イラスト:堀越ジェシーありさ
管理人の後ろに広がる景色に目をやる。幾つものカラフルなボールがパイプの中を忙しく運ばれていく。あれら全てが、これから誰かの夢になっていくのだろう。
まだまだこの世界の仕組みについて知りたいこともあったけれど、そんなことより、あの不吉な夢がなくなって葵が助かるならそれでいいと思えた。
天井にレールがあり、そこに吊るされた透明のケースが色とりどりの液体を運んでいく。一定間隔滑らかに進み、また一旦停止という動きを繰り返している。どこに行くのかわからないが、ピンクの背景に運ばれていくカラフルな液体は、ずっと見ていても飽きない。
美しいな、と健人は思った。葵にも見せてあげたいと思った。楽器屋に行った時のように目を輝かして辺りを見回す姿が目に浮かぶ。とは言え、きっとこれは話したところで信じてもらえないだろう。
「もう来れなくなっても、大丈夫です。お願いします」
「承りました」
機械的な口調で管理人は言った。タンクから吹き出した水蒸気にライトが当たって、キラキラと光の粒が舞っているように見えた。
「名前は、健人くんで間違いないですか? それから誕生日を教えてください」
「はい」
健人は修正に必要なのだろうと思いながら、誕生日を答えた。管理人は、さっきの紙にメモしている。
「今回の健人さんのようなケースもありますが、逆に奇跡を起こす力を持っているのが夢です。誰にでも、公平に夢の要素は出荷されます。どうか、夢工場を憎まないでください」
健人は声に出さずに頷いてから、漠然とした疑問が言葉になった。
「夢って、何なんだろう」
それぞれのタンクなどの装置や、カラフルな液体に対する疑問は、もはや些細なことのように思えた。今まで深く考えずにいたけれど、当たり前に見てきた夢というものは、あまりに不思議な世界だ。
「夢が現実の出来事に影響されて作られていることを思えば、現実の出来事が夢に影響されているとしても、不自然ではないと思いますよ。ただ、多くの人がそれを知らないだけです」
出口までお送りしますね、と言って管理人は歩き出した。工場の部屋から出て、廊下のようなところを歩く。来た時とは別の方向へ向かって進んでいるようだ。
「出口は入り口とは違うんですか?」
「出口はたくさんありますので、一番近くまで案内します。ここは夢の世界と壁一枚で隔てられているだけですから、たくさん出口があります」
入ってきた部屋とさっきまでいた広い空間だけでなく、他にもたくさん部屋があるのかもしれない。
「こちらからどうぞ」
入ってきた時と同じくらいのサイズの扉がある。この扉も木でできているが、色は木の色そのままの焦げた茶色である。
「扉の向こうは、健人さんの夢に繋がっています。新しい夢を安心して受け入れてください」
健人は決心するように頷いた。
「必ず、夢の修正はいたしますよ。心配しないでください」
健人の心配を見透かしたように管理人は言った。
「お願いします」
来た時のような不安はもうなかった。現実の世界に戻れる安心感もあった。扉に手をかける。開いた瞬間、深い眠りの穴に落ちていくような脱力感に包まれた。
「またどこかでお会いしましょう……」
その声が最後まで聞こえるかどうかというところで、健人の意識は闇に包まれた。
*
ぶぶぶぶ、と頭の横で携帯が振動を始めたのと同時に夢は終わった。カーテンの隙間から光が漏れている。
健人は眠い目をこすり、携帯の画面を覗いた。
「葵」という名前の下に緑色と赤色の丸が表示されている。少しの間迷ってから、健人は緑の丸を押して携帯を耳に当てた。
「おはよー。ちゃんと起きてた?」
おはよう、とぼそっと言った。あれ、と健人は思った。
帰ってきた。いや、さっきまで見ていたのはただの夢だったか。それにしては、鮮明な感覚が体に残っている。目を閉じると、頭の奥から夢の中であったことの断片が、ポツポツと浮かび上がってくる。
あれは、そう、夢じゃない。夢だけど、夢じゃない。
「おはよう、葵。今日も、頑張ろうな」
「え、なにそれ。健人が朝からそんなの、逆に気持ち悪いよ。早く準備しなよー。またあとでね」
電話が切れて、確かな声の余韻が部屋に残る。
そうだ、今日は確かめなければならない。何も起こらないことを、確かめなければならない。<つづく>
【次回は…】
夢から覚めたあと、そこには変わらぬ日常が広がっていた。何事もなく過ごしていく日々の中で、今日も様々な場所で、ラムレスから出荷された夢の要素はまた、現実に影響を与えているのだろうか