ひなた写真館

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたい」
世界一売りづらい「殺し」を売るための会社作りに奮闘する女子大生、桐生七海の会社が警備を担当するリサイタルにおいて殺人事件が起こる。七海の最大のピンチにおいて、「最強のマーケティング技巧」を持つ西城は「今がチャンス」と言い切り、次の一手を伝授する。そして物語は次の展開へ――。今話題の書店経営者が初めて書く新しいマーケティング&エンタメ小説、第19回。

もしかして、来客のことなど、少しも想定していなかったのではないだろうか。
初めてその写真館を訪れたとき、七海はそう思った。

その蔦が蔓延った白亜の写真館は、まるで主を失った廃墟のようで、たしかに「ひなた写真館」と小さな看板は掲げられてはいるのだけれども、閉ざされた西洋風の重厚な扉は、ともすれば格式の高い女学院の生徒の膝のように、禁忌に満ちて固く閉ざされていた。

たとえ、鍵がかかっていなかったとしても、鍵よりも強い、ある種の拒絶や排他性が辺りの静けさに滲むようであり、事実、そこを通る人々は、まるでその写真館が日常にないかのように振る舞った。

それだからだろうか、七海がその写真館の前に初めて立ったときに、黒ずんだ金のドアノブの、ことのほかひんやりとした感触を覚えてもなお、中の様子を少しも現実味を持って想像することができなかった。

開けるとき、建てつけが悪いのか、その重厚なドアはぎぃと窮屈な音を立てた。

「こんにちは」

恐る恐る発した七海の声は、奥へと続く廊下にかすかに響き、何の反応もないままに儚く消えた。もう一度、より強く呼びかけてみても、結果は同じだった。

写真館というくせに、カウンターもなく、それだから無論、料金表やメニューのようなものもなく、大きなゼンマイ式の古時計だけが振り子を規則的に揺らし懸命に時を刻んでおり、この写真館が未だ死んでいないことを示していた。

ただ、廊下が一本、まるで勇気を試すかのように、暗がりを抱えて奥へと続いていた。

廊下の行き止まり、右手のドアには「暗室」とあった。写真についてほとんど知識がない七海も、そこがフィルム写真を現像する空間だということは知っていた。けれども、左手のドアに刻まれた文字には、馴染みがなかった。

「明室……」

七海はそうつぶやいていた。
声に出しても、やはり、聞いたことのない言葉だった。

七海はそちらの扉を押し開けた。 一瞬にして燃え上がるように、おそらく全身が光に包まれた。最初は、ステージ上のようにライトを当てられているのかと思ったが、そうではなかった。

その部屋全体が、壁も床も天井もカーテンも、そして家具さえも、純度の高い白で整えられていて、窓から差し込む午前の光が部屋全体に回って、まるでライトを照らしているかのように明るく見せているのだった。

白い壁面はギャラリーになっていた。

そこには、写真が飾ってあった。すべて、人を写したものだった。 白から青にかけての、青になる一歩手前の世界観で統一されたその写真は、おそらく、一人のカメラマンによって撮られたものだろうと思った。写された人々は、肌が白く、そして唇が浮きたって紅に見えた。

静謐であり、清廉であり、それなのにどうしてだろうか、どの写真からも溢れ出る生命力のようなものを七海は感じた。何かを奮い立たされるような、何かを訴えかけてくるような。

別に若い女性を写したものだけがそうというわけではなかった。老若男女問わず、あらゆる人の表情の中に、決然とした生があって、その根底に、たしかに強い欲求のようなものを感じた—それを、エロスと言ってもいい。

一八枚目に写された、真紅のドレスを脱がされた、若い白い裸体を晒した女性が、チェリストの山村詩織だった。
改めて全紙サイズで大きく引き伸ばされたプリントで見ると、その写真の迫力が際立っていた。

それにしても、山村詩織の自信に満ちた振る舞いは何だろうか。溢れる生命力は、卑近ではなく、堂々たるエロスを誘発するのだと、七海は思った。

あまりに集中していて、その部屋に人がいることに、七海は気づいていなかった。いつからいたのだろうか、ドアのところに、生気が感じられないほどに色の白い、長髪の男が立っていた。

男は七海を見て、見下すように薄らと口元に笑みを浮かべてこう言ったのだった。

「人は極限状態に陥ると、性的欲求を強く覚えるという」

もしかして、ずっと自分の様子を見ていたのかもしれない。

「世界一の殺し屋にしては、不用心ね」

桐生七海は、玄関口のほうを指して言った。

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殺し屋のマーケティング

三浦崇典

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」 女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強...もっと読む

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