り換え軌道研究所へ行く科学者もいる。あなたはここに長居はせず、月軌道ステーション行きの船に乗り換える。
月までは二泊三日の旅だ。地球がどんどん小さくなり、月はみるみる大きくなる。軌道投入エンジンが火を噴く。船はゆっくりと月軌道ステーションにドッキングする。
ステーションは地球軌道ホテルに比べこぢんまりしていて、設備も質素だ。ここから月面各地へ向かう着陸船が出ている。もっとも人気の観光地はアポロ11号の着陸地である「静かの海」。あなたの行き先もそこだ。
着陸船の降下エンジンが始動する。加速度で重力が戻ったように感じるが、真空の帳に遮られてエンジンの音は全く聞こえない。船は「静かの海宇宙港」に音もなく降り立つ。シートベルト着用ランプが消え、あなたは立ち上がろうとして天井に頭をぶつけてしまう。重力が6分の1なのをうっかり忘れていた。
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