あなたの周りで、ミステリファンが「フェア」だ「アンフェア」だと盛り上がっているのを耳にしたことはないだろうか。ミステリも、スポーツと同じで正々堂々勝負すること、つまりフェアプレイが重んじられる。そうした、「フェア・アンフェア論争」で最も物議をかもしたのは、アガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』だろう。読み終われば、何が問題になったのかはすぐに分かるだろうが、できたら多少ミステリを読んでから、この作品にあたって欲しい。その方が、より楽しめるだろうし、議論の焦点がよく分かるはずだ。
ミステリにおける「フェア」とは、どんなことを指すのだろうか? 一言で言ってしまえば、「(三人称の)地の文で嘘は言わない」こと。それに尽きる。
と言われても、具体的にはピンと来ないだろうから、順を追って説明する。三人称に括弧をつけている理由は、後で述べる。
まず、「人称」の確認から。一人称とは、「自分自身」、つまり「わたし」のこと。主人公の視点と主観を通して語られる世界が、一人称の世界だ。二人称とは、「あなた」。読者である自分か、作中の「聞き手」がそれに当たる。ただし、全編「あなた」に語りかける形で話を進めるのは難しいため、二人称の小説は少ない。
そして三人称とは、わたしでもあなたでもない中立の第三者から見た世界、俗に言う「神の視点」である。誰かの価値基準や、偏った見方を排した、プレーンな記述が三人称だ。細かく言えば、三人称にも多視点と一視点があるが、ここでは、「三人称」とは誰かの主観の入らない客観的な視点、としておく。
では、「地の文」とは何か?
作品中における、台詞や引用を除いた部分のことである。もっとざっくり言えば、「カギ括弧」や〈山カギ〉、傍点(、、)など、特殊な印がない部分だ。台詞でなくとも、記号と共に書かれる言葉は、何らかの特殊な意味や含みを持たされている。それらは、額面通りには受け取れない。
「三人称」「地の文」共に、要は「主観」じゃなくて「客観」であることが大事なんだ、と思ってもらえれば良い。
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