数多くのエピソードから三島論へ
平野啓一郎(以下、平野) 実際に会って、喋ったときの印象はどうでした?
横尾忠則(以下、横尾) 三島さんは会場に入るなり、入り口に掛けてあった僕の絵を見て、そこにはアメリカ人のヌードの後ろに朝日が出ている絵だったんですが、すごく大きな声で「帝国海軍とアメ公か」って言ってワッハッハッハと笑っていましたね。アメリカ嫌いだからさ、アメリカの女性のことを「アメ公」なんて言っちゃうんですよね。
僕は奥のほうに居たんですが、出ていって三島さんに挨拶して、来てくれた御礼を言ったんです。何て言っていいかわからないから、「三島さんの小説のファンです」と嘘ばっかり言ったんですよ。
そうしたら三島さんはギロッとこちらを睨んで、「つまんないこと言うやつだな」みたいな顔をしたんですよ。「ああ、もうこれで終わりだな」と僕は思いました。小説のファンなんてこと言わないで、「『からっ風野郎』の映画を観ました」とか、「なかなか上手いお芝居だったですね」とか言っとけば機嫌よかったんだけどさ。
平野 もうその頃、メディアに出ている三島由紀夫という人をよく見ていたんですね?
横尾 もちろん。三島さん、あの頃は本当にすべてのメディアを横断していましたからね。
平野 横尾さんご自身も、その後アーティストとしてメディアに出るようになりますが、三島さんからかなり影響を受けたと仰っていましたね?
横尾 そうね。三島さんのような有名で聡明な文学者が、通俗的なテレビとか女性週刊誌のグラビアに出たりしているのを見て、「ああ、これだったら僕もできる」と思った。そういう影響を受けましたね。
平野 三島さんのメディアへの出方、社会との接し方が面白いと感じたんですか?
横尾 面白いと思いました。行動する作家としてね。まあ、週刊誌のグラビア写真に出るのが行動かどうか知らないけれども、広い意味でメディア、通俗的なものを含めてすべてのメディアを片端から横断していく三島さんの姿は、パワーというのか、いままでの文学者と全然違う。「これは学ぶべきものだな」と僕は思ったんでしょうね。
平野 最初の出会いでは、ちょっと好印象を得損なったという手応えだったのが、その後だんだん交流が頻繁になっていきます。何かきっかけがあったんでしょうか?
横尾 きっかけは、あの絵を三島さんに差し上げたことじゃないですか。ちょうどそのときは三島さんの自宅が改装中だったので、帝国ホテルに住んでいました。
2カ月くらい経った頃、改装した家にその絵を掛けたいんだけれども、どこにしたらいいのか選定してほしいというので呼ばれて、初めてお宅に行ったんです。そこからわりかし親しいつきあいが始まったんです。
平野 三島由紀夫という存在は、その人間性からもかなり影響を受けたと思うのですが?
横尾 そうですね。最初に会ったときの三島さんのルックスそのものが、すごい面白かったですよ。ポロシャツを着て、胸をはだけて胸毛を見せて。でも、まだ寒い季節でしたから、腕には鳥肌が立っているんです。
しかもその腕に、注射の跡に貼る白い絆創膏が貼ってあるんですよ。そんな病弱なところを見せる人じゃないと思っていたんですが、むしろそれを自慢しているように見えたんです。普通、注射を打って1、2分であんな絆創膏は取って捨てちゃいますよね。それを延々とくっつけたままで銀座までやってきた。そういう三島さんが面白かった。
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